人生のストーリー・プロローグ

1980年生まれ
平均的なサラリーマン家庭の長女


両親と妹の4人家族


外では普通の家族でしたが

家の中では
両親同士の怒鳴りあいの喧嘩が絶えず


家中の皿が割れたり
包丁持ち出したり
火をつけようとした後があったり…………


いつも何かしらの事件が起きては
気の休まる暇がない


いわゆる機能不全家庭です


子供の私には
父が母をいじめているように見えました


そんな母は
耐えて、我慢して、子供たちにはいつも笑顔で…

というわけでは全然なく(笑)


ヒステリーを起こしては

その矛先は
いつも私でした

手が出るのは日常茶飯事


 
父も母も
全ての行動の基準が

「虫の居所」

だったので


何をしても

何をしなくても


何が親の逆鱗に触れるかわからない


子供の私にはなすすべもなく

私は人の顔色をうかがう子供になりました…

なんてことも全然なくて(笑)


実際の私は

理不尽なことには断固戦い

感情のまま怒り、
激しく反抗しては

母親の反撃を食らう


という子供時代。


母の反撃は
容赦なくなく

食事が出てこなくなる
学校の用事をボイコットする
集金用のお金をくれない
殴る蹴る


などなど
なんとかして、私をぎゃふんと言わせたかったのでしょう


でも、それに負けたくなかった私は

決死の攻防を繰り広げていました


ご飯が炊飯器にあれば
おかかをかけて食べ
戸棚をあさって、なにかしらでおなかを満たし


学校の用事はうまい言い訳を考えて
なんとか切り抜けて
(結局ばれて問題にされて、私が悪いことにされて、あー最悪!!)


必要なお金は、おばあちゃんや親戚のおばちゃん周りをして資金繰り
(近くに親戚がいてよかった!!)

叩かれても絶対に泣かない


サバイバル術を身に着け
ますます強くなっていく私


当時、子供の私には

父が母をいじめるから
母が私をいじめる


だから
母とのバトルを繰り広げつつも

私の中で敵は父でした


だから、、なのかな?
今思い出してみると
父とはバトルというものを
そもそもしたことがなかった。


私にとって父は

「排除する存在」


いつか

私がたくさんお金を稼いだら

母と妹に仕送りして
家から出そうと思っていました


私は結婚するから
連れてけないので(笑)


結婚して、子供を産んでも
働き続けられる仕事につかなきゃ

そのためには大学に行って
稼げる資格を取る

学費はたぶん祖父母に頼めば援助してもらえる
奨学金というものがあるらしいぞ??

やたらと具体的なんだけど
突っ込みどころ満載の人生設計を決めたのは
10歳くらいのころだと記憶しています
(愛読書は小公女セーラや足長おじさん)

2021.6追記

これを書いてから1年が経過しました

アメブロに書いたこの続きの記事も転記しようと考えていたのだけど

書きながら、途中で自分が自分についていた嘘に気がついてしまい

途中で書くのをやめていました

この1年、自分の心を深く見つめることでこの時とは違う感覚で昔を振り返っています

そのうち、書きたくなったら自分のストーリーを書いてみたいなと思っています


記事を読んでいただきありがとうございます^_^ もし、いいな。役に立ったな。と思っていただけたら、サポートしていただけると嬉しいです。制作活動の励みになります!