預言の成就とされている聖書解釈を斬る ー4 エゼキエル書はいつ成就する?
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【初めに】
エゼキエル書に関連したこれまでのレポートのまとめとして、この書が成就する時節は、聖書のタイムラインの中のどこに位置するかを考察したいと思います。
また、聖書の預言というのは予想をはるかに超えた年代の飛躍があることを承知しておかねばならないということ。
例えば黙示録には「千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され・・」(20:7) と、ハルマゲドン後の千年後、当時からすればおよそ3000年後の出来事を記しています。しかもこれが最長ではありません。
イザヤ65章には「まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する」とあり、何と当時(BC730年ころ)から3700年以上も将来の事を記しているということを念頭においておくべきだと言うことです。
エゼキエル書の全体のテーマは「イスラエルの復興、ユダヤ人の故国への帰還」です。
結論から先に述べますと、イザヤ書など他の預言書でも、繰り返し述べられている同様のこの出来事は、メシア王国の元でのユダヤ、すなわちハルマゲドン後の千年期に成就すると考えられます。
それは成就の開始時点も同様です。
そのように捉えるべき聖書的根拠についてですが、エゼキエル38,9章のまず、マゴグのゴグに関する記述に注目しましょう。
イスラエルの故国への帰還も、ゴグに対する裁きも、その預言が成就する時、人々はそこに神の働きを見、神を認めるようになる、という付随的な目的が成し遂げられます。
つまり、これこそが「目的」であり、他の詳細な出来事は、いわばそのための手段と言えます。
ゴグがイスラエルに攻め寄せるタイミングに関連して、その時のイスラエルの状況はこう描写されています。
ここで注目したいキーワードを他の翻訳からも拾い出してみます。
「剣の恐れから解放され、今は皆、安らかに」「囲いのない国、城壁もかんぬきも門もなく安らかに生活している静かな国」(新共同訳)
タイミングと状況としては、諸国から集められた後、戦争や騒乱もなく、それどころかもはや「防犯」の必要もないほど平穏に暮らしているという状況です。文字通りに取れば強盗も空き巣狙いなども、どこにもいないので、警戒する必要がない。ともかくそれほどに平穏だということを示そうとしている表現です。
ゴグはそうしたところを、突然襲うということです。
多くの牧師や、聖書預言について扱っているブロガーの方のほとんどは、このマゴグのゴグに関する預言は、ハルマゲドン直前の反キリストの行動として捉えているようです。
しかし、終末期のしかも、その最終部分で、こんな平安な状況がイスラエルに訪れるものでしょうか。1948年の建国以来、度重なる戦争や紛争の絶えない状況ですが、それらは、終末期が近づくに連れ。突如一変するのでしょうか。
70週に関する預言の、とりわけ最後の1週についてのダニエル9章の預言は、明確にそうした憶測を否定しています。
荒廃をもたらす憎むべきものと表現される反キリストの軍勢による行動を描いています。
戦いが終わりまで続き、荒廃が定められている末期に、どうやって、門も開けたまま、施錠もしない様な平穏な生活がおくれると考えられるのでしょうか。
「その国は剣の災害から立ち直り」(38:8)という部分ですが、歴史上数え切れない程の戦争があった中で、この「剣の災害」は特筆すべき最も象徴的な出来事であるはずです。
それは西暦70年の国家破滅、ユダヤ人離散に匹敵する出来事でしょう。
しかし、それ以来未だ「立ち直って、安らかに住む」ようにはなっていません。
どう考えても、明らかにこの「剣の災害」は、ハルマゲドンに至る「肉なる者は誰も生き残れない」と表現されている「大患難」の出来事に違いありません。
イスラエルに定められているのは、荒廃に至るまでずっと戦いが続のですから、マゴグのゴグに関するエゼキエル38,39章はこの終末期には成就し得ない、ということです。
やはり、エゼキエル書で言及されているイスラエルの帰還は、千年王国の時代に入ってから行われ、そして、千年期を通して、歴史上経験したことのない平穏を楽しみ、神により養われた後、「多くの日が過ぎて(38:8)」千年の終わりに、マゴグとゴグの攻撃があるという、黙示録22章に示されるタイミングでなされると捉えるべきでしょう。
エゼキエル書の成就は、その全体のテーマからも、また聖書中の様々な箇所でも約束されるイスラエルの帰還と復興と平穏、神の主権の回復、異邦諸国民からの帰依と信頼など、これが成就するのは千年期以外にはあり得ません。
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