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〘メインマガジン〙自由と開放を告げ知らせる【ヨベルの角笛】

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このマガジンはメインのマガジンとなります。 千載一遇の聖書研究サイトへようこそ! 心理を探求するあなたの訪問を心より歓迎します。 先入観を捨てて、聖書を素直に、廉直な思いで読ん…
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#救い

「神経」の働きや目的から見る、人の痛みや苦しみに関する創造者の意図を探る

「なぜ、人生には苦痛や苦悩がつきまとうのか」というような言葉を一度ならず聞いたことがあると思います。 そうした疑問に対してあなたなりの解答を見出されましたでしょうか。 あるいは「キリスト教」では、神を知らずに死んだ人は、永遠に地獄の苦しみに責め苛まれると教えています。  ■「神経」に関する概要 さて、「精神的苦痛」という表現もありますが、ここは分かり安く、文字通りの物理的痛みについて扱ってゆこうと思います。 「痛み、苦しみ」を感じるのは何故ですか。それは言うまでもなく「

「万人救済」に関する聖書的根拠について

「万人救済? 何をおめでたいことを言ってるんだ! 気は確かか!」 あなたはこんな事を言われたことがありますか? 世の中にはすごい暴言を吐く人がいるものです。しかしそれにもめげず、今回はこれをテーマにしてみようと思います。 「万人救済主義」という言葉があるようですが、ご存知ですか。例えばこんな風に解説されています。 一口に「万人救済」と言っても様々な見解があるようですが、共通しているのは「すべての人間はすでに救われている」ということになっているようです。 まあそういうこ

あなたは「狭い門」から入りましたか?

《狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。》(マタイ7:13,14 新改訳)  《努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。》(ルカ13:24)  まず、ここに少数グループと多数グループの2つのグループがあることが分かります。 「入ろうとする」(クリスチャンを自

「義人が辛うじて救われる」とはどういう意味ですか

《義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。》Ⅰペテロ4:18 様々な、どの解説を見ても、クリスチャンにとってさえ「神の裁きの日」に救われるのは極めて過酷なものであるという見解で共通しているようです。 果たして本当に、この聖句はそうしたメッセージなのでしょうか。 ここで「救い」と訳されている語は「ギ語:ソゾ(動詞)」です。 聖書中に「救い」という2文字を見出すと、すぐに、罪からの開放、つまり神との正しい関係の回復、恒久的

「天国」は未だ存在していないという聖書的根拠

※↓はこの記事の音声ファイルです。朗読を聞きながらお読みいただけます。 今回のテーマは「天国はいつから存在するか」というものですが、大昔から、「善人は死んで天国にゆく」という素朴な概念が日本にはあるようで、殆どすべての人にとって「天国」はなんとなく永遠の存在で、いつから存在するかなどという考えさえ浮かばない、時間を超越したイメージなのかもしれません。 「天国」に関する一般的に広く見られる誤解「天国とは」と検索すると、様々な説明がありますが、単語の意味としての説明を一例と

神のご意思と[キリスト教]の矛盾点? ー 人は死んではいけないのか。死ななきゃいけないのか。

※↓は、この記事の音声ファイルです。再生させながら、記事をお読みいただくことができます。 「現実がどんなに辛くても、死んだ後天国に召され、神のみそばで永久に過ごすことができる。」 そんな願いを言い表すクリスチャンの方は少なくないようです。 すなわち、そのひたすらな願いが叶うためには、当然、人は死ななければなりません。 では、逆に考えてみましょう。人が死ぬのを待って、天国に招くことが、神の願い、あるいは目的なのでしょうか。 ここで、「人の願い」と「神の願い」を比較して見たい

神の怒り」の表明の真の目的と成し遂げられる事柄

ハルマゲドン、大患難の際に数え切れないほどの人、クリスチャンとならなかった何億人もの人が無残な仕方で死に絶えるというイメージを持つ方も少なくないかも知れません。 実際、ほとんどのキリスト教会はそのように宣教(宣伝)してきたからです。しかし私はそれを明確な聖書的根拠を持って全否定します。 次の3部作からなるPDFをお読みください。

永遠の命を得ることはクリスチャンになることに依存しないという聖書的根拠part1

「救い」のシンプルな構造 基本的な概念として「救い、救済」とはどういうことでしょうか。 例えば「治療」とは病気の人を健康に戻すことです。 「元気」になるとは元々の気、活力を取り戻すことです。 結局の所、本来の姿、あるべき状態に「戻す」ことに他ならないでしょう。 これらはなんとなく聞いているだけなら、そりゃまあそうに違いない。という感覚で受け止めるでしょうが、深く考え始めると、どれもみな「程度問題」の関わる漠然とした、人の受け止め方で如何様にも判断され、こんなもんだろう。い

みんな勘違いしている。「滅び」とは「拒絶」であり、死を意味しない。

まず始めにマタイ7:13,14を引用しておくことにしましょう。 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」マタイ7:13,14 辞書を引くまでもないかも知れませんが、一応はっきりさせておくことにしましょう。   ほろ・びる【滅びる】-デジタル大辞泉 1 なくなる。絶える。滅亡する。 2 すた

「狭い門」に関する、間違いだらけの一般解説を斬る

マタイ7:13,14の「狭い門」に関する理解に多くの間違い、勘違いがあるようなのでここに簡単に纏めてみました。 端的に言うと着地点と門と道の位置関係ですが、ほとんどの解説から、門を入った後、長い道のりがあるというイメージを抱いているようです。 門と道はそれぞれ2種類あります。 《…滅びに至る門は大きく、その道は広い…いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はま れ…》(新改訳) このイラストでは手前左に広い門、右に狭い門があり、そこから長い道の末にそれぞれの