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夢中を増やすオンナの全力自己開示

はいさーい!はじめまして!ヨザイズミ(@motivate29)と言います!
現在社会人2年目で20歳前後の若者に教育をしています。
ヨザイズミは何者なのか?
なぜ若者に教育をしているのか?
今後どういう世界を実現していきたいのか?
について話したいと思います。


生きている意味が見出せない幼少期 

私は5人兄弟の末っ子として沖縄で産まれました。
5人兄弟の末っ子って「超可愛がって育ったでしょ?」
とよく言われますが、もう全くもってそんなことなくって。。。
両親は周りに「動物を5匹飼ってる」と言うほど癖の強い家族で、もう毎日がサバイバル。
末っ子の私は1番弱くて毎日喧嘩のターゲットにされてました。

当時両親が共働きだったので家で一人でいることが多かった私は
孤独を感じることが多く「何のために生きているんだろう?」
と5歳で生きてる意味を問うことが多かったです。


優等生から警察にお世話になる劣等生へ


小学校に入学してからは友達がたくさんでき人生が楽しくなりました。
また、家だと弱い立場だったので誰かに承認されたい!という思いが強く色んなことを頑張っていたと思います。
小学校時代の「学習帳(頑張りノート)」は常にクラスで1番。
テストはだいたい100点、陸上の選手にも選ばれ学級長を務め、そろばん、ピアノ、習字、塾、空手を習って、いわゆる優等生だったと思います。

しかし、小学校4年生になってからでした。
悪いことをすることに楽しさを感じたのです。友達と学校の規則を破ったり、先生に悪さをしたり、人のモノを盗んだり、警察を呼ばれたり。今だから笑って言える話ですが、かなり恥ずかしい過去です。早めの中二病だったと思います。(笑)

そんなある日のこと、親が学校に呼ばれ泣きながら先生に謝罪することがありました。家に帰ってから初めて親にビンタをされ、その時自分ってかなりヤバイ奴だと気づいたんです。(気づくのかなり遅いですがw)

そこから改心することを決意しました。
「親に迷惑をかけて泣かせてしまったから次は嬉し涙を流させたい!」
そこで勉強で1番をとることを決めました!
中学校になり、必死に勉強を頑張りましたが、席次はいつも学校で10番前後。
兄、姉が席次を1番をとっていたので、どんなに頑張って良い成績をとっても
「何で簡単なミスをするの?あともう少しだったのに、、」
と言われ褒められた記憶はあまりありません。

そこで、気づいたんです。私は勉強で1番を取ることはできない。
それから中学2年生で自分が1番得意なスポーツで1番を取るという目標に変えることにしました。


挫折を乗り越え5年かけて叶えた夢 


部活で1番をとり全国大会に出る!そう決めた私は「進学校に行きなさい」と言う親の意見に背き部活と勉強を両立できる学校を選びました。
高校生のうちに絶対に目標達成する!そう固く決意しました。
しかし、強い部活と聞いて入ったダンス部は学校一嫌われていて何かあればすぐに部停される部活でした。

これじゃ目標を叶えきれない。変えなきゃ!
自分の世代でも変えようと思い、入部して1ヶ月たった頃、40名以上の同級生部員に全国大会出場することを目標にやっていこうという話をして部活生活をスタートさせました。(1年生の頃は部長ではなかったので、かなりでしゃばってたと思いますw)

それからは部活だけでなく学校生活から改善していきました。挨拶、身なり、清掃の徹底、練習メニューも変えて、沖縄のダンス界を盛り上げてきた方にアドバイスをもらいに行ったりしてもう毎日を全力で生きていました。

しかし、努力はなかなか報われず大会で結果は出ませんでした。
ストレスを抱え込みすぎて何故か涙がずっと溢れ出てきて学校を早退させられる時もありました。
優勝候補だった大会で負けた時は人生で初めての挫折を経験し、もう頑張ることを辞めようともしました。

そんな時、学校一ダンス部を嫌っていた体育の先生がこれまでの頑張りを認めて
「自分が顧問になりたい!」と言い出して、サポートしてもうことになりました。
その先生が携わるようになってからはメンタル面がかなり強くなりました。
そこから応援してくれる人が増え、たくさんの支えがあって最後の大会まで全力で駆け抜けました。

そしてついに最後の大会で優秀賞を受賞し全国大会出場のチケットをGetしたのです。
賞状とトロフィーを審査員長からもらった表彰式の瞬間は今でも昨日のことかのように鮮明に覚えてます。
そして、その日の夜は嬉しすぎて朝までずっと涙が止まりませんでした。笑

結果、元々1番をとることの目的であった「親に嬉し涙を流せる」は達成できませんでした。むしろそこはもう気にしてなかったと思います。

しかし、気づいたんです。
本当に達成したい目標や夢は絶対に叶えきれるし、その過程は夢中で幸せだということを。
幼少期の頃に抱いていた「何のために自分は生きているのか?」の答えはきっとこれだなと。 


叶わない夢はないが、夢を叶えづらい環境は存在する  


大学生になってからも常に目標を持って夢中に生きることをモットーに色んなことに挑戦していました。
その中でも私の人生を大きく変えたのが、大学2年生でフィリピンの語学学校に英語を勉強しに行った時のことです。
初めて足を踏み入れた発展途上国は土地、食べ物、生活スタイル、全てが新鮮で血が騒ぎました。その中でもフィリピン人の友達の一言が私の人生を変えました。
「夢なんてもってても意味ないよ。」
これは語学学校で働いていたフィリピン人の友達が解雇になった時に発した言葉です。夢があっても貧しい家庭を養うために違う職業を選ばないといけない。叶えたい夢があってもお金がないから無理。

叶わない夢はないと思っていた私にはこの言葉が衝撃的でした。
「環境のせいにするな、全部自分次第」のニュアンスのようななことをよく言われたりしますが、この状況はまた別だと感じすごく問題意識を持ちました。

この出来事をきっかけに漠然と「どんな環境に生まれた人でも夢中になれる環境を創り、夢中な人を増やしたい」と思うようになりました。
そこからキャリア教育に興味を持ち、日本だけでなく東南アジアでキャリア教育をして大学生活を過ごしていました。
 


世界中に夢中な人を増やすことを目指して
 


気がつけば、就職活動をする時期になっていました。
自分自身は何者で、どういう人生を送りたいのか?
仕事を通して何をしたいのか?
これを何回も考えて自分自身と向き合いました。
その答えは大学2年生の頃に感じたこととは変わらない、
「世界中に夢中を増やす」これにつきました。

そこから就活中に出会った20歳前後の若者に教育をしていて東南アジアにも
進出している今の会社で働くことを選択しました。 

「世界中に夢中を増やす」これは簡単なことではなく、壁にぶつかりながらも日々全力で励んでいます。
色んな問題にぶつかっている学生に寄り添い、夢を叶えられるように全力でサポートする。
長期的に学生が大きく変わる姿、努力が報われた瞬間を見れるのはこの仕事の醍醐味であり、人生のミッションにも繋がっています。
その一方で私の一言で目の前の学生の人生は良くも悪くも変わります。だからこそ、日々使命感を持って全力で学生と向き合っています。

まだまだ未熟でもっともっとスキルアップをしていかなければと感じていますが、今後は目の前の人だけでなく、私の手に届かない人にでも夢中になることの楽しさを伝え、夢中になれるきっかけを自分の手で創っていきたいと思っています。
そのために夢中になれる仕組み作りを自分自身で創れるようになる必要があります。
生き方が多様した今日、自分で「幸せ」の意味を定義し、選択して生きていかないといけない世の中になってきています。自分の感情に素直になり、夢中な人生を送る人が一人でも多く増える世界を実現していきたいと思います。そのために今日も全力で目の前の人と向き合います。

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