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変わる中央通り、変わる家、変わる祖母

後悔をしない人間はいないと思う。
後悔してないと言い聞かせることは出来るし、言い聞かせ続ければそれは本当になることもある。
でも一瞬たりとも後悔をしない人間はいないと信じている。

「後悔したから、次はこうしよう」
そう思ってもなかなか出来ないのが人間、殊更人の衰えや、死に関することは。
大好きな人の死は何回経験しても心がズタズタになる。
衰えていく様子も経験した。
人の脳が衰える様を見ることに慣れていなかった。後悔をしたこともなかった、今日までは。
既に居ない祖父2人と祖母1人、大伯父はいずれも大往生で身体の衰えが来てから脳が衰えた。
存命の祖母は認知症になってから長かった。私は徐々に色々なことを忘れていく祖母を見るのが辛くなり、祖母に会いに行く回数が減った。会わなきゃ、と思う心と、会いたくないと拒否する心が混在していた。

会いたくなかった。私のことを覚えている祖母のまま、私の記憶を終わらせたかった。
本当に会いたくなかった。でも会わなければ後悔することはわかりきっていた。
久しぶりに行った日吉駅は様変わりしていた。
グリーンラインが出来て以降は差程変わらない様子の改札内と、駅を出たところの中央通りの見慣れない商店に、脳が戸惑った。
「こんな店知らない」と母に言いながら、何度も歩いた道を歩いた。恐らくこれで最後になるであろう道を。
歩きたくなかった。家に行きたくなかった。
私のことを忘れているであろう祖母に会いたくなかった。

私は、改札内に取り残されていた。
小学生の頃、学校の帰りにおばあちゃまの家に行くために日吉駅で降りると、改札の外でおばあちゃまが待っていた。手を広げて、にこにこして「よく来たね」と迎えてくれて、家まで徒歩10分程度の道を、学校の話や、本の話をしながら歩いた。
おばあちゃまによくFAXを送り、その返事を楽しみにしていた。
家に行った時に「これを描いたのよ」と見せてくれる絵葉書が大好きだった。
庭に面した大きな窓の横のソファに座り、何を見るでもなく陽の当たる庭を眺めているおばあちゃまが大好きだった。
その頃の私が、今を認めたくないとぐずっていた。
私は小学生のままいてはいけなかったのだ。
気付くのが遅過ぎた。
大好きなおばあちゃまが変わっていくのを、受け止められる大人になっていなければいけなかった。
後悔してももう遅い。

祖母の家は、殆ど同居している叔父の家になっていた。
家の中も様変わりしていて、中央通りを思い出した。
それでも随所に祖母の家の欠片が残っていて、それだけで涙が出た。
変わっていく中央通りと、変わっていく家と、変わっていくおばあちゃま。
これで家にいる祖母に会うのは最後だと言うのに、私はまともに祖母の顔を見られなかった。

祖母が寝る直前、電気を消す前「そちらはだあれ?」と言ったので「○○(母の名前)の娘だよ、孫だよ」と返事をしたら、「○○の娘…孫…、○○の娘…」と呟いているのを見て、何度目かになる涙が溢れてしまった。
どんな意図があったのかはわからない。ただ言われた言葉を反復していたのかもしれない。
でも私の目には、思い出そうとしているような、思い出そうとしてもできないもどかしさに苦悶しているような、そう見えた気がした。そうであってほしかった。

後悔をしない人間はいない。
これを美談にするつもりはさらさらない。きっと私は一生このことを後悔して生きていくのだろう。
これからも重ねるであろう後悔を少しでも軽減させようともがきながら、今日の感情を忘れないだろう。
変わっていくおばあちゃまに気付かされたことを、私は忘れてはいけない。

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