世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか-経営における「アート」と「サイエンス」-を読んで
白状します、『どうせ「コモディティ化するから差別化するためにデザインに力を入れたほうがいいですよ本」「機能より情緒ですよ本」「だからビジネスにも感性が大事ですよ本」でしょ』って思ってました。すみません。(機能と情緒の両方の価値があることはド正論ですが、昔からよくある話だよね、で読まなくてもいいかなと思ってました。)
この本の要約
は色んな所でされているのでリンクを張ります。
読んでなるほど感あったところ
・クラフト(実装力、経験)サイエンス(立証)だけで突き進むと倫理観のチェックが入らないプロダクトが生まれることになるよ。
・アート(美意識、美的感覚)が先導してクラフトとサイエンスが支える構図だよ。
→どれかを蔑ろにしているわけではない。
・ハンナ・アーレント「悪の陳腐さ」「悪とは、システムを無自覚に受け入れること」、(ex.オウム真理教、三菱自動車リコール隠し、ナチスにおけるアイヒマン)
仮に優秀であったとしても倫理観のない優秀さは悪事を引き起こす。
→ちょっと発展させて考えるとこの優秀(アート的優秀、クラフト的優秀、サイエンス的優秀)はどれかに優劣はなくて倫理観をアップデートし続けない姿勢の下の優秀さが悪を生み出すと考えてもいいと思いました。
ここで大切なのは「ビジネスでは論理的思考はもう古いですよ」「直感力や発想力が大切ですよ」というロジックにとどまらない部分で、真善美を意識しつづけること、倫理観のアップデートを促しているところ
現代の日本では「クラフト(実装力、経験)サイエンス(立証)が優勢すぎてアート(ヴィジョン、美)が評価されてない(定量的なKPIに偏重した評価)」こともなるほど感ある言語化。この辺は教育業界も同じ問題を抱えていると思います。
個人的なモヤモヤが解消されそう
・個人的に「これからはAIの時代だから勤勉性(真面目、思いやり、集団性、我慢強さetc)<創造性(好奇心、自己中心性、独立性、即興性etc...)だよ、仕事なくなるよ」「真面目な食いっぱぐれるけれど、好きなことやってる人は食いっぱぐれないよ」言説はあんまり信じてません。
・というのは生きていて勤勉性(他そういった類の特性)に人類が支えられる場面はいくらでもあるから。たとえば.災害の時に我慢強さや協調性、集団性はとても大事。同時に平時には創造性は投資として将来の平和を生む可能性もある。なんなら平時だって勤勉性は避難されるべきことではない。職業や職能としての変化はあれど、特性は特性として存在していて、優劣があるわけではない。指向性の違いです。
・この本では倫理観のアップデートの元に物事を動かすことが大切と描いています。デリダの脱構築にもつながる話だと思います。
・大事なのはどの特性も社会という系に対しての要素であって、相互的なものであるという事実から議論を始めること。できるならそれぞれの要素が互助的であってほしいとも思います。
・「どちらかの特性のほうが大事」言説は中身が変わっているだけで言説の構造自体は変わってないので近代的な発想に留まっていると思ってしまいます。
・結構この二項対立に見えるようで二項対立でないこともよくある気がするし、二項対立なものは慎重にいたいスタンスです。
・同時に二項対立で見せることも(考えることも)物事をうまく言い表せられることもあることを知っています。ここらへんが難しい。
・残念ながら僕自身は勤勉でもないし、我慢強くもないし、協調性があるわけではありません(これを「残念ながら」と言っているあたりに反省の色が見えているかどうかは不問としてください笑)。それは特性であってそれ以上でもそれ以下でもないですが、実際に迷惑をかけることもあります。なんなら迷惑をかけたことに気づいていない可能性もあります。
・同様に何かを創ることや拡散的な思考、別領域からの類推は苦手ではないと思っています。他にも「場面によっては強みになる特性」を持っているかも知れません。上記同様強みだと気づいていない可能性もあります。
以下はこの本に書いてあることではないけれど、
個人的に大切にしたいのは誰かが悪い特性を持っていて、誰かかいい特性を持っているということではないということです。マイノリティ<マジョリティでもないし、マジョリティ<マイノリティでもないと思っています。
特性が生かされるか殺されるかは状況と環境次第だから今の状況と環境下で生きている者同士お互い助け合って、健全に生きて、なるべく楽しく、できれば学びがある日々を過ごしたほうがいいですよね、ということです。
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