無知は罪、博識は罰か

私はこれを、「アリジゴク現象」と呼ぶ。

アリジゴクとは。
砂の地面にすり鉢状の巣を作り、中心で待ち伏せしては蟻などの虫を捕らえる。ウスバカゲロウ科の幼虫。

無知は罪

知らないことは、罪である。
やり方を知らない、楽しみを知らない、職種を知らない。…etc
知らないことで得られない物は沢山ある。つまりは「坎井之蛙な状態」になるという事だ。
ぼんやりとした職種につき、ぼんやりとした趣味をする。ぼんやりとした未来でぼんやりと死んでいく。
物事の本質を考えれず死んでいく。
無知はその人の人生を薄っぺらいものにしてしまうのだ。
そしてそれは「情報社会に生まれた人間」として、「罪」が渾名されるのだ。

博識は罰

多くを知る事は、罰である。
やり方を知る。楽しみを知る、職種を知る。…etc
知る事で得られる物は沢山ある。つまりは「博覧強記な状態」
になるという事だ。
色んな仕事を知り、色々な趣味をする。しっかりとしたプランの将来で確立され死んでいく。
色々な本質に触れ死んでいく。
博学はその人の人生を厚いものにしてしまうのだ。
そしてそれは「本質を知りすぎた人間」として、「罰」が降りかかるのだ。

蟻になった私

私はゲームが好きだ。
大学3年までずっと深夜までゲームをしていた。
私の知っている世界は、それだけだったのだ。
いや、様々な要因からこれ以外を知りたくなかったのだ。
テキトーに仕事を探して、テキトーな趣味をする。テキトーに卒業して、テキトーに死んでいく。
そんな人生でいいかーと自分に罪を渾名した。
だがある日、私は知識を求めるようになった。
井戸の中に居たカエルは、井戸の外に興味を持ったのだ。
絵の企画に入った、色んな職種を知った、色んな人間を知った、色んなクリエイティブを知った、色んな…色々を知った。
私は罰を受けた
大学四年生の春、ハッと気づいた。
それは、「自分が飲まれている事に気が付いた蟻」の様に。

アリジゴク現象の本質

罪と罰が入り混じる時、アリジゴクは突如として生成される。
そして螺旋中腹の状態に取り残される。
知った時の辛さ。
知らなかった頃の楽さ。
その全部が一挙に流れ込んでくる。
「アルジャーノンに花束」だと思ってくれればいい。
変に色々知ってしまったおかげで、私の無力さ、私の怠惰さ、私の何も無さに気づいてしまったのだ。
こんなことならいっそ知らなければ良かった、ゲームで惰性的に人生を浪費していれば良かったと思う事もある。
本当にしたい事、できる事、しなければならなかった事。その全部を
「考えれるだけ」の人間が生まれてしまったのだ。
それらをやろうとした時にはもう、遅いのだ。

飲まれたその先は

まさにジゴクだった。
頑張ってやった所で手が届かない、だが意識は高いのでがむしゃらに頑張る。そして現実に無力さを叩きつけられ絶望し、嘆く。
こんな事を繰り返してる内に、私はどこかおかしくなってしまいながらも、がむしゃらに生活している。

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