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映画感想メモ『ブラック・ウィドウ』

まずは内容に触れない感想から。
本来なら去年の5月に公開されていたはずのこの映画。しかも自分にとっては、短期集中で過去作を履修してすぐのタイミングで、初めて劇場で観るMCU映画になるはずだった。だから何はともあれ、「やっと観れた……」というのが一番最初の感想だった。

で、肝心の内容について。
事前の触れ込みでナターシャ/ブラック・ウィドウの過去に迫るというのは知ってたけど、幼少期から人生の転換期、そしてまさか死後にまで手を広げて全部描ききってくるとまでは予想だにしてなかったから実に満足。なぜ今このタイミングでナターシャ・ロマノフがフィーチャーされたのか、という部分にもしっかり納得させられた。エンドゲームまで追ってた人は絶対見るべき。


以下ネタバレあり



今回何が良かったって、やっぱり事前の宣伝でも強調されていた“家族”との関係。冒頭のシーン、幼ナターシャが“妹”と遊び“母親”と会話するシーンがあまりにも“家族”すぎて、後にナターシャがはっきりと口にするまで、潜入任務用のニセ家族であることに気づくことができなかった。

そしてその後の“家族の再会”のシーン。当時まだ幼かったナターシャやエレーナはともかくとして、いい大人のアレクセイやメリーナにとって「3年間」というのはかなり短い時間だったと思うのだが、それでもその期間演じていた“家族”という関係性を今も持続しようとし続ける努力(とりわけアレクセイ)にはぐっときてしまった。確かに本来は仕事のためだけの偽装の関係だったかもしれないけど、少なくともその間は本当の家族のように思っていた、というのは、ベタだけどやはり良いものだ。


そして、そうこうしている内に敵が何者なのか全容が見え始めてくる。今作のメインヴィランであるドレイコフは、身寄りのない少女を拉致、洗脳し、“ウィドウ”と呼ばれる女性戦士に仕立て上げて完全に支配しているというのだ。そんなドレイコフの手からウィドウたちを解放するのが今回の主な目的となるのだが、その件(くだり)を見たとき、シンプルに流石だなあと思ってしまった。

MCUはヒーロー・コミックが原作の映画群だが、ヒーローが立ち向かうべき悪とは何かを突き詰めていった結果なのか、社会派のテーマに真っ向から切り込むことが多々ある。キャプテン・アメリカシリーズやその続編に当たる『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』がその好例だ。

そんなMCUが、「シリーズ初の女性戦士」を主人公に据えたストーリーのテーマとして選んだテーマが、「支配された女性たちの解放」だったのだ。あまりにもど直球すぎるような気もするが、それでこそMCUということなのだろう。


最後に、やはり触れざるを得ないのが、コロナ禍による度重なる公開延期について。本来の予定では、この映画は「フェーズ4」の第一弾として、現在ディズニープラスで公開中のドラマシリーズ群に先立てて公開されるはずだった。MCUの大きな売りの一つは、一見関係なさそうな作品同士のリンク構造だから、見る順番が変わればその受け取り方が変わることも十分に予想される。

じゃあ、実際大きな予定変更をされた今回の映画はどうだったかというと、結論から言えば当初の予定通りの順番で見たかった

本来の予定ならこれの直後にドラマ『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』が来るはずだったのだが、そこで大々的に扱われた「スティーブ・ロジャース以外のスーパーソルジャー」とか、「時代が合わない“キャプテン・アメリカ”」とか、「怪しげな謎の人物ヴァレンティーナ」とかの要素が『ブラック・ウィドウ』に匂わせ程度に登場している。本来ならここで匂わせておいてファルコン&ウィンター・ソルジャーで爆発させる予定なのだろうというのが明らかにわかってしまったのが正直なところ悲しくてしょうがなかった。


(見出し画像出典:『ブラック・ウィドウ』公式サイトより)

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