偶然性が世界をつなげる
僕は頻繁にiPhoneを見る。
電車に乗ったとき、授業を聞いているとき、布団に入っているとき。ふと時間ができたときにiPhoneを見ないと落ち着かない。僕にとってiPhoneは体と一部と言ってもいいくらいだ。きっと僕以外の現代人も似たような状況だろう。iPhoneを開いてまず見るのは、Twitter、instagram、facebookなどのSNSだ。
SNSを見ていると、世界は自分側に近づいているように感じる。
LGBTや障がい者などのマイノリティが活躍しているし、クラウドファンディングで想いを持つ人を支援する空気感が広がっているし、社会貢献活動をする起業家が増えている。
ただ一方で、某ニュースサイトのコメント欄を見ると、世界は自分側から遠ざかっているように感じる。
「こんなの、自己責任だろ」「LGBT側ももっと許容するべき」「日本の恥だから厳罰に処すべき」
見るSNSが違うだけで、正反対の方向を向いている。なぜだろう。
現代社会では様々な考え方が許容される。個々人の意見や考えがSNSで見える化されると、人は居心地の良い自分と同じ意見だけ耳に入れようとする。Twitterでもわざわざ反対意見の人をフォローしている人は少ないはずだ。自分と趣味が似ている人、好みが似ている人、尊敬できる人をフォローする。サイトが勧めてくるおすすめユーザーも似たような人だ。そうして僕たち現代人は、自分の嗜好性に基づいて、世界を見たいようにしか見えなくなってしまう。個々人の多様性が失われ、自分と違う意見を認める寛容さが社会全体からなくなってくる。ついには、意見同士の断絶が生まれる。これを「フィルターバブル」というらしい。
フィルターバブルはいたるところにある。
選挙戦になると、保守派ではリベラル派を叩くツイートがリツイートされ、リベラル派では保守派を叩くツイートがリツイートされる。ワクチン反対派ではワクチンによるデメリットを語るツイートがリツイートされ、ワクチン推進派ではワクチンのメリットを語るツイートがリツイートされる。
意見の同じ人同士で集まり、意見の違う人を攻撃する現象は、SNSの至るところで見られる。どこか嫌な感じだ。
(どうしてフィルターバブルは生まれてしまうんだろう……)
僕は少し悲しい気持ちになった。
僕は目を落とし、Twitterのタイムラインをみる。
「このツイートで救われました。ありがとうございます!」
誰かが誰かを応援する素敵なツイートが並んでいる。
フィルターバブルにもいいところはあった。
同じような意見の人といると、居心地がいい。
単純なことだ。
違う意見は排除される時代からすると、例え職場や学校に同じ意見の人がいなくとも、SNSで自分の意見を認めてくれる空間があるということは救いに近い。認めてもらえる空間にいることは、居心地がよく、気持ちがいいし、幸せだ。
ただものには限度がある。同じ意見の人が集まって居心地のいい空間になることが行き過ぎると、違う意見の人を排除することにつながりかねない。そうしてフィルターバブルが加速していく。
(フィルターバブルをなくすいい方法はないだろうか……)
考えても答えが浮かばなそうだったので、僕はまたiPhoneを開いた。
SNSの他に僕はWikipediaをよくみる。
スターウォーズのことを知るつもりだったのに、いつの前にかウォルトディズニーのロビー活動について調べていた。なんてことがざらにある。なぜだろう。
僕の使い方はこうだ。
スターウォーズの映画が公開される前に調べておこうと思う。スターウォーズと検索する。ざっと目を通すと、配給元のルーカスフィルムがウォルトディズニーに買収されたことでエピソード7以降が作られたことを知る。ウォルトディズニーという会社を知りたくなりクリックする。そうすると、ウォルトディズニーは、ミッキーマウスで知られる大企業だが、ミッキーの著作権を手放したくないためにロビー活動をして何度も著作権延長を勝ち取っているらしいという事実を知る。ロビー活動とはどういうものなのか知りたいがためにまたクリックする。
何も最初からウォルトディズニーのロビー活動について調べようと思っていたわけじゃない。偶然、ウォルトディズニーの項目を目にしたから、クリックしてしまったのだ。
(偶然性は、フィルターバブルをなくすことに使えるはず……)
ワクチン推進派が偶然、反対派の心情を書いたブログを目にする。リベラル派が偶然、保守派の新聞記事を目にする。
目を向けたところに記事があり、ちらっと読んでみたら、違う意見も意外と一理あると思うかもしれない。
「論理的には自分が正しいが、被害を被っているその人の立場を考えるとこういう意見も尊重しないといけないな」「感情的に話していたけど、確かに冷静に考えると、この意見は論理的だな」
偶然性は、考えるきっかけを作る。
だから、ニュースサイトにあえて普段勧めない記事を勧めるようなサイトが出てきたり、SNSでも違う意見の人をおすすめユーザーにしたりすると、フィルターバブルが少しでもなくなるんじゃないかと思っている。
真正面からぶつかり合って、意見の落とし所を見つけるという方法もあるかもしれない。でもSNSで分断された社会において、お互い世界を少し垣間見えるような仕組みづくりこそ大切だと思っている。
偶然性が世界を繋げる。僕はそう信じている。
(photo by hiroki yoshitomi)
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