泣きじゃくる午後

泣く子と遭遇する午後4時半

 私は泣く子によく遭遇する自信がある。ちょうど4時くらいに散歩すると、泣く子を見つける。家族や友達と喧嘩したのか、それとも先生に怒られて泣いているのか、理由は分からない。誰かに慰められるわけでもなく、ひたすら涙を流しているのだ。

この時間帯は下校の時間帯と被るからなのか、それとも子どもたちが路上で遊ぶのにちょうど良い時間だからなのか、4時の路上には泣く子が歩く。

何も事情を知らない私が声を掛けるのもおかしな話だし、と思って素通りするのだが、声を掛けるべきだったのか常に悩んでしまう。このご時世では声をかけないのがベターな選択だということは理解しているのだが、泣いている子に手を差し伸べないのはどこか引っ掛かる。

私も子供の頃はよく泣く子だった。先生から軽く叱責を受けたことを思い出して下校中に涙を流したり、友だちに約束を破られただけで部屋に籠って泣いていた。

泣く時間というのは、どうにでもなれという自暴自棄の気持ちと甘い感傷が混ざった、奇妙な質感を伴う。早く涙を拭いて立ち上がりたいと思う一方でずっとこのままでいたいという誘惑に負ける。涙が乾いたころには、もうすっかり元気で、なぜか気持ちよいのだ。

あの子たちもきっとそんな気持ちなのだろうか。なにも事情の分からない親に余計なひとことを言われて落ち込まないために、遠回りして帰っているのだろう。

そんな想像をしながら、夕方買い出しに出かける。

買い物途中でおとなに怒られる

なんというか、私は怒られることが極めて苦手だ。誰だって怒られるのは好きではないだろうが、私の場合はその傾向が顕著で、怒られると反射的に涙が出てしまう。

先日、外出した先でおとなに怒られた。バイト先で怒られるならまだしも、よく知らない人間に怒られてしまったので面食らった。すごい剣幕で怒られたので、思わず泣いてしまった。

泣き顔は見せまいとダッシュでその人から離れたものの、悲しくて涙が止まらなかった。

もう私も成人しているはずなのに、泣いてしまう癖はどうしても直したい。社会人になるにあたって真っ先にやめておきたい癖がこれである。

感受性が豊かな証拠です、と優しいことを言ってくれる方もいるものの、これじゃいけないなぁと思いながら日々を過ごす。

買い物から帰ってくる時に泣きながら自転車を漕ぐ女の子を見た。かつての自分を重ねるようで、もどかしくなった。

いや、まだ過去の話じゃない、早く泣く癖を無くすまでは。

noteを始めた

noteを始めました。

内容はさしてはてなブログとは変わらないと思います。ゆるく、自分の考えたことを述べるために開設しました。

これからも書いていきますね。

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