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広告代理店時代の働き方(ずっと書こうと思ったけど、まとめ方が難しかった記事です)

私は、2000年代後半に某大手広告代理店に新卒で入社をしました。当時の働き方について、何度かnoteで書こうと思っていましたが、正直、今の世の中の基準で考えた時に、コンプライアンスの概念皆無な内容になってしまうので、ずっと下書きに熟成させていました。色々と考えに整理がついたので、今日は広告代理店の昔の働き方について書いてみたいと思います。

よく働き、よく遊ぶ

広告代理店時代、本当によく働き、よく遊んでいました。
当時冗談で、勤務時間は、9時5時(両方午前)と言って笑っていました。実際、3ヶ月くらい毎日そんな勤務時間の事もありました(正確には経費精算の見た目上、深夜料金でタクシーに乗れる4時50分くらいに会社を出て、シャワーを浴びに帰っていましたが・・・)。そんな時期を除いても、会食などなければ、平均的に23時くらいまで仕事をしていました。会食からオフィスに24時に戻って仕事や26時台にペヤングが平常運転。新卒1年目に、体重20キロ増量にも成功しました。夜中の2時の上司からの電話を取れず、ケータイを抱えて寝ろ!と怒られた事も懐かしい思い出です。最も、「いつケータイ充電する?」と突っ込みたくて仕方なかったですが・・・
とにかく働いていました。

一方で、沢山遊んでました。23時に恵比寿集合で飲み!なんて日常茶飯事。今では都市伝説としか聞こえないですが、24時集合でCAさん集めてお店貸切合コンなんて遊び方もしていました。今だからできる罪の告白ですが、勿論、合コン代も全て経費にしてました。バレないように原価参入をしたり・・・そう言った遊び代をうまく捻出できる営業が仕事のできる営業と評価される風潮がありました。実際に上司の飲み代の精算に貢献して出世した人もいました。
勿論、合コンやデート中も仕事の電話はかかってくるので・・・仕事の電話が入れば、一気にモードを切り替えて仕事対応!文字通り仕事も遊びも頑張っていました。

勿論、そう言った働き方は相応の犠牲の上成り立ちます。削っていたのは睡眠時間。その結果、身体を壊してしまいましたが、そうなってしまった事にも後悔はしていません。クレイジーに聞こえるかもしれませんが、太く短く生きてその後のことは後で考えれば良いくらいの考え方でした。
私自身、その後、いくつかの外資系企業での勤務を経て今に至ります。当時より、収入も上がり使えるお金も増え、時間効率も良く働けていますが、仕事人生の中で最も働き方として充実していたのは、広告代理店時代です。

忙しいけど充実できていた理由

ではなぜそこまで充実できているのか。それは好きな仕事ができていた訳でもなく、遊びが楽しかった訳でもないと思います。
自分のお給料や出世のためではなく、純粋にクライアントの事だけを考えて働けていたので、そこに充実感があったんだと思います。
私がいた東銀座(当時)の代理店は、真っ向から上位2社と戦っても、メディアの提案力では勝てないので、クライアントの懐に入り込んで、上位2社とは異なるバリューを発揮するように常に教えられました。クライアント本位で物事を考え、オーナーシップを持って行動する事が求められていました

ある通販クライアントの新聞広告の買い付けを担当していました。朝日新聞の広告の発注を一定期間より前にする事を条件に、格安な広告料の提案ができていました。発注締切日は、朝イチでクライアント様にリマインドのTelを入れて発注を頂いていました。ある時、クライアントの担当者が発注日に急遽風邪でお休み。
当時の上長に相談したところ、とりあえず、通常通りの枠で発注かけて、もしダズレが生じたら、うちでリスクを背負えと。風邪で発注遅れてコストが上がったなんて宣伝担当者の立場がなくなるだろ!と。
もはや、自社の利益を忘れてクライアントの事しか考えていない行動。私はこの人はなんでここまでクライアントにコミットできるのだろうと思いながら従いました。その後気づいたのは、こういった行動がクライアントからの信頼を高める事。そうすると、会社対会社のビジネスではなく、この担当者とビジネスをしたいと思っていただけるようになり、仕事がとても円滑に進むようになります。こう言った働き方ができた事が、仕事が楽しくて仕方なかった理由です。

悲しかった汐留の事件

良い思い出のある広告業界で起きた汐留の事件。私は、その業界で働いた一人としてとても悲しい気持ちになりました。真実のところはわからないですが、私の考えるあの事件の背景は、利益構造の変化に会社の変化がついていけなかった結果だと考えます。上の新聞の例だと、私は月に70本の新聞広告の取り扱いを広告営業として携わっていました。年間にすると800本くらいです。今となっては、外車1台分って下手したらデジタル1媒体の月間の出稿金額です。それを実質営業1名で月70本やれていたので、1人あたりの効率が全然違います。マス媒体と同じように稼げない中で、同じ給与レンジでデジタルビジネスをやった結果が、一部の社員に負荷のかかる働き方になり、あの事件が起きたと推測しています。

私なりに考える働き方のあり方

働き方改革が叫ばれる中でよく聞くのは、労働時間を減らしましょうやきちんと有給は消化しましょうといった話。私はそういった働き方改革のあり方には反対です。
私が理想とする働き方は、時間ではなく仕事の成果に対して賃金が支払われる働き方。そして、仕事の成果は、いくら売り上げたかではなく、どれだけクライアントを喜ばせることができたかが基準で良いと思います。
私が東銀座の広告代理店で見てきたのは、結局、クライアントの満足を高められたチームはより多くの利益を上げることに成功しているし、単年だけではなく、長い期間にわたって利益をあげています。売上ノルマの達成率ではなく、どれだけ長期的な目線でビジネスに貢献できたかを一番大事な指標にするのがベストだと思います。。私の人生の中でそう言った働き方が最もできていたのは、東銀座の広告代理店時代でした。

決して、昔の広告代理店の働き方こそ正義というつもりもないです。当時、士農工商、◯た、○人、代理店だと教わりました。それくらい身分の低いものとされ、どんな無茶振りをされてもそれを聞くのが正しい姿であると身体に覚えこまされました。自分自身の息子にそんな働き方をしてほしいとは絶対に思えません。でも、東銀座で学んでクライアントの懐に入り、強い信頼関係を構築しながら進めるビジネスのやり方ほど正しい仕事の仕方はないと考えます。あの頃の広告代理店の働き方から学べる事はしっかり学び、改善するべきところは改善する。私はそうやってあるべき働き方が作れたら良いなと思っています。

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