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履歴は人を縛り付ける 2024/06/07

インターネットがあれば、場所を選ばずに仕事ができる。コロナ禍でリモートワークが一般に普及して、仕事というものが場所に縛られなくなった。極端にいえば、日本にいなくても日本企業に勤めることもできる。もう何十年かしたら、わざわざ日本企業で働くことを選ぶ理由などなくなっているのかもしれない。

インターネットが実現された当初は、人間同士が自由につながり、既存のしがらみから解放されると考えられていた、実際に人間同士の新たなつながりは生まれたのかもしれないが、むしろ人間はより強く管理されてしまっているのではないか。

たとえばTwitterは、理念的には好きなことを好きに発信できるツールだったけれども、結果的にそれは人間同士が相互に監視しあう環境になった。言動は履歴として蓄積されていき、規範から外れた言動には制裁が与えられる。インターネット上での過ちは記録として半永久的に残り続ける。

インターネットの暴力性に直面した結果、人間は思ったことを発信しなくなった。SNS空間は「共感」に支配された殺伐とした空気になった。逆に、SNS的動員ゲームが現実へと波及し、政治もビジネスも極論ばかりが通るようになってしまった。

むしろ、インターネット的規範からはみ出すことのほうに、いまは自由の余地はあるように感じる。別の言葉でいえば、「べつに発信なんてしなくていいじゃないか」ということだ。ネット上の履歴は、人間を「何者かであること」に縛り付ける。だからこそ、矛盾したり、黙ったりすることのほうの可能性に、目を向けなければならない。

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