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誤解を恐れずに

すごい見出しだけど

ちょっとだけ
心を大きめにして読んで欲しい

いつの話って限定はしません
実はまえから
とても気になっていることがあるという話

ある研修に参加しました。
年長児の保育ををみさせていただきました。
若い先生でね。3年目の研修の一環として。

一階のテラスで子ども達が、ジュース作り。(何回目かだったようです)

みんなよく遊び込んでいて楽しそうでした。

全員がその場で。
だれ一人、
園庭にでていかず
ブランコをする子どももいないし
おいかけっこをする子どもも
砂場にいく子どもも

全員がそろって
「そこで」遊んでいました。

保育が終わって検討会議がありました。
皆さんの感想。
とにかく、子ども達が
集中してよく遊び込んでいた。
友達や先生と一緒に楽しむ姿が素晴らしかった。と。
確かに。

そこで感じた違和感

担任の先生に聞いてみました。

みんながその場でよく遊んでいたんだけど
はじめからみんながそこに向かっていたの?
やりたくない子どもや他のことがしたい子どもはいなかったの?

ちょっと、意地悪な質問だったかもしれないけど。

全員が同じことに向かうということ

これって
すごいことだと思う
何がすごいかって

今、みんなちがってみんないい的な考えが当たりになってきた。
子ども達のなかには、この遊びに面白さが見いだせなかったこだっていたんじゃないだろうか?
なのに
何回か重ねていくうちに、全員で同じ遊びを楽しんでいるって、
担任の先生、すごくないですか?
どんな風に子ども達に働きかけたら、その場で、他の遊びに気を取られずに、
あんな広い楽しい園庭がすぐそこに広がっているのに
だれ一人園庭で遊ぼうとせずに
同じ遊びを続けられるの?

本当にすごいのはだれ?

素晴らしい保育だったと絶賛されていた先生もいました。

そう。
確かに
どんな働きかけをしたんだろうって思います。

すごいのは
先生じゃなくて
子どもじゃん。

大人の意図をくんで
その日設定された保育内容を精一杯楽しんでくれた。

子どもはその場を楽しむことの天才

子ども達は愛情がとてつもなく深いんです。
その愛は
家庭では親へ、
保育園では担任へ向けられます。
大好きな先生を大きな愛で許すんです。大人が意図した「保育」というエゴを。

用意された環境のなかで遊ばなくちゃいけないんだよね?
本当は園庭で、あんなことやこんなことをしたいけど、今日はこれをするんだね?

OK。わかった。
じゃ、
ここで
どうすれば精一杯楽しめるかやってみるね?

それで、先生は嬉しいんだよね?
先生は喜んでくれるよね?
怒らないよね?
悲しくならないよね?

こんな見方はだめかもしれない。
保育者の立場だけで見れば、これまでの保育もこの先につながる保育も
こどもの成長発達、幸せを願って立てていることはわかっています。

でも大前提として
子どもたちの心の中を
どういう風に捉えているかで、子ども達への思いが全然違うんじゃないかと思うんです。

もちろん
私たち保育士は保育士としての仕事を完遂しなくてはいけないだろうし、
ほめられて いいんです。

でもね、
こども達へのリスペクトは常に持っていないといけないと思うのです。

子どもたちは
素晴らしいんです。
愛が深くて寛大で。
その上でないと保育は成り立たないんですよ。

誤解を恐れず言い切ります。
私たちがやっているのは
保育士(大人)のエゴ。
保育指針だって幼稚園教育要領だって、全部エゴだと思っています。

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