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ターキッシュ・クラリネット前史 その1

トルコ:ターキッシュ・クラリネットの名手(6)

シャリュモー、バセット・ホルン、ターキッシュ・クラリネット

そもそもクラリネットという楽器は、シャリュモーという古楽器を改善する形で、1700年代初頭にドイツ・ニュルンベルクで発明されたと言われている。操作のためのキィも始めは2つだったが、徐々に増やされ、1812年には、どんな調性の曲にも対応できる13キィシステムとなり、その後1800年代前半にはシンプル式とも呼ばれるアルバート式がウジェーヌ・アルベールによって生み出された。

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《シャリュモー》

やがて1800年代半ばになると、フランスではフルート用システムに大きく影響を受けたベーム式が発達。このベーム式は現代日本において完全な主流となっている。一方、ドイツでは1900年代に入ってアルバート式直系とも言えるエーラー式が発展した。

アルバート式は現代のベーム式/エーラー式よりもシンプルな分、トーン・ホールのコントロール度が高くポルタメント演奏に適している。この利点のため、トルコ民謡、東ヨーロッパのクレズマー、ニューオリンズ・ジャズの奏者たちは、アルバート式を好むという。

《クレズマー・ミュージック:デイブ・タラス》

初期クラリネットの時代、アマデウス・モーツァルトはクラリネットの低音域を愛し、1789年にクラリネット五重奏曲を書いた。モーツァルト最晩年のことである。友人でありフリーメイソン仲間でもあったアントン・シュタードラーのために書かれたものだが、彼は"バセット・ホルン"と呼ばれる古楽器:F管やG管の低音クラリネットの名手として知られていた。

"バセット・ホルン"は特殊な見た目をしているが、基本的には現代クラシックや吹奏楽で一般的に用いられるB♭管やA管である"普通"のクラリネットを「長くしたもの」として理解できるかもしれない。

《モーツァルト:バセット・ホルン クラリネット五重奏曲》

実は、低音クラリネットとして知られるバス・クラリネットやアルト・クラリネットは、1838年サクソフォンの発明で知られるアドルフ・サックスが開発したもので、ややクラリネットの発達の中では系統を異としている。そのため、それらはマウスピースが普通のものと異なる(=管の内径:ボアが異なる)のに対し、当時のバセット・ホルンの内径は普通のクラリネットとほぼ同じだった。

そして、それはG管であるターキッシュ・クラリネットも同様なのである。そのマウスピースは通常のクラリネットと同じものが用いられる。ターキッシュ・クラリネットは古楽器でもある低音クラリネットがあまり変化せず、現代に伝わったものと考えられる。

《"Wedding Song" The Wedding Sound System:映画「クロッシング・ザ・ブリッジ」2005年》

クラリネットがトルコに初めてもたらされたのは1820年代。この時、古楽器でもある低音クラリネットの仲間が持ち込まれたのだろう。このクラリネットのシステムは、年代的にアルバート式(シンプル式)だったに違いない。またG管が選ばれたのは、Gを基音とする音階がトルコに多いのに加え、微分音を出すための運指と関わるメカニカルな要因があったのではないかと想像している。

ユニークなのが素材だ。本連載の写真でもわかるように、1900年代前半にキャリアを開始した、シュクリュ・トゥナール、サフェト・ギュンデゲール、ムスタファ・カンドゥラル、バルバロス・エルキョセは、いずれもメタル製のターキッシュ・クラリネットを愛用した。

現代のクラリネットの黒い素材は、グラナディラというアフリカ東部の木材が原料だ。これは非常に重くて固いものだが、1900年代に入ってから使用され始めたもので、1800年代末までは主にツゲがクラリネットの材料となっていた。

一方、メタル(金属)のクラリネットは、早くも1800年代初頭にはフランスで製作されていたらしい。軍隊が屋外で使用するため、弱い木製楽器に替わり金属製クラリネットが非常に重宝されたのだ。1840~1850年代にはオーストリアやロシアの軍楽隊がメタル・クラリネットを装備していたという。

そして、トルコへのクラリネット導入も、オスマン帝国の最精鋭部隊イェニチェリの軍楽隊、非常に有名なメフテルと無関係でない。屋外での利用の必要からトルコにも早くから、メタル製クラリネットが普及したと思われる。

《メフテル音楽:ジェッディン・デデン》

また、筆者の憶測の域を出ないのだが、メンテナンス、あるいは改造などのリフォームでも金属製は非常に扱いやすい。ターキッシュ・クラリネット奏者にはロマ(ジプシー)が多く、伝統的にロマには金属の扱いに長けた鍛冶屋が多いことも、関係があるかもしれない。

一方、セリム・セスレルはイタリアの木製クラリネット(ORSI オルジー)を30年近く使用していた。マウスピースはヴァンドレン5JBマーブルモデルとのこと。20世紀後半に生まれたセルカン・チャウリ、ヒュスヌ・シェンレンディリジも木製のものを愛用している。

なおその後、メタル・クラリネットは安価で質の悪いものが濫造されたので、やがて価値が低いものとみなされるようになるが、アメリカではニューオーリンズ・ジャズのジョージ・ルイスが使用していたことが良く知られている。

《ニューオリンズ・ジャズ:ジョージ・ルイス》

いずれにしても1820年代、クラリネットはトルコにもたらされた。そのターキッシュ・クラリネット演奏の父と呼ばれるのが、表紙画像のクラルネトジ・イブラヒム・エフェンディである。

トルコでのクラリネットの普及と現代に至る特徴は「ターキッシュ・クラリネット前史 その2」で述べることとしたい。

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(1)バルバロス・エルキョセ(Barbaros Erkose, 1936-)
(2)ムスタファ・カンドゥラル(Mustafa Kandirali, 1930-2021)
(3)セリム・セスレル(Selim Sesler, 1957-2014)
(4)シュクリュ・トゥナール(Sukru Tunar, 1907-1962)
(5)サフェト・ギュンデゲール(Saffet Gundeger, 1922-1994)
(6)ターキッシュ・クラリネット前史 その1
(7)ターキッシュ・クラリネット前史 その2
(8)セルカン・チャウリ(Serkan Cagri, 1976-)
(9)ヒュスヌ・シェンレンディリジ(Husnu Senlendirici, 1976-)


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