『「私のために死ねる?」』

 「私のためにほんとに死ねる?」ある日彼女にそう言われた。僕が大学生の頃に付き合っていた彼女は、同じ学科のゼミ仲間で、飲み会をした時に少し話したのがきっかけで付き合うことになった。見た目は大人しい感じだけど必要な時はズバズバ発言して、真面目に課題もこなすけれど力を抜く時は程よく抜いて、2人きりになったら甘えてきて。一言で言うと、僕視点からすれば“生きるのが上手い子”だったのだ。
 生きるのが上手い彼女に対して、生きるのが絶望的に下手くそな僕。地味な見た目にふさわしい中身で、思っていることも言えず、勉強を頑張ってもイマイチな結果しか残せない。あーあ、何をやっても上手くいかない人生だ、と自暴自棄になって学生生活全部棒に振って遊び呆ける……勇気もなく、ただ何も考えず大学に通っていた。そんな僕に、彼女は突然告白してきたのだ。

「ねぇ、私と付き合ってほしい」

最初は何かの罰ゲームかと思った。だって学校のカーストで言えばトップにいる彼女が、底辺にいる僕に告白してくるはずがない。流石の僕も問いかけた。

「一応聞くけど……罰ゲームじゃなくて?」
「まさか、違うよ」

彼女はいつものように朗らかに笑う。

「君と、真剣に付き合いたいんだ。」

 正直なところ、僕は彼女に好意を抱いていた。少し話しただけでいい子だとわかって、こんな子が自分の隣にいたらなんて素晴らしいのだろうと。今思えば最低な下心だったのかもしれない。僕は自分の下心を隠して彼女の気持ちに応えた。

「僕でよければ、喜んで。」



 彼女とのお付き合いは非常に健全だった。一緒にお昼ご飯を食べて、空きコマは2人で図書館で自習をして、休みの日はデートをして。一般的な大学生のデートだった。付き合って数ヶ月が経ったある日、彼女が僕の部屋に行ってみたいと言い出した。実家暮らしの彼女と、一人暮らしの僕。確かに一人暮らしの僕の家の方が色々と都合はいいだろう。でも、男の家に1人で来るということは……その……つまり……なにか期待してもいいんだろうか。なんて汚い感情を抱きつつ「わかった」と返事をした。

 そして当日。「意外と物少ないんだね」なんて言われながら、最近配信になった映画を見たり、お笑い番組を見たり、これまた健全なおうちデートを過ごした。ここまで健全なおうちデートがあるか?と思いながら時計を見ると時刻はもう夜の21時になっていた。晩ご飯を食べたとはいえ、さすがに泊まらせるわけにはいかない。

「遅くなっちゃったね、送っていくよ」

そういって隣に座る彼女の手を離そうとすると、急に強く手を握られた。

「どうしたの?そろそろ帰らないと、暗くなっちゃうよ……」

戸惑う僕なんてお構いなしに、彼女は話し出す。

「もし……もしさ、私がお願いしたら」

真剣な眼差しでこちらを見つめる。

「私のために、死ねる?」

その質問は、突然されるにはあまりにも重たすぎて、握り締められたその手を離しそうになった。そんな僕の手を逃さず、彼女は僕の手を強く握る。

「ねぇ、君は、私のために死ねる?」
「それは……」

握られた手があまりにも冷たくて、両手で彼女の手を握り返す。

「……今の僕には、わからない。でも唯一わかることは、君のために僕が死んでもきっと君を悲しませてしまう」
「……うん」
「だから、僕は君のために死ねない」
「そっか」

少し悲しげに笑ったあと彼女は僕の手を離し、立ち上がったかと思うとスカートを翻しながらいつものように可愛らしく振り返る。

「ごめんね、変なこと聞いちゃって。そろそろ帰るよ」
「あ、うん。送っていく」
「ありがとう。そういう優しいところ、大好きだよ」
「なっ」

急な彼女からの愛の言葉に戸惑いを隠せない。

「いまだに慣れないんだね」

耳まで真っ赤になっているであろう僕をみて彼女はケラケラと笑う。

「ほら、君も言ってよ私に。『大好き』って」
「う……だ、だ……大好き」
「ふふ、嬉しい。ありがとう。」
「うん……」

なんだかどっと疲れた気分だ。人に気持ちを伝えるのがこんなに大変だなんて知らなかった。

「……本当に、君に出会えてよかった。」
「ん?何か言った?」
「ううん、なにも!さ、帰るね。送ってくれるんでしょ?」
「うん。涼しいから、一つ先の駅までゆっくり歩こっか」



 あれから数日。彼女は、僕が彼女のために死を選択する前に自ら死を選んでしまった。大量の睡眠薬と彼女が好きなワインを組み合わせて飲んで、自殺を図った。そしてその自殺は見事に成功して、彼女はこの世から去った。ご両親から彼女が亡くなったとの連絡を受けた時は正直何も信じられなくて、何か悪い夢でも見てるんじゃないかなって思った。でも、お葬式に行って棺の中に収まっている彼女の姿を見て、これが現実なんだってやっと実感した。そしてその帰り道に、彼女の言葉の真の意味を理解した。「私のためにほんとに死ねる?」は、「私はもうすぐ死ぬけど、あなたはついてきてくれる?」だったんだって。
 彼女のご両親から彼女が書いた僕宛の手紙を渡されて、お葬式の帰りの電車で読んだ。そこには彼女が抱えていた本当の気持ちが綴られていた。

『勝手に死ぬなんて選択をとってしまってごめんね。前に私が、「私のために死ねる?」って聞いたのを覚えてますか?その時の私は、君にどう答えてほしかったのか正直わかりません。でもわかることは、私が死ぬことで君を悲しませてしまったこと。本当にごめんね。それでも私は、生きていけなかった。皆からなんでもできるねって言われて、すごいねって、可愛いねって言われて、そういう対象になるのがプレッシャーだった。でもそんな私に君が、君だけがフラットに接してくれたんだ。それがすごく嬉しくて、短い間だったけど私は君と付き合えて幸せだった。私にとって君が、愛した最後の人。だけど君は、これから別の人を愛して生きていってください。きっと君なら、素敵な人と出会えると思います。私が保証する。だから、絶対に私のために死ぬことなんてしないでください。私の分まで、私のために生きてください。最後に大好きだよって言ってくれてありがとう。君のことを、心の底から愛しています。』

 最初で最後の恋文がこんなのなんて、ずるいじゃないか。僕があの時、「君のためなら死ねるよ」って言っていたら、「どうかしたの?」って心配できていたら、こんな未来にはなっていなかったのかもしれない。君のいない世界に、僕は意味を見出せない。
 それでも、僕は生きていかなきゃいけない。愛した人のやり残したことを、僕がしなきゃいけない気がする。

 だから、ごめん。僕は君のためには死ねません。君が本当にやりたかったことを、君が感じるはずだったことを、君が出会うはずだった人たちに、君がするはずだった全てを僕がこの先の人生全てをかけてやっていきます。
 僕が虹の橋を渡り切るその時まで、そこで待っていてね。そうしたら、これまで話せなかった分までたくさん話をしよう。そして次は、お互いのために生きていこう。

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