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『春、死なん』紗倉まなさん

いざ妊娠が現実のものとして目の前に迫ってくると、身体を引き裂いて命が飛び出してくることが怖くなってしまった。よかったじゃないか。私だってほしくなかったのだから。妊娠することが、女性が女性としての機能をとことんつかいこなすことが当然であると提唱し続けられる世界に、美香のように細かく慎重に、全てのことを確かめながら生きなくてはいけないことに、どこまでもついていけなかった。結果、夫はそんな私を見捨てることも救うこともしなかった。
(春、死なん。ははばなれの中の一節より)


『結婚をして子どもを産むことが女の幸せ』

何度両親に言われただろうか。ずっと私は違和感しか持てなかった。そう言われる度に私は

『私は結婚もしたくないし、子どももほしくない』

と言った。それでも、両親は

『もうお父さんの友達は孫がいるんだぞ。結婚して幸せになってるんだからな』

と言われた。だからその言葉こそが違和感なんだよと思いながら、言い返しても堂々巡りになるだろうなと思いながら
『そうだね』と答えていた。

果たして、結婚願望がない人が結婚をして幸せになるのだろうか。子どもが欲しいと思っていない人が子どもを産んで良いのだろうか。私は別に結婚に関して否定的な訳ではないし、子どもが嫌いな訳ではないのだ。何なら子どもは好きだし、保育の専門学校に通っていたし(中退したけど)、今は子ども服ブランドの店員をしているくらいには子どもが好きだ。だからといって、子どもがほしいに繋がる事にはならない。もし、私が結婚したとして。両親や周りに『子どもはまだ出来ないのか?』としつこく聞かれるのかと思うと、少しゾッとする。
今思えば言い過ぎたかもしれないと反省をしているのだけど、両親に『そんなに結婚結婚いうならさ。結婚して幸せそうな所を私に見せてよ。子どもが居てよかったと思っている様な所を見せてほしい』と言った事がある。勘違いしてはいけないのは。私の家族は仲が悪い訳でもないし。きっと仲良い方だと思う。又、まぁ溺愛とまではいかないけど過保護じゃないか?と思うほど守られて育てられてきた。何なら高校の頃は門限があったほどだ。また、話がそれたけど。見せてほしいと言った後の両親の顔を今でも覚えている。ものすごく悲しい顔をしていた。でも、何回も押し付けられていい加減我慢が出来なくなってしまったんだと思う。

少しだけおとぎ話みたいな事言うけれど。これはnoteを書くから言うとかではなく本気で思った事があるのだけどね。アダムとイヴの事を恨んだ事がある。アダムとイヴが結婚をしないで子どもを産むという事をしなかったら、この世にその様な事は起きなかったじゃないかって。完全に病んでいる。でも、20代前半の時は割りと本気で思っていた。いい加減してよって思っていたよ。もう一度言おう。完全に病んでいる。

こんな事を言っているけれど私は、結婚をしている友達や子どもがいる友達が幸せそうな写真や話を聞いたりすると微笑ましく思ったりする。それを見て嬉しいなと思う。結婚生活で色々あると思うけど知り合いが幸せそうなのは嬉しい事だ。ただ、私には向いていないと思う。もし結婚をするとしても普通の結婚生活みたいなのは出来ないだろうなと思う。週末婚やマグロ漁師の様にあんまり帰って来ない方とじゃないと続かないんじゃないかなと思う。まぁ難しいよね。そういうのはちょっと。あんまり理解はしてもらえない気がする。

と、紗倉まなさんの『春、死なん』を読みながら思った。本当生きるのって大変だな。私は心から子どもがほしいと思う日は来るのだろうか。心の底から結婚をしたいと思う日がくるのだろうか。ただ、前よりは拒絶反応はなくなって来てはいる。あくまで前よりは・・・。

『春、死なん』凄く面白かったです。やっぱり紗倉まなさんの文章は、私の好きな文章のリズムと凄く合う。私の好きな波長と合っているんだと思う。最高です。素敵。好きです。

ありがとうございました!

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