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羊文学とびわ湖

 ぼくはびわ湖のふちを歩いた。夏休みは終わろうとしていた。接続のわるいワイヤレスイヤホンから流れている羊文学はときどき右耳だけが途切れる。汗が背中を伝うのがわかる。草は濡れている。夕方に雨が降ったのだ。ぼくは寝ていたので見ていない。もう止んでいる。

 ぼくに悩みを打ち明ける人間は稀だ。笑ってあげることも、掛かってきた電話をすぐにとってあげることもできるようになった。できるようになったんだ。何を言っても祈りか呪いかのどちらかになってしまうような春は過ぎた。現実的な感想を述べるだけで満足のようなものは訪れる。きみは知らないと思うけど、ぼくは同じ曲を何度も何度も繰り返し聴く。

 知らないうちに繫がっていた友だちと友だちが、一緒にぼくを誘った。ぼくは深入りしにくい理由をでっち上げてそれを断った。そうやって確保した夜を、ぼくは散歩に費やす。びわ湖の全周は200キロメートル以上あるからぼくが知っているのはほんの数パーセントだ。それも今は遠くだ。近くに住んでいたらすぐに行けるのに、ぼくは今は近くには住んでいない。

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