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ユタ州中国語新聞でのリンヤンコラム『漢代隷書の風格』

 2023年10月16の『東方報』でのリンヤンコラム。日本語に訳しました。

 おそらく多くの方は、以前の私と同じように、こう考えているでしょう。書道の入門は、楷書から始めなければならない。速く書くのが行書、さらに速く書くのが草書だ、と。
 書道を系統的に学習して、私は初めて知りました。行書は隷書から来ている。草書もまた、その起源は隷書である、と。

 以前、有名な書道の先生の話を読んだことがあります。その方は、子どもの頃、自分がうまく書けたと思った柳公権の楷書を、ある書道の老先生に見てもらいました。老先生は見ると、三つの言葉を述べました。「写倒了」(逆に書いている)。しかし彼にはまったく理解できませんでした、「私は逆には書いてない」と。しかし後になってやっと、先生のいわれることが理解できました。それは、書く順序が逆だ、楷書から始めるべきではない、という意味だったのです。

 張浩波先生の教室では、書体の変遷の歴史に基づいた教え方をします。篆書→隷書→行書→草書の順です。今私は、先生の教室で12歳以上のクラスを担当しています。入門して篆書を学んだ後は、隷書に磨きをかけることに重点を置いています。その理由について、以下の文章を皆さんにお推めします。(原文はネットから取ったもので、私が整理しました)

 一 文化のいぶき 
 隷書は、もっともロマンのいぶきと芸術のいぶきを具えた字体です。書道の字体の変化を人で例えるなら、篆書は静かに端座する姿であり、行書は歩いている姿、楷書は立っている姿、草書は走っている姿です。そして隷書はもっとも特殊な姿というべきです。なぜならそれは、人が踊っている姿だからです。

 二 他の四種類の書体との関係 
 隷書は秦代篆書のまろやかな柔らかさを受け継ぎ、端正な楷書を作り上げました。前代のものを受け継ぎ、後代のものを切り開くという役割を果たしました。
 中国の書道の最初は甲骨文に始まります。その後が金文と篆書、そして隷書と続きます。隷書の後、楷・行・草三つの書体が前後して、その初期の姿を現します。例えば草書の中の章草(続け書きをしない草書)は、隷書のすぐ後に現れた草書の性質を持った初期の書体です。楷書と行書は、魏晋の時代にはすでに出現していました。まず成熟したのは行書と小草です。その後、楷書は隋唐期にしだいに最盛期を迎えます。隷書は、上は篆書のまろやかで荘重な特色を受け継ぎ、下は楷書の静粛で端正な風格を切り開きました。つまり隷書は、篆書と楷書、二つの書体の特色を兼ね具えている、といえます。

 三 漢の歴史の風格 広大で力強く壮大な漢帝国の意気
 
漢王朝は中国史上きわめて特殊な王朝です。それは中国を初めて二、三百年にわたり統治した中央集権的大統一王朝であり、その広い国土は中国封建王朝の領土の基礎を定めました。この広い領土を持つ帝国を支配した封建官僚・文人・士大夫たちは、その他の王朝とは違う気概・度量・見識を具えていました。文学上では、漢代の文人たちは屈原の「楚辞」のロマン的な気質と表現方法を吸収し、散文の伝達方式を融合して、中国文学史上もっとも言葉の羅列と誇張を重んじる気宇壮大な「漢賦」のスタイルを創造しました。漢代の散文の創作を通じて、私たちは、漢賦の作家たちの宇宙を包含し、万物を総覧する度量を感じ取ることができます。
  この特色を書道の上で体現したのが、隷書と章草の流行です。隷書の持つロマン的な気質と飄々とした筆画およびおおらかな姿は、漢代のような雄壮で雄大な大帝国によってのみ、初めて生み出されるものだったのです!
         2023年10月  リンヤン 

 新聞では書き切れなかった:
 唐以後、「科挙」の誕生とも関係して、隷書は歴史の主要舞台から離れてしまいました。その魅力再度認められるようになったのは、清朝の復古運動でした。
 いま、書道家の中で隷書は重要な位置を占めていますが、一般社会では、楷書に比べると、隷書の印象が薄いのはとても残念!
 実は生活のなかで隷書はとても大切なところで使われています。

各社の新聞タイトル
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隷書の魅力、改めて知っておくべきです!

一水空HP





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