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こんにちは。りん蔵(りんぞー)です。

3月無事慶應義塾大学を卒業しました。あと2年間学生なので、社会人の方奢ってくださいな笑。

さて、卒業したので、簡単に今考えていることを徒然なるままに書いていこおうと思います。

固定観念を解く

現在夢はデザインエンジニアです。デザイナーというとグラフィック(意匠より)を思い浮かべてしまうと思います。しかし、私はビジョンを提起する方に注力する「設計者」としてのデザイナーになりたいと考えています。

人は理想があることで進化してきました。例えば、車です。車の歴史は古くう、遡ること1769年。日本はまだ江戸時代ですね。この時代、ヨーロッパでは馬車が人や荷物を運ぶ主な道具でした。そんな「馬」が移動手段として「当たり前」の時代、フランスで、ニコラ・ジョセフ・キュニョーにより、蒸気で走る自動車が発明されたのです。この思考の転換、すなわち固定観念をぶち壊す。このビジョンをツールとして「グラフィック」、つまり視覚化する必要があり、普段私たちが捉える「デザイン」は目的ではなく、手段ということになります。

「つくることは、誰かに与えること」

エンジニアは、職人です。メイカー=作る人だと捉えています。なので、何を用いるかは手段です。これからは、ソフトウェア、ハードウェア問わず、デザイン、エンジニアリング、アート、サイエンスまで領域横断的な活動を行い、「面白い」を動力源とし社会にワクワクを届けていきたいですね。

少し、まとめると、新しい世界観を視覚化することで、1人でも多くの人に「こういう世界もあるんだな」や「不思議」、「面白い!」と心を動かす、考えさせる、そしてワクワクを感じて欲しいなと考えています。

昔、スティーヴ・ハミルトンによる「解錠師」という本を読んだことがあります。以下あらすじです。(引用)

けっして動かないよう考え抜かれた金属の部品の数々。でも、力加減さえ間違えなければ、すべてが正しい位置に並んだ瞬間に、ドアは開く。そのとき、ついにその錠が開いたとき、どんな気分か想像できるかい? 8歳の時に言葉を失ったマイク。だが彼には才能があった。絵を描くことと、どんな錠も開くことが出来る才能だ。やがて高校生となったマイクは、ひょんなことからプロの金庫破りの弟子となり芸術的な腕前を持つ解錠師になるが......

解錠師、鍵を紐どくエキスパート。この作品における解錠では、「鍵」と「心」両方を「解錠する」意味もあると思います。かちゃかちゃと弄る。その繊細さを攻略しようと悶える。いろんな角度からの試行錯誤。全神経を集中させ、ひたすらその感触、音、構造に寄り添う。そして、カチっと開いた瞬間。恍惚するでしょうね。何をやり遂げた達成感に浸り、その一瞬を味わう。

Attack on Stereotype

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今、思えば自分の人生はひたすら「固定観念」との戦いでした。一時期は真正面からぶつかり、跳ね返され、撃沈。今は戦うというよりかは、いなす。--その力には逆らわず、あえて、その力を利用する。

自分が「相手にどう思われているの」という点についてはかなり敏感です。やはりその背景には「中国文化を持たない国籍が中国である日本文化を持っている女」。なので、大体多くの人は初見で、中国人の女、というレッテルを貼ります。正直、慣れましたが、やはり「日本語上手いね」と言われると少しイラッとします笑。以前は「こいつ分かち合えないな」とか「理解してほい」と思っていましたが、今では逆に「なんでこういうふうに思うんだろう」とか、「こういうふうに捉えてしまう原因ってなんだろう」とさらに思考を一歩深くして考えています。

固定観念を持つこと自体悪いことではないです。悪いのは、それを生み出してしまう社会構造と文化です。さらに、文化を生み出す原因というのは、幼少期の家庭環境や、教育環境と環境が原因であることが多いと思います。なので、「中国人=中国人を背景にもつ人」と考えてしまうのも至極当たり前だと思います。そういうふうに思う人が悪いのではなく、そういうふうに考えさせる環境が悪いと考えます。(ここでは二元論で「良い」「悪い」と書いてしまいましたが、実際二元論で考えるのは好きではないです。複雑で曖昧な心の動きだからこそ、「遊び」があり、その「揺らぎ」を楽しむことができるからです。)

女の子を捨てる

さらに、上記では「女」と書きました。実際、これも心に引っ掛かるところがあります。やはり、日本において「女性」という立場は男性と比べると相対的に低いです。

これも環境が影響してきます。私の経験談ですが、日本では、女性としてこうあるべきと小さい頃から洗脳されてきているなと感じます。全てにおいてそうだと断言したくはありませんが、多くのところでそう感じます。

今、思い返せば、高校の時、よくある女子グループから追放された私は反旗を翻したかったのでしょうね。「女」ってなんだ〜!!みたいに笑。「女」だからって卑下すんなみたいにただ争っていました。

その状態で大学に入学したもんなので、まー大変。ショートヘアに男みたいな服装。思い返すと、かなり遅い「反抗期」でしたね。そんな感じで大学一年生では、自分の中で偏った軸を他の人にも当てはめようとしていました。

ですが、固定観念はそう簡単に変わりません。ハードボイルドな大学一年生を終え、色々争ったって意味ないと感じた私はいろんなことをとことん試していきました。

大学3年生までは演繹法のように、感情タイプで色々体験して、そこから得られたことから何か法則を見出している感じでした。

色々ぶつかっていきました。そして跳ね返されます。大学3年の秋まではそれの繰り返しでした。なんとかなる、というほど楽観的でしたね。

大学3年の秋から、真剣に将来について考えました。やはり周りの影響が大きかったです。日本の就職活動に対しては賛否両論です。この時点では逆に良かったですね。真剣に自分と向き合う機会になったので。と言っても、「自分のモチベーションってどこからきているんだ?」とか、「何を求めているのか?」とか全然纏まらず、ただ有名どころの企業に応募してみたり、インターンに参加してみたりと行動する際の動機はあまり変わっていませんでした。

突っ走った後に、ふと足をとめ、時間をかけて自分を見つめ直す。

大学院入試を決めたことがきっかけでした。この決意のおかげで中途半端な就職活動をやめ、自分の湧き出る噴火口を探しでる旅に出ました。

強いて言うなれば、コロナも一役買ってくれました。ゆっくりと考えることができたので。人間、締め切りがないとただ堕落していくので、本当に大学院入試は自分の視野を広げてくれました。ここで思ったのは、学問というものは、自分の原動力を見つける上で、とても大切なパラメーターであることです。その学問を極めたい、好きだという感情の裏側にはきっと理由があるはずです。なので、その気持ちに素直に従い、なぜこの学問なんだろう?と振り返ってみるのも自分を発見するきっかけになると思います。

そこからは帰納法で考えるようになりました。人生は短いです。なので、本当に自分が価値あると判断することに時間と労力を使いたいと考えるようになりました。やり始める前から何を得られるか、自分で言語化しておく必要があると気付きましたね。この言語化が志望理由ですね。

少し脱線しましたね。解錠師の話に戻りましょう。

「固定観念」をいじる

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このように、自分は「固定観念」に生まれてずっと向き合ってきました。なので、これについては敏感です。敏感というかチキンです笑。

ですが、わずかな差も感じるとることができる自分なので、その力に真正面からぶつかるのではなく、ちょちょっと弄ることで視点を変えることも可能です。これがいわゆる「斜め上」ですね。こうだ!と決めつけているところに本当かな?と疑問を投げかける。そして、「あ、本当だ。何でだろう?」と自分から能動的に考えさせるように「隙間」を作り出すことが可能になります。

この「弄る」という行為が「解錠」に似ていますね。なので、かなり前置きが長くなりましたが、私は「固定観念」の解錠師になって見せますね。

もっと、モットー

何事も楽しく生きること!

つまらないことはありません。退屈は人が作り出すものですから。ある人にとって、面白いことが、別の人にとってつまらない時があります。これって考え方の違いだと考えてて、楽しいと思っている人はもしかしたらもっと奥の世界まで見ているかもしれません。退屈だと感じている人はただ表面のことしか捉えていないと考えます。

目まぐるしく変化する社会の中で生きていくには柔軟に自分の思考を変えていかなくてはなりません。

今回は自分の「考え」の変遷ぶりをダラダラと書きました。これからも変わるかもしれませんが、ここで卒業という人生の1つの区切りに便乗して、まとめてみました。

ここまで、呼んでくださり、りん蔵感激です!それでは、アディオス!

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