あの頃の思い出
僕の住むこの町が前とはだいぶ変わってしまった。
いい面も有れば、そうとも言えないこともある。
僕はこの町で生まれ、父母、叔父叔母、親戚のオジィやオバァやいとこたち、そして幼なじみの友人達と共に小学校卒業までをこの生まれ島で過ごした。まだNHK以外の民放もなく、スーバーやコンビニもなく、家族で外食するようなレストランもそうそうない時代だった。
あの頃は今のように県外から移り住んだ人も多くなく、国内の観光客もそれほど見かけなかった上、外国人観光客を見かけることなど無かったように記憶している。
砂浜はこれでもかというくらいに真っ白くまぶしく、高い建物などない町中は空がひらけていて、天然色の青空がどこまでもどこまでも続いていた。
人も車も少ない市街地はまるで自分の家の庭の続きのよう。瞼を閉じると、上下お揃いのスポーツウェアをほこらしげに身にまとい愛車のママチャリに得意げにまたがる小学生の頃の自分が見えるような気がする。
塾などなく、学校がない時はたいてい親友たちとビートルズのレコードを聴いているか、近隣の遊び場をはしごしてたものだ。
あの頃はスマホもテレビゲームも何にもなかったけど毎日が楽しくてしょうがなかった気がする。子供にとっては天国のように思えたけど、その時は幼すぎて何もわからないだけで、いじめや家庭内暴力なんてのも今と同じようにあったのかもしれない。
この島が今のような形に変わったのはいつ頃からだったろう。開発バブル、NHKのちゅらさん効果で沖縄ブーム、大型ホテルの開発計画なんてのもあったな。その後に続く長い不景気の時代もあった。
でも、なんと言っても長い滑走路と綺麗で都会風のターミナルビルを備えた新空港ができたこと。あれからだろうな、すべてが目まぐるしく変わり始めたのは。
年間で60万人に届くか届かないかだった観光入域客数が空港ができた頃から年々増え続け、一番最近では150万人近くにまで増大し、わずか4〜5年で5万人の人口の30倍の人が流入する島に変貌を遂げたことになる。
何もかもが静かでのどかに感じられたあの頃を懐かしく感じるのは僕だけだろうか。沖縄本島や東京は物理的にも情報的にも遠く離れた存在であり、この島は今よりも全然田舎で、ほとんど知った人だけが暮らす、文字通りのホームだった。
世界中を震撼させている新型コロナウイルス感染症。これまで映画の中の世界だとばかり思っていたウイルスの感染が現実のものとなり、小学生だった僕たちが我が物顔で自転車を走らせてた、天国のような島だったこの島からも感染者が出た。
すっかり都会化した島では全国各地から大勢の人が暮らし、交通網と通信インフラ、そして身近になった情報端末は東京や都会とこの島の距離を一気に縮めてしまうほど革新的だった。
最近、流行している感染症のことが話題となり、僕たちの町のことが都会のニュースで取り上げられることもしばしばで、ネット上では色々な人がそのことを話題にするようになっている。
今は、まるでこの島が、昔少年だった僕や親友たちが自転車で飛び回っていた頃の同じ島とは感じられず、見たことのない全く違う世界が島全体を覆い尽くしているみたいに感じられる。
この島はほんとうに変わってしまった。あの頃のことを思い出すのもできないと感じるほど違う世界へ来てしまった。わずか数十年のうちに。
感傷に浸った50オヤジの懐古主義としか受け止められないのはわかっているるけど、今ならまだ誰かこの思いを共感してくれる人がいるんじゃないかとかすかな希望を抱きながらこの文章を書いている。
まだ僕の記憶があるうちに、古いアルバムを引っ張り出して白黒の写真を見せながら、息子に昔の様子を伝えておこうと思う。同じような気持ちになってくれるとは思わないけれど、僕がいなくなった後に、誰かに伝えてくれるのを期待して。
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