見出し画像

報告書『過疎自治体PRの実態調査と提言(抜粋)』 No.0 背景と問題意識

 一般社団法人先端社会科学技術研究所(フェリス女学院大学国際交流学部春木研究室)では、2021年度に日本の全過疎自治体650か所に対して、特に地域PRの実態をアンケート調査し、分析を行いました。その結果、日本の過疎地について明らかになって来たことが多々あり、本記事は、その調査報告書として公開を予定している、「過疎自治体PRの実態調査と提言」の一部を抜粋するものです。尚、完全版は、アンケートに協力してくださった自治体に配布するほか、電子書籍(Kindle)での公開を予定しています。

はじめに

 大学では近年、社会のセクターである、企業やNGO、自治体などから、研究課題をもらって、それにアプローチを行う、プロジェクト型の学習、社会連携型PBLが、しばしば行われている。それは取りも直さず、こうした技術的に進歩の早い、そして社会、経済体制自体が成熟状況にある現在、大学内の教員は、自らの自発性では、新たな研究、学習課題やテーマを見つけられないということを意味している。企業と大学の連携によるB2C商品を目にすることも珍しくはない。

 しかし、あえて異を唱える言い方をするが、サンドイッチだの菓子パンだの、和菓子だのを、女子大生が企画しましたと言うことに、何か学びとしての価値はあるのだろうか。地方の名産品を、女子大生にそろいの法被を着せて、どこかのターミナル駅で売らせることに、何か意味はあるのだろうか。あくまで私見でしか過ぎないが、我々には、商品企画や販売と言う企業の重要な作業を舐めているようにしか思えないし、大学側においては、学生や若者を一過性のものとして消費しているにしか思えないのである。
 そうした背景から、筆者は経営情報学会の場を借りて、社会連携型PBL研究部会を設立し、2013年頃から、こうした社会と大学の連携に関して事例を収集、分析して来た。そこでの知見は、端的に言えば、大学側と社会、企業側の大きな乖離である。現在大学では、かつてのように一方的に知識を伝えるだけといった学びは、もう殆ど行われていない。社会が多様化している現代では、そうした旧来の退屈な授業は、もう有効ではない。それがゴール指向の学びであるPBLや双方向性を持ったアクティブラーニングに繋がって行くのではあるが、大学に学びの課題を提示する側である社会側では、こうした学びにどう接点を持つべきか、残念ながら殆ど知見は無いと言っていいだろう。企業は、教育のプロではないため、当然ではある。しかし、大学の教員側も、社会からどういう課題を設定し、それをどう社会にフィードバックしていくか、やはり殆ど見えていないようにしか思えない。結果、当たり障りのない、実際には殆ど社会価値の無いような商品企画に終始してしまうのは、周囲に多く存在する。付き合わされる学生が、いい迷惑でしかない。

画像2

 我々は、学生の学びの価値、大学で特に社会科学、人文科学の領域で、社会連携で学びを行う価値は、3点ほどあると考えている。

① 時間を掛けられる
② セオリー通りに考えることが出来る、
③ バイアスを抜きに研究を行うことが出来る

 この中でも特に①は重要である。いい意味でも悪い意味でも、学生には多くの時間がある。同様に彼らと付き合っている教員側にも多くの研究のための時間があり、企業人がまずやらない、出来ない方法で研究をすることができる。かつて本研究室の学生が、テレビのCMの総時間を、全番組を録画して計測したことがあった。おそらく広告関係の人からすれば、総量規制があるからデータは明らかという批判はあるだろう。しかし実際の全番組を見て測ったところ、まさにその通り、総量規制の範疇にぴったり収まっていたという計測結果が得られた。それだけで、学生の研究には価値があると、個人的には評価している。わかっていることかもしれないが、こうした方法では誰も検証していないためである。

 本研究のスタートは、学生のちょっとした好奇心である。後述するように、過疎地に対して、学生達は殆ど知識を持っていない。それこそ、吉幾三の世界とほぼ変わらないような認識の学生が、殆どである。後述するアンケートの結果、もしかすると、過疎地にはテレビもラジオも無いと真剣に思っているのではないかと思わせるような回答もあった。
 それは多分に、知的好奇心や学びの機会を持たなかった学校側、学生側の責任ではあるが、自治体側もきちんと情報発信をしているのか、知らしめる努力はしていないのではないか、そんな意見が、筆者の研究室学生から起こって来た。

 だったら調べてみるしかないだろう、ということで、650か所もある日本の全部過疎自治体に対して、一つ一つ直接アンケート調査を行い、さらに各自治他のPRに関して分析を行った。本報告書は、その結果の報告である。それこそ、無駄に多くの時間を費やしたという指摘に対しては、反論は出来ない。その通りである。650か所の公式Webを見て、連絡先を抜き出し、メールやWebを使って連絡し、頂いた回答をテキストマイニングし、統計処理をして傾向を抜き出すという、愚直な調査研究を行った。それに合わせて、公式Webや動画サイトを見て、その地域の特性を観ながら、それぞれのPRが何を伝えようとしたのかを、一つ一つの地域に関して考えて行った。まさに時間をふんだんに使ったのである。

 ただ、おかげで日本の過疎自治体には本当に詳しくなったし、各地の素晴らしい資産と自治体職員ほか関係者の方々の、大変な努力は、目の当たりにすることになった。過疎とひとくくりにしてしまえるほど、何もない寂しい地域など、この国には一つも無い。驚くほど豊かな自然や、信じられないほどの光景が、この国には眠っている。我々が過疎地に関して本格的に関わる切っ掛けとなったのは、この映像である。

 北海道にある、赤井川村という住民1000人強ほどの村の、「北後志(きたしりべし)・夏ディスティネーション」と題されたPR映像で、2021年の6月に公開されている。

 海上の朝焼けだと思うのだが、信じがたい空と海の色の中を漁船が灯りをともして進んでいく。この映像に、本研究室の学生含め、全員が大きな衝撃を受けた。この国に、こういう尋常じゃない光や色に包まれた場所があるということ、そこに人が居て、生活の営みをしていること…。とにかく、普通に町で暮らしていたら、こんな光景を目にすることは、絶対に無いだろう。

画像2

 そしてこの凄まじい映像が、公開以来半年で200回強しか視聴数が無く、さらに赤井川村の公式チャンネルが、登録者数が55人ということにも、驚かされるのである。

 今は、我々が日本中の過疎地の具体的な事情に、一番詳しいと言っても過言ではないだろう。
 以下、その一連のリサーチの報告と、過疎自治体のPRに対する提案である。過疎の定義など、今更のことも含まれるし、冗長な内容なのはご容赦願いたい。何より、ここで整理したことは、学生達、そして都市部で日々暮らしている我々には、殆ど知らなかったことなのである。

0.背景と問題意識

 「過疎地」と呼ばれる地域が存在する。法律上、明確な定義があるが、おそらく詳細に理解している人は余りいないだろう。一般用語として使われる「過疎」と混同しているケースが多いのではないだろうか。「過疎」とは一般に、人や建物などが、度を越して少なくなっていることを意味する。ゆえに過疎地とは、寂しい状態の地域を想像するのだろう。過疎自治体、イコール、寂しい地域、寂れた場所というイメージで考えてしまう人が多いと思う。
 そうした実態は、筆者らが学生に対して、過疎地に対する認識をアンケートした結果でも明確に表れていた。その詳細は後述するが、さらにそこでは、殆どの学生が過疎地の正確な定義を理解していなかったということにも注目される。つまり、過疎地の実態は、少なくとも都市部の人間には、殆ど知られていない。

 筆者の研究室では、2015年頃から、ちょっとした縁で、徳島県の最も高知県寄りにある、海陽町という過疎自治体を舞台に、インターンシップ兼学びをする機会を持った。その中で同町の中山間部にある、海陽町久尾という地域に、3人のゼミ生と共に、2015年に初めて訪れた。以下の画像は、その集落に4期目に行った時のものである。海陽町は過疎地ではあるが、久尾という小地域は、いわゆる限界集落であり、当時住民が25人ほど、高齢化率が8割近かったと記憶する。
 当時はまだ地方創生という言葉もそれほど馴染みが無く、空港から何時間もかけて訪れた同集落は、都市部の学生に、強烈な印象を与えた。限界集落という言葉は知っているが、実際に立ち入ったことがある人はごくわずかであろう。そもそもそういう場所と地縁を結ぶということは難しいはずでもある。自分自身、初めて足を踏み入れる四国だったが、最初に訪れた場所が、この限界集落だった。同町から2年ほど支援を頂いたが、余りにも強烈な体験だったので、その後も学生たちと自腹で現地に行くという経験を含め、同地のリサーチは、丸4年間継続した。

画像3

 延べ20人の学生が、過疎地や限界集落に出入りしたが、全員に共通しているのは、全く過疎地、限界集落に対する知識が無く、実際に行ってみることで、大きな衝撃を受けたことであった。多くの学生が、これを切っ掛けに地方に関心を持つようになり、地方創生を卒論テーマに取り上げることもあった。地方に関わる仕事を選んだ学生もいる。

 こうした一連の研究調査でまず気になったのは、多くの学生たちが、過疎地や限界集落など、日本の地方に関する知識が、驚くほど少ないという点である。元々、現在の大学生は、文理問わず、戦後社会、現代社会に関して、殆ど理解していない。それは、日本史、世界史において、戦後以降、現代は殆ど入試に出題されないということもあるが、何より高校レベルでは、教えにくいという点もあるだろう。太平洋戦争を含め、現代に関わるイデオロギーの問題や、現在の政治、経済、社会に対する批判的な捉え方になる可能性もあるためであろう。

 言うまでも無く、現在の地方創生政策は、第二次安倍政権から始まるが、それは過疎関係法規の改廃でも示されているように、社会の変化とは切り離すことが出来ない。それが結局は、学生層の地方課題に関する知識不足に繋がるのではないかと考えた。ただ、これはこと大学生だけの問題ではなく、元大学生だった多くの社会人も、現代史や戦後社会、そして地方の課題に関して、殆ど知識を持たないだろう。社会人になって急に知的好奇心がわいたり、新たに学んだりするようになるとは、決して思えない。
 この「過疎地域に関する認識不足」は、大学生の問題として表面化するが、同時に過疎自治体側の情報発信に関しても、少なからず疑問が出て来るのも否定できない。自治体側は、きちんと伝えることを行っているのだろうか。

 地方自治体は、現在1718ある。その中で、全部過疎と指定されている地域は、650か所ある。それら数多くの自治体は、個々で様々な情報発信をしているはずである。昨今では、旧来の広報・広聴部門の他に、シティプロモーション部門など、PRを専門とする部署を持つ自治体も増えて来た。しかし学生など若い世代の認識の低さを見れば、自治体側の情報発信が、一般生活者には届いてはいないのも間違いの無い話である。
 こうした前提から、果たして過疎自治体は、どういうPRを行っているのだろうか、といった疑問が起こって来た。もしPRに課題があるのならば、それを解決することによって、過疎自治体に対する認識、認知を高めることが出来るはずである。こうした問題意識に基づき、本稿では、自治体のPRの実態調査を行い、過疎自治体の情報発信について考察する。

以下、報告書の目次案であり、noteでは、抜粋を中心に公開予定である。

0. 背景と問題意識(本記事)
1. 日本における過疎自治体とその社会的意義
 1.1. 過疎地政策の現況と関連法規
 1.2. 過疎の概況
  1.2.1. 過疎関係法規による過疎指定
  1.2.2. 過疎指定の効果
2. 大学生の過疎地に関する認識(アンケート調査より)
3. 自治体PRの現状と課題
 3.1. 自治体PRの特性と対象
 3.2. 自治体PRの手法
  3.2.1. 
コンテンツの内容と形態
  3.2.2. コンテンツを扱うメディア
 3.3. 自治体PRの現場(自治体アンケートより)
  3.3.1. 地域PRの方針、体制など
  3.3.2. PR事業の内容
 3.4. 自治体PRにおける動画コンテンツの現状
 3.5. 物語型コンテンツに関して
 3.6. 自治体PRの課題
 3.7. PR対象としての地域の特性
4. 情報過多への対策として(提言1)
5. 自治体が戦わない未来を求めて(提言2)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?