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21/11/19 展覧会の感想をちょっとずつ書く②

ファンタジスタのつづきです。

第一展示室で蕪村と若冲を堪能したあと、第二展示室。
ちょっと迷って入り口に戻ってしまい、若干クールダウン。
で、第二展示室入ってすぐ、はい画像。

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蘆 雪 だ (クールダウン終了)

作品リスト確認すると「山水鳥獣人物押絵貼図屏風」。いろいろいっぱい貼り合わせ。
どのモチーフものびのび描かれてますね。のびのびしすぎなくらいですね。福田さんに所蔵の屏風、ほかにものびのびしすぎなのがあった気がしますね。京の余裕ですかね。
画像のかめさん、みた瞬間に健気でいとおしくてキューンと射抜かれてしまったんですが、虎や仔犬もいて、どの絵もいいんですが。

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じわじわと胸をつかまれてしまうのが、この人形使いの絵。
これ当世風俗なのかな。蘆雪が生きているときにこんな人形使いに出くわして、それに群がる子どもたちを、こんなふうに見たんだろうか。
その目の、生きた蘆雪のやさしさが、絵の中にぎゅっと込められて残っている。愛しいなあ。

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虎もよいのでみてください。

しかし相変わらず、地に足のつかない筆捌きだ。飛びまわって跳ね回って飛び越えて、殊にこの屏風はのびのびしすぎて潔すぎて。そういうとこ好き。
でも、若冲と蕪村の美意識にふれてからこの絵の前に立つと、蘆雪の甘えのようなものを、かすかに感じたように思え、それは初めての経験だった。
蘆雪の絵の「波」については時々聞きますが、いいじゃないか波があったって、甘えがあったって。人間なんですから。

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そして、この蘆雪の隣の絵は、清らかな景色の屏風。
淡い色で描かれて、景色の奥行きがすーっと気持ちよくて、すごくきれいな絵。画像は部分です。

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きれいだな、いいな、そういえば応挙先生のこんな絵を、千葉市美あたりでみたような気がするな。もしかして応挙先生かな?と思って近づきますとね。

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源 琦 だ

びっくりしすぎてガラスにぶつかりました。そこそこ音を立てました。恥ずかしい。
ちなみにこの写真は源琦が美文字すぎて撮りました。気味悪い。

気を取り直しまして、見れば見るほど、さやかな月あかり、雪景色の清らかさ、あまりにも丁寧で美しい。
こんな……これほどまでに美しい風景を……
応挙先生と間違えちゃったけど……応挙先生に負けずとも劣らない……
さすが……晩年の師の傍らで絵具を溶いた(と言われる)男……

源琦もまじめで、丁寧で、綺麗なものが好きで、
美しいものへの敬意、絵そのものへの敬意、そして応挙先生への敬意も抱きながら真摯に描いていて、そのひたむきさが胸をうちます。清らかで、いい絵でした。並び立つ二哲。

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さてこの展示室もですね、順路は蘆雪からじゃなかったんですよ。いつもすみません、目に入った絵に吸い寄せられるタイプで。
最初は白隠の筆をぐりぐりやって描くような禅画や、松本奉時の蛙、池大雅などなど。葛蛇玉も久しぶりにみました。みんな力の入れどころと抜きどころ、それぞれでおもしろい。奉時の蛙は最近よく見かけるようになりましたね。

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かえるバリエーション。たのしいですね。

大雅の絵は、これまでわりと足し算気質だと思ってきたんですが、今回見た絵はそうでもなくて、風通しが良く心地よかった。ひとつ「この絵はorこの人はこうだ」と思うと、その色眼鏡をかけ続けてしまいがちだけど、もっとプレーンな目でみたほうがいいなあ。
大雅のおうちの図は大雅ではなくて富岡鉄斎の作であった。一瞬大雅かと思ってどきっとした。大雅が急に現代にぐわっと寄ってきたかと思った。鉄斎であれば納得であった。

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で、大雅までみて、くるっと振り返りましたら。

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はいみなさんお待ちかね。
安定のこいぬさまですが口角の上がり方が強め。にんまり。

応挙先生、今回福田さんでは3点並んでいました。
この仔犬の二幅対と、金地の陶淵明図屏風と、ガチョウの図(黄蜀葵鵞鳥小禽図)と。
こいぬさまはふわふわで、やわらかい絵ですが、ほか2点はカチッとキリッとした絵。ガチョウの白い羽の細密描写はすごい。羽根の形や細かい線の流れで、ガチョウの肉の詰まり具合まで、ぎゅっと描いている。
陶淵明図の人物描写、建物の木目までピシッと描く、そのまじめさもすごい。背筋が伸びる。ピシッ。
でも仔犬をみると口許がゆるむ。ニコッ。

正面向きの人を描くリアリティの追求。
(応挙先生は鯉とか動物でもよく正面向きを描くよなあ)
(正面向き難しいよなあ)(でも応挙先生は描くんだよなあ)

ピシッとしていても堅苦しくなりすぎないのは、ピシッとした描写のあるなかにも、程よい抜きをつくったり、ひとの手が描く実感をのこしたりする、その感覚なんだろうな。仔犬のうしろの竹の筆遣いとか、心地いいですよね。応挙先生は抜き方も知っているなあ、とよく思う。
若冲の彩色画は隅から隅までぎゅっと力が詰まっていて、渦巻いているように感じるけど、応挙先生の絵は多かれ少なかれどこかに風が通って、空気がすっきりしている、と思うのです。それはきっと絶妙なバランスで成立している絵づくり感覚で、応挙先生しれっとやっているけれども、すごいんだよなあ。そして自分が応挙先生を好きな理由でもあるのだった。

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えーと、これで一館分ですか。すみません、歯切れが悪くて。
呉春とか蕭白もみたんだけど。呉春はやっぱり形は歪めても線はきれいになっちゃうんですよね。
蕭白は蕭白だったね。(ざっくりしすぎ)

しかし福田さん、このラインナップで作品リストに「展示作品はすべて福田美術館所蔵です」って、すごいですねそれ。すげーなおい。
いい絵ばかりなので、ぜひまた何かと展覧会に出してください。

さて、そんな気持ちで、もう一方の会場である嵯峨嵐山文華館に向かいましたら。

そこには虎たちが待ち受けていたのであった。
つづく。(気長にお待ちください)

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ヘッダーは蘆雪「山水鳥獣人物押絵貼図屏風」より人形使いの絵、人形アップです。蘆雪のちいさきものに向ける目。愛しいなあ。