ニューアース読書会

不定期に開かれるエックハルト・トールのニューアースの読書会。Zoomで海外からも参加することが出来、いつも気づきと楽しみがある。

昨日は「欲望:もっと欲しい」という章を読んだ。
エゴはもっと必要だという欲求無しに長い間、過ごすことは出来ない。もっと欲しい、もっと必要だというのは、自分と同一化させるものがもっと必要だという心理的要求である。本当に必要なのではなくて、依存的な要求なのだ。エゴの貪欲さはひたすら設けることを目的とする企業などに集団的に現れる。

昨日、読み手を担当された方は、このようなエゴまみれでこの世に地獄を作り出してしまう人たちに腹が立つそうだが、ふと自分だけはこのようなエゴを全く持ってない、清廉潔白な人間だと思い込んでいることに気付くことがあるという。

私もコロナの陰謀に気付いたときは腹が立ち、医療業界の嘘まみれの世界に憤り、ワクチンを半強制しようとする自らの会社に怒り、その状況に流されてワクチンを打ち、君も打った方がいいよと軽口をたたいてくる周囲の同僚を軽蔑し、追い込まれている自分の状況を理解するどころか危険性を再三話したにも関わらず何の躊躇もなくワクチンを打った妻に敵対していた。

そうして、毎日のように世間と他人を批判している時は気付いていなかった。「自分だけは正しい、俺だけは特別」という、今考えると、お前こそが一番の傲慢野郎だと言いたくなるような思考をしつこくしつこくテープレコーダーよろしく頭の中で流し続けていたのだ。そして、「こんなに正しい俺をなぜ理解してくれないのか。周りはバカばっかり(そして俺は特別)だからどうせ理解できないだろう」という矛盾した精神構造、まさにこの章で言うところの見つからない物を求め続ける無意識の思考パターンにはまっていた。

社会や他人が悪いという外だけを歪めてみる態度から自分の中にある強欲や傲慢に気付いていく態度に変わることで、外の状況は全く変わらないが、だんだんとそのことに腹を立てたりすることが少なくなっていった。そして、不思議なもので、自分が変わったと思うと今度は妻が私の話に耳を傾けるようになった。内が変わると外も変わったのだ。不思議だ。

講師の方が言うように、地球には苦しみや闇があり、それはなくならない。だが、その苦しみやあ闇は気づきを与えてくれる。自分の内側に目を向けさせてくれたコロナや妻には本当に感謝している。これがなかったら私は未だに会社で惰性的に生きる毎日を繰り返していたことだろう。

エゴが完全になくなることはないだろうが、エゴに気付くのは随分早くなってきた。そして、剥がれ落ちるのも早い。そうすると自分がやりたいことに目が向くようになった。自分の内面の探求もその内の一つ。だが何かを達成する・手に入れるという目的で探求するなら、それも「今の自分は十分でない」というエゴになり得るという講師の方の話は印象的だった。

だから、探求するなら無目的に遊び感覚で続けること。いや、全て自分の行動を無目的に遊び感覚に持っていくことが出来たなら、その時はエゴから解放された平安が訪れるのかもしれない。そのことを目的に無目的になるわけではないけど。

今回も面白かった!

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