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終活と葬儀とお寺さん

葬儀が必要な人と終活を行う人、そしてお坊さんが必要な人のタイミングはそれぞれ異なります。
葬儀は人が亡くなってからはじめて行うものです。
生前葬というのは逆に葬儀屋ではなくホテルが企画するものだと思っていただければいいです。

終活は今ある財産と見込み財産、そして受け渡す財産のことを考えて、今を楽しく生きることである。

では、お坊さんは?
葬送儀礼がなくてもお坊さんを呼ぶことはあります。
お盆やお彼岸も儀礼と言ってしまえばそうかも知れないけど、葬儀の場ではないです。

葬送文化を守るのはお寺さんだけではない。
葬儀社の営業トーク次第なんです。
もちろんお坊さんの日々の布教活動は大切です。
それは檀家をつないでおく、お墓を維持する、本堂を維持することがあるから。
しかし、いざとなると人はどうなるのか。
お坊さんを呼ばない葬儀になったり、埋葬もせずに散骨もある。
そうなれば、どんどん宗教儀礼がなくなっていく。
そこは、もうお坊さんの手の届く範疇ではないわけです。

葬儀社が率先してお寺さんを招く葬儀をするしかないわけです。
終活に於いても、宗教儀礼をするかしないかのトークが必要。
やはり日ごろ、葬儀屋さんの活動が日本の宗教活動を豊かにするのかなって。

ちなみに私はキリスト教のあの勧誘でピンポンするのはイヤです。
こういうのが宗教への憎悪を増すのかな?

今の葬送文化は戦後の葬儀社が作り上げたものです。
しかし、亡くなった人を見送ることは太古の時代からやってきたことです。
今、葬儀がなくなってしまったら、どこに手を合わすことができるのか?