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「わかりやすさ」との戦い。思考と対話を取り戻す。

皆さんこんにちは。榎本です。
本日は最近SNSなどで政治などに蔓延っている「わかりやすさ」についてお話したいと思います。

「わかりやすさ」を求める時代

一般に「わかりやすさ」というのは良い表現として使われることが多いと思います。しかし現代はこの「わかりやすさ」故の弊害が増えていると僕は感じています。(前に似たような切り口で編集力偏重のこともまとめました)

インターネットの登場は一般意志を拡張して、より民主主義に近づくという予想を出している人が多かったのですが実際はどうでしょうか?

SNSを見ていると多様な意見は出てきているものの、その多様な意見が相互にお互いで意見交換をして建設的な議論が起きているのではなく、実際は自分たちの意見・イデオロギーを強化して、自分たちと違う意見を攻撃する方向にしかなっていません。

これは「わかりやすさ」だけを求めているからではないか?と思います。
自分にとって安心できる、自分を否定しない情報だけを求めて、自分を変容させていくようなことをしていかない、本質に目を向けることが阻害されているように感じます。

下記の対談でも次のような発言が出ておりました。

・5行以上の文字が読めない人ばかり。(文脈が読めない人が多すぎる)
・情報を伝えても、受け手が想像できることしか伝わっていない
・ハッシュタグは知っていることの反復

大衆はこうした中で、自分の見たいもの・聞きたいもの=想定できるものだけを聞いて、自分の意見と同じ世界だけをつくりマスターベーションするだけになり、違う意見には否応なしに攻撃的になり、結果分断が生まれます

「分断」と「多様性」

知人の大学院生からこんなことを教えてもらいました。教育哲学者のデューイは民主主義の条件を次のように定めているとのことです。

・多様な人が多様な集まりを作り、それを周りが認知していること
・それぞれの集まりの相互のコミュニケーションが成立していること

今社会は多様になってきていますが、2つ目の条件は成立しているでしょうか?

組織においても、僕が多様な組織で働いていて思うのは、多様性のある組織は共通の目的のもと優秀で対話ができるメンバーがいないと成立しない、ということです。

ただ多様なだけでお互いに対して理解なく、自分たちの権利や立場を主張するだけでは、それは民主主義ではなく分断です。トランプ大統領が分断を引き起こしているという意見もありますが、トランプ大統領がそれを助長しているのは確かと思いますが、ただそれを表面化させただけだと考えています。
バイデン側も分断を煽るようなことは言っていて、それがアメリカの選挙活動なのです。

ポリティカルコレクトネスに対して否定的な声が上がるのも、多様な価値観をまとめる上での共通見解を用意できるとは言うものの、実際の2つ目の条件にある調整や対話といった現実レイヤーになると結局綺麗事を言っていてもしわ寄せが来ている人がいるからでしょう。

これについてはコロナ禍でのフォロワーシップのあり方から考察した次のような記事も書きました。

こうしたポリティカルコレクトネスのあり方は多様性マーケティングのようになっていて、違和感を持つ人も出てきています。

「わかりやすさ」を超えて、「分断」の先へ。

さて現在起きているのは社会は多様になってきているものの、それぞれの立場の人が自分の見たいものしか見ず、対話ではなく自分たちと違う立場のものを攻撃するような社会になっていて、ポリティカルコレクトネスの欺瞞ではそれは解消ができなくなっているということです。

そうなった時に僕が必要だと思うのは、思考・対話です。
相手に対して想像力を働かせて、自分のイデオロギーのレンズで相手を決めつけず、背景を対話していくことが求められます。

こういった発言をすると「トーンポリシング」と批判されますが、これについては次の記事を見てみてください。

「われわれが論争するとき犯すかもしれない罪のうちで、最悪のものは、反対意見のひとびとを不道徳な悪者と決めつけることである」
ジョン・スチュアート・ミル『自由論』

この人間社会の長い歴史を振り返ると思うのは、こうしたルサンチマン的な動機は社会を動かす原動力として動いてきましたが、この世は「正義」vs「悪」のような単純な構図ではなく、今のシステム化した社会(全てがルールによって運営される社会)では特に、「正義」と「正義」のぶつかり合いなのです。

なので「自分は正しい!(相手が間違っている!)」ではなく、相手はなんでそんなことを言っているんだろうか?と、冷静になって想像してみることが大事ではないでしょうか?

世界に少しでも愛と平和が訪れることを祈っております。

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