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ティール組織(グリーン組織)は目指そうとしているから作れないという話。

こんにちは。榎本です。

ティール組織ブームの中でいろいろティール組織を設計しようとしているのにうまく行かない・逆にひどい目にあったという話をよく聞きます。

つまり、最近までの皆さんの専らの問いは
「いかにしてティール組織を作ることができるか?」
でした。

しかし、今回僕が考えてみたいと思う問いは、
「なぜ人はティール組織を求めるのか?ティール組織の本質は何なのか?」
ということです。これによって、ティール組織がうまくいかない原因も見ていきたいと思っております。

また自分の頭を整理したくてまた書いてます。どんどんブラッシュアップしたいのでご意見などください。

ティール組織とは?

以前、ティール組織を僕自身求めていて作ろうと思っておりましたが、失敗をしてしまいました

そこから昔の僕はティール組織は「状態」なのではないか?という仮説を打ち立てたのが下記の記事です。

そもそもティール組織について定義を改めて見てみると下記のような結果が出てきました。

ティール(進化型):進化する組織。個人も組織も進化し続ける。生命体。
グリーン(多元型):ボトムアップ型組織。成果<人間関係を重視。家族。
オレンジ(達成型):成果主義のヒエラルキー型達成型組織。機械。
アンバー(順応型):軍隊的な上意下達のヒエラルキー組織。軍隊。
レッド(衝動型):圧倒的力を持つトップによる恐怖支配。狼の群れ。

このように見てみるとなるほどティール組織ほど優れた発達している組織だから、この世の変化に適応するためにこのような組織を作りたいな!という気持ちが湧きます。

しかし、ここまでティール組織がうまくいかない現実を見たときに果たしてこの定義が正しいのか?ということを考えないといけない、「ティール組織」は何かしら誤解を招いているのではないか?と考えたんです。

意識の発達として見る「ティール組織」

意識の発達として見たときに各レイヤーはどのように定義できるんでしょうか?
その上で下記のnoteを見ていただくとわかりやすいと思います。(拙文で恐縮ですが)

時代のあり方と意識について考えたnote

意識の発達を意識の構造からまとめたnote

つまり、下記のように整理できるかと思います。

レッド:自分という主体の「力」で生きていこうとする意識
アンバー:「法」によって自己を共同体の中で生きようとする意識
オレンジ:「論理」によって「設計」していく意識
グリーン:価値基準を持たない「相対主義」の意識
ティール:無限の可能性から独自の「真美善」が降りる意識

少々抽象的になりましたが言いたいのはこういうことです。
グリーンな意識は一切の価値判断が起きない状態です。つまり、ある種の価値判断を起こしている時点でそれはオレンジ的なのです。そう考えると次のようなことが言えます。

オレンジの組織=成果主義・ヒエラルキーとは限らないし、グリーンの組織=ボトムアップで家族的な組織とは限らない。

それを解説していきます。

「ティールを目指したい」という人のオレンジの心理

意識レイヤーでティール組織を脱構築してみると、必ずしも上記でまとめた組織の説明が正しくないと言えそうです。

その理由は、「ティール組織」(がなにかしら「良い」と思っているので)を「設計」しようとする時点で、それはティール組織でなくなる。(オレンジになるから)ということです。
すごく禅問答なような言い方ですが、僕はこれを「再帰性」「設計不可能性」と呼んでおります。

つまり、「ティール組織が良いからティール組織を作ろう!」としている心理自体がオレンジ的な考えだということです。
それぞれの意識の段階は思った以上に溝が深いんです。

前段で述べたオレンジ=成果主義でヒエラルキーという考えが間違っており、オレンジとは意識の発達を見てもわかるように、ある目的に対して「設計しよう」とする意識です。
なので、成果を売上や利益とおいて成果主義でヒエラルキーにしようとするのもそれはオレンジですし、「成果を出すために」ボトムアップで家族的にしようとするのもそれはオレンジなんです。

そして今「ティール組織を作りたい!」と考えている人の意識の大半は次のようなものでないでしょうか?

「ヒエラルキー型の組織で個人の自由が奪われるなんて許せない!」
「成果主義って人間らしく生きることを否定している!」
「マネジメントって考えが嫌だ!人はフラットにやっていけばうまくいく!」

この考え方もまさにオレンジだと気づきましたか?
要は既存のオレンジのベクトルの向きを違う向きにして、その向きに合うように設計しようとしているだけで、本質的にはオレンジの組織となんら変わりありません。

むしろ、既存のオレンジのベクトルはそのオレンジ的な考えでのベストプラクティスとも言えると思います。
だからベストプラクティスに反することをやろうとしていて、失敗しているだけであり、それはただのワガママにも近いと言えそうです。

「自分が自由に仕事したい!」
「成果で人を測るな!」
「フラットに考えろ!身分なんて作るな!」

と言ってるのと同じだからです。
なのでティール組織を作ろうとすると、僕の以前のティール組織noteにも書いた通り、いかにマネジメントレイヤーが重要な働きをしているか?わかり、それなしで実現するのがいかに難しいか?がわかると思います。

グリーン的なパラダイム

僕が顧問をしている学生ベンチャーは「意図せずして」グリーン的な組織運営になっております。

サークル感覚で楽しいと思う仕事をする
・事業も自分たちが仲間と一緒にやるのに良いテーマを選んでいる
学生主体で進めることを大事にしており、仲間の選別は厳し目

大学の新規事業コンテストで仲間と一緒に何かをしたくて始めて、コンテストに優勝してそのお金で楽しくやっているんだな~という感じです。
僕はあくまで関わるといっても外部からアドバイスをするだけ。
仲間同士で何かをやることを大事にしているんです。

ここから本質的にグリーンな組織について見えてきます。
グリーンな組織では、「こうすべき」「こうでなくてはいけない」みたいな価値観のベクトルがありません
個々人はグリーンの意識ではないかもしれませんが、組織としては「オレンジ的な組織にしよう」「ティールな組織を作ろう」といったこだわりを持ってないんです。

なので、グリーンな組織が必ずしも家族的でコミュニティのような形であるとも限りません。
本質は、「何かが良い悪い」という善悪で設計しようとしないことです。

オレンジパラダイムのままティールを設計を促す『ティール組織』の功罪

つまりここまでの話をまとめると下記のようになります。

・ティール組織を目指している人は、「ティールが良い」から目指そうとしている
・その時点でオレンジパラダイムであり、オレンジパラダイムのベストプラクティスに外れるから失敗をする
・グリーンパラダイムでは、「何かが良い悪い」という次元で見ていない。
・組織のパラダイムはグリーン以降では必ずしもメンバーの意識レベルと一致しなくても成立しそう(誰かが作ろうとしていないから)

ティール組織が与えたインパクトや功績は非常に大きいと感じています。しかしあの本は読み手にオレンジパラダイムのままティール組織を目指そうとする再帰性の問題を促す悪影響もあったと言えます。

これは組織開発全般に言えるかもしれませんが、オレンジまでは「設計」しようとして組織開発を従事することができますが、グリーン以降は「設計」しようとしている時点で組織開発を実施できません。

それはある意味自責の念を持てという再帰性の問題と似ているかもしれません。「自責の念を持て!」と相手に求めている時点で、自分が「自責の念」を持っていないということです。

人の変容を他者が促すことは原則できません。故に組織に変容を促すことも、オレンジまでは「設計」というベクトルがあるのでうまくいきますが、うまく行かないんです。

僕たちはどうすればいいのか?

ここまで話すと非常に投げやりで、身も蓋もない話をしていると感じるかもしれません。

僕自身の話をすると、そもそもティール組織を目指そうというモチベーションが湧かなくなりました
今の組織の流れに身を寄せて、僕自身の弱みや考えをオープンに愛をもって対話していくこと。
ただそれだけです。

そもそもこのnoteを読んで「どうすればいい?」と考えていることが、良い悪いを求めるオレンジパラダイムとも言えます。
僕がやりたいのはまず、ティール組織に植え付けられた観念を手放してある種解脱させることが、ティール組織著者のフレデリック・ラルーさんの実現したい世界に結果的に近づくのではないか?という考え分かち合いたかったんです。

こちらに関してもはや「組織かくあるべし」という考えがないので、あとは組織は無限の可能性に満ちております。
もっと組織開発は人と深く関わる人間的で可能性に満ちた仕事ではないでしょうか?「ティール組織でないといけない」「オレンジは時代遅れ」といった考えでなく、組織の可能性を楽しむことができるのではないか?と考えて止まないです。

本記事に関しても是非ツイッターなので情報交換させてください!
もう組織に正解はないんですから。

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