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政治を好きな人はいないのに、政治が生まれるのはなぜか?

こんにちは!えのもとです。
最近、プロジェクトマネジメントから派生して組織開発にすごく興味津々なので、今日のテーマは『政治』です!

僕は体質的に昔から政治とかマジ無理って感じなんですけど、政治がない会社ってあんまりなかったな~と思ってて、政治がある会社でも政治のことを好きな人なんて誰一人いないのに、なんで生まれんだよって思ってたので、いろいろ調べて考えをまとめたいと思います。

政治ってなんだ?

ってことで調べようと思ったんですが、そもそも政治ってよく使う言葉だけど色んな意味あるな~と思って、まずは自分の言ってる『政治』の解像度を高めたいな~と思います。

学生の時ぶりに見る広辞苑によると、こんな意味らしいです。

人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。

他の人に対してやることとか、他の人と一緒にやることが秩序の形成とか解体のためだったら何でも政治だとしたら、ほぼ何でも政治やんって思いました。

となると、政治って

集団において、自分の何かしらの目的に対して、他者へ働きかけること

って言えるな~と思いました。

だから例えば、

・国家全体において、もっと国を良くしたい!と思って個々人の目的=利害を調整するのは「政(まつりごと)」=よく言う政治家とかの政治
・国家同士の目的において、お互いの国の目的=利害を調整するのは「国際政治」=よく言う首脳会談的な
・会社内での、各部署の目的=利害を調整するのは「社内政治」=半沢直樹!

こんな感じで整理できるな~と。

んじゃ、政治っていらないの?

そうなったときに、政治ってないと困るかも、と思いました。
だって、誰かが調整してくれないと、自分たちの目的に沿った行動ができないじゃん!と思ったからです。

んじゃなんでみんなこんなに政治嫌いなの?ってのが僕の疑問です。

となると政治にもいろいろ意味がありそうだな~なんて。
ポイントは、個々人の目的の調整なんで『目的』が大事だなぁと思いました。

この目的をいろいろ分解してみると、

・私利私欲のための利己的な「目的」
・みんなのためを考えた利他的な<目的>
・みんなで合意した統合された《目的》

に分けられるな~と。
自分のことしか考えてない「目的」、みんなのためを思っている<目的>、みんなで合意された《目的》によって、他者への働きかけ=政治のスタイルも大きく変わりそうです。

なんで今後はこの『目的』に応じて、『政治』の呼び方も変えます。

・私利私欲を満たすために、他者へ働きかける「政治」
・みんなの満足のために、他者へ働きかける<政治>
・みんなで合意されていることを、他者に働きかける《政治》

といった具合に。
ってなると、みんなが嫌いなのって「政治」はもちろんだし、合意できない<政治>も嫌いだけど、《政治》はむしろウェルカムなんじゃね?って思いました。

『政治』の種類によって全然違う

って考えると、ただただ自由意志なく、その国に生まれただけの人とか、生まれた場所も言葉も宗教も違う人にとって、《政治》をするのはほぼ無理ゲー。ましてやダイバーシティとか言ってるし。

<政治>はいけんじゃね?って思うけど、左翼とか右翼とかイデオロギーって、この<目的>の型が違うんだな~ってので、みんなハッピーなりたいけど、それぞれのハッピーになるための描く道筋が違うから<目的>のレベルでも人によっては「目的」に見えて、それはお前らの私利私欲やん!みたいになっちゃうんだなーと。

てなると、国際政治なんかは喧々諤々話し合いとか妥協点探るしかないし、国内政治も多数決で選挙でその数でいろんな<目的>の中で一番《目的》チックなものを選ぶしかねぇよな~と。
独裁政治だと1人の<目的>でみんな従わせんだろうけど。
「目的」だったらマジ北朝鮮。

でも待てよ、なんかそういう『政』とか『国際政治』って別にそこまで嫌な感じしてねぇーぞ。イデオロギーの対立も、ツイッターで見かけたら即ブロックして面倒くせぇって感じだし。

もっと身近な組織とか会社の『政治』に対して辟易したりとか、『政』で献金があったり、賄賂とか権力とかが目に入ると嫌だなって感じだよね。

つまり、

・『政』レベルで、多様性だし各個人の<目的>違うのはしゃーなし。そこで対立すんのは不毛だけど、「目的」レベルが見えてくると、まじおこ
・『社内政治』レベルで、「目的」はマジ無理だけど、《目的》レベルの《政治》が見えないと、泣いちゃう

ってことなんじゃないかと。

だって、『政』レベルだとみんな好きで日本に生まれた訳じゃないし、人それぞれ違う人いるのは仕方ないけど、『社内政治』レベルだとそれは自分の意志でいい大人が意図して入った訳だし、人為的に作られたものでしょ?っていう。

ココに来てようやく政治が生まれるのはなぜか?

ってなると、ってなると、政治が生まれるのは目的が違うから。
『政』レベルのときは政治が生まれるのは人それぞれ違うし、《目的》なんてマジ無理だし、<目的>レベルもイデオロギーで異なるから、それの調整は必要だよね。多数決で決めるしかないよね。

『社内政治』レベルのときは、《目的》の合意ができるはずなのにできてなくて、<目的>の食い違いが出てきて、根回しとかそういう話が出るんだなーと。

「政治」をしている場合は、相手を脅迫したり、騙したり、曖昧にして進めたり、命令したり、感情的に気持ちを持ち上げてあげたり、金とか風俗とかそういう動物的なもので合意させるような他者への働きかけ方がある。

<政治>をしている場合は、自分のビジョンを語って仲間を増やす、ビジョンでわかり会えない人は敵対したり、共通点を模索して妥協案を探ったり、するような他者への働きかけ方がある。

《政治》の場合は、まずみんなで共通のビジョンを持つ仲間のみを集める、あとはその《目的》に対しての道筋をロジカルに整理して、みんなで建設的に話し合うだけが、他者への働きかけ。

外資系企業とかベンチャー企業で、あんまり政治の話題が出ないのは《政治》だからだね。
みんな同じミッションで入って、そのミッションにあとは向かうだけだからロジカルに話し合いして、みんな腹落ちして進められる。

んじゃ俺らは政治とどう接していけばいいの?

そもそもでいくと、「目的」レベルの意識の人は人生の質も低くなりがちなので、早く利他的な視点を身に着けた方がいいと思う。余計なお世話だけど、ポジティブ心理学でもそれでは幸せになれないことわかってるし。

まずは国際政治とか政の場合は、もういかに共感を呼ぶ<目的>を描けて、あとはそれに対して多数決で決まる。または<目的>で独裁してしまうか。無理ゲーだけど。

問題はもっと身近な組織とかコミュニティの政治だよね。
それに関しては、自分の《目的》とその集団の《目的》をあってるとこに入って、集団の《目的》にあとは沿って腑に落ちて進めるだけ

て考えると、組織でミッション・ビジョン・バリューが大事ってのも腑に落ちた。

あくまで自分の考えなんで、これはこうじゃね?的ながあったら是非ご意見くだせ~


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