東京で生きる

私は東京生まれ東京育ちの都会っ子だ。地上にも地下にもびっしりと張り巡らされた線路を時間通りに走る電車に詰め込まれて、味気ない東京郊外ベッドタウンを抜け出す。池袋や渋谷や新宿に出れば欲しいものはすべて手に入る。ごちゃごちゃの文化や文化ともよべなそうなものたちが自由に歩き回っている。スクランブル交差点を、電車から降りていくみたいに人が渡っていく。みんなだいたい同じような顔をしている。テレビの取材。ティッシュ配り、ビラ配り、選挙カー。耳を塞いで歩いているから、うるさいのは気にならない。ケータイ画面から顔を上げると、最近人気の女性タレントの顔が大男が大の字に寝ても隠せないぐらいのサイズに印刷されてビルを包んでいる。誰かが私たちに語りかけている。「渋谷スクランブル交差点を横断中のみなさん、…」ドラマの宣伝だ。竹馬みたいなヒールを履いた女の子たちは信号が赤になっても走れないでいる。それを指摘する人の声は、ドラマの宣伝をする新人女優の声にかき消されてしまった。

学校から帰る道の途中、いつも通り私はノイズを消すタイプのイヤホンをして自分の世界に入り込んでいた。英語のリスニングCDを聴いていたのだ。遠くから誰かの声が聞こえる。日本語。周りを見渡すと周りの人もきょろきょろしている。イヤホンを外すと電車内には女性の声が響いていた。「急病人です、誰か、AEDを持ってきてください」彼女は大きな声で何度も同じことを叫んでいた。ざわつく車内は人が多く、急病人がどこにいるのかさえも見えなかった。ちょうど電車がホームにすべりこんだところで誰かが緊急用の急停車ボタンを押した。不穏なブザー音が鳴り響き、イヤホンをしていた人もなんだ?という顔をして片耳だけ外した。ドアが開くと人は波のようにどばっと出ていく。入れ替わりに待っていた人達がなにかの触手みたいにまとまりながらぬるぬる電車に吸い込まれていく。私はどうすることも出来なくて、出ていく人の波に流されていった。女子高生や背広のサラリーマンは足早にその場を去っていった。空の牛乳瓶を水中に沈めたときのように、いつもの調子で人が電車内に流れ込んでいったけど、「急病人」と呼ばれていた人はちゃんと電車から降りられたんだろうか。心臓がばくばくと脈を打ってTシャツのドクロのプリントが震える。ゆっくりと前に進んで、とりあえずベンチに腰掛けた。イヤホンをしていつもの曲を流す。悪い方向に向かっていく自分の妄想を大丈夫。大丈夫。と言い聞かせてなだめる。
アナウンス。「急病のお客様の救助のため…まことに申し訳ございません……間もなく発車いたします」結局電車は4分遅れで発車した。いらついた表情の乗客の前すれすれをドアが閉まって、その表情のまま行ってしまった。

東京という大都市で、まともに生きていくためには「共感を切ること」がいちばん重要だと感じる。砂糖のつぶを数えるぐらいに果てしない数の人間がうじゃうじゃ歩いているところで、殺人も自殺も、信じられないぐらいたくさん起きている。救急車は常に東京中を走り回っている。電車はすれすれを通り抜けていく。車は誰が運転しているかわからない。人の数だけ死はあり、死はどこにでもある。救急車のサイレンでいちいちその中にいる人間を意識していると気が狂ってしまう。
だからたぶん、東京という大都市でまともに生きていくためには、急病人を無視してさっさとその場を去り、救急車のサイレンを聞かないためにイヤホンをし、友達に冗談で「まじうざい、死ね」と言って笑い合うことが必要だ。鈍感になること。それができない人には東京は向いていない。

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