見出し画像

兼題:玉葱 ~夏井Rxの妄想一句一遊・土曜日~

【はじめに】
この記事では、南海放送ほかで放送されている平日帯のラジオ番組「夏井いつきの一句一遊」の形式を借りて、古今東西の俳人達の名句を紹介していきます。題して、「夏井Rxの妄想一句一遊・土曜日」です。

画像1

(0)兼題:玉葱(たまねぎ)

夏井Rx「俳句noterのRx組組長・夏井Rxです。」

家藤Rx「アシスタントの家藤Rxです。」

今週の兼題は、「玉葱」でお送りをしていますが、土曜日!
古今東西の名俳人は、どう「玉葱」を俳句的に調理したのか、一緒に見聞きしていきましょうね~

では、句を紹介する前に、Rx親父さんからの能書き(兼題説明)です。

タマネギの歴史は古く、現存する最古の栽培植物のひとつとされることも。原産地を中央アジアとする説が有力で、古代メソポタミアの楔形文字には、玉葱を使った料理が書かれているなど、古今東西で広く身近な野菜でした。

画像2

ただ日本での歴史は案外浅く、江戸時代、長崎に伝わった玉葱は「観賞用」とするに留まり、食用として栽培されるようになったのは、今からちょうど150年前(1871年)の北海道であったとされています。

画像3

明治の終わり頃には、玉葱の栽培が日本の気候にも合っていたこともあり、生産量が急増、庶民にも親しまれるようになり、大正時代以降は洋食を中心に使われる頻度も増え、多くの料理に用いられるようになりましたが、癖の強い味や臭い、切った際の刺激成分による催涙作用も良く話題になります。

そういう「涙」系のネタ、月曜日にわんさか来ましたww

現在では一年中出荷されますが、俳句の世界としては「夏の植物」の季語とされ、戦前から作句例はありますが、歴史的経緯から江戸以前は皆無です。

「玉葱」が、日本では明治・大正時代以降の野菜だったというのは、初めて知りましたねぇー。それでは「玉葱」の作品を見ていきましょう。

(1)貧なる父玉葱噛んで気を鎮む/西東三鬼

実際には、三鬼さんが若い頃に父親を亡くしているそうなんですが、ここで「貧(まず)しき父」ではなく「貧(ひん)なる父」という硬い表現が、句全体を引き締めています。

貧しい父親、仕事も生活も上手く行っていない、その行き場のない思いを、貧しくて「酒」に頼ることもままならずか、玉葱を噛んでいるという描写。文語的な表現が、重苦しい空気感を伝えているようです。

一発目に暗い句を選んでしまいましたが(苦笑) 次はこういうアプローチでの明るい句をご紹介しましょう。

(2)玉葱をどつさり食べるキリンの朝/星野恒彦

『玉葱をどっさり食べる』と言われても、せいぜい1個か2個でしょうか? まるごと焼いたり、煮たりしても『どっさり』は言い過ぎじゃない? などと考えつつ読み進めると、出てくるのが「キリン」です。

なるほど! と。「キリン」ならば、人間の量を遥かに上回ります。これで『どっさり』という言葉のチョイスが正しかったことが分かりますね。

そして着地が「キリンの朝」と、字余りにしてまで時間を表現することで、動物園の飼育員さんが『朝ごはん』をあげる、そんな光景までがありありと浮かんできます。言葉の配置がさすが巧みといった感じがしますね。

(3)ひもすがら玉葱焦がす日曜日/本村照香

ここまでの2句は「生」っぽい玉葱でしたが、この句は『調理される玉葱』の感じが伝わってきますよね。『ひもすがら』は雅な日本語で、「終日」と漢字では書きます。「ひねもす」、一日中といった意味合いです。

『玉葱を焼く』でも『玉葱炒める』でも工程は同じはずなんですが、ここで『焦がす』という動詞を使うことで少しドラマが広がる感じもしませんか?

画像4

玉葱を加熱したときの独特の臭いが、日曜日の午後を包み込むような、句のリズムにもマッチして「ゆったり」とした光景が描けていると思います。

(4)本当は玉葱嫌いなんだけど/渡部ひとみ

対して、そうした臭いも味も食感もキライな人はとことんキライですよね。この句は、うっかりすると月曜日に取る人も居るんでしょうが、わたし妙に印象に残っちゃって、土曜日に選ばせてもらいましたww

画像5

ただ『玉葱が嫌い』というだけなら、小学生だって誰だって抱く感想なのですが、下五に『なんだけど』という口語文体が非常に良く利いていますし、上五に『本当は』と付けることで、詠み手の心情(本音)も、周囲の状況も気まずさも伝わってきます。

平然と書いている様で、実は「言葉の経済効率」が良い句だなと思います。

♪ リクエスト:お料理行進曲/YUKA

ここでリクエストが来てますね。1992年発売、アニメ『キテレツ大百科』のオープニングだった『お料理行進曲』をお願いします。

歌詞にも「玉葱」出てくるし、アニメにも『玉葱』出てくるもんね~

(5)この島の玉葱太る風の音/城孝子

玉葱で島といえば、もちろん『キテレツ大百科』のOP映像を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょうが、やはり兵庫県は淡路島ではないでしょうか? 全国シェアの10%近くを占める「淡路島たまねぎ」、一大産地です。

画像6

『玉葱の音』と言うと、包丁で切る音か、食べるシャキシャキとした音の句が多い中で、この句は『地中にまだ埋もれている』段階の玉葱と、そうした玉葱が生えている島の土地、更にはそこに吹く晩春から初夏頃にかけての、潮の匂いも混じっていそうな「海風の音」にポイントを絞ったのです。

淡路島を詠んだ句は他にもあったのですが、夏の季語だという観点からこの句を選ばせてもらいました。海と空の青、そして地面の緑と茶色が想像できます、良い句です。

(6)玉葱を吊りて生家に母一人/吉原一暁

都会的な句というより、ここらへんは本当に昭和の懐かしい光景が目に浮かびます。『玉葱を吊る』というのも、昔は随所で見られたのですが、最近は殆ど見かけなくなってしまいました。

画像7

平易な言葉遣いの中に『生家』とあるのが、この句の特徴でしょう。多分、「実家」とか「故郷」とかの方がありふれた語彙だと思うのですが、ここを『生家』としたことで「家」という実体の印象も強まりますし、自分が生まれた頃から変わらぬ生家が続いている。

その一方で、かつては居たはずである「父」の姿は生家になく、母一人が、生家を守り、玉葱を吊る季節を迎えていることよ、と。詠者はきっと都会で自分の生活を送っているのだろうという所まで想像できますね。

画像8

難しい言葉はいらないんです。でも単語を一つ意識するだけで、ここまで描けるんです。俳句って面白いですねー

(7)玉葱を妻の高さに吊しけり/戸栗末廣

「玉葱を吊るす」という動作を描いた作品でも、こちらはほっこりします。広島の戸栗末廣さんの作品。

画像9

妻とは身長差があるのは、或いは高齢になってきて背中が丸くなってこられたのか。いずれにしても、人それぞれ「歩幅」や「話すテンポ」がある様に「身長」にも丁度よい高さが別々にあります。

『妻の高さ』とする所に、旦那さんの優しさ、奥様を愛していらっしゃる姿というのが垣間見える、そんな句でございました。

(8)受話器とる手に玉葱の匂ひけり/清わかば

そうして玉葱を手に取ると、これは農家でも都会の主婦でも良いのですが、玉葱の独特の臭いを手に纏います。『清わかば』の生活の気づきの一句。

画像10

きっとこの受話器は、今時のスマホやプッシュホン式のではなくて、黒電話の頃の時代背景ではないかと思います。最近は、スマホに『受話器』を取り付けられるアクセサリーもあるって聞きますがww

『受話器とる手に』って始まると、思わず皆さんも受話器を手に取る追体験をすると思います。そうすると句またがりの後半部で、『玉葱の匂ひけり』と続くことで、嗅覚に刺激が移っていくのです。

『臭ひ』ではなく、『匂ひ』という漢字も意図的に使っているのでしょう。何か新鮮で、夏の季語『玉葱』に相応しい夏のワンシーンを切り取れていると思います。

画像11

そして、令和最初の「俳句甲子園」で『最優秀句』に輝いた作品。東京・開成高校から参加してくれた(当時)高校生俳人の1句。

(9)中腰の世界に玉葱の匂ふ/重田渉

この句の後半部分は、極めて平易で有りがちです。そして、「中腰」という体の状態も『玉葱』という季語とは合いやすい単語かも知れません。

ですが、「中腰の世界」という表現が少し『詩的』です。私は「農作業」の光景を、玉葱畑を中腰の目線の高さから見たものと解釈する方がスキです。

画像18

しかし、ここまで細かな配慮をした表現を使うとあれば、ひょっとすると、『中腰の世界』というのは、何か現代社会に対する皮肉や比喩なのではないかという読みも当然あって然るべきものでしょう。

そういった所まで、深く読ませる奥行きがあることも、この作品の魅力であり、プロの先生方から高く評価された要因だったのではないかと思います。

さて今回の兼題『玉葱』色んなアプローチありましたが、やはりこの2人。プレバト!!永世名人2人の作品には痺れてしまいました! ダブルで「天」を行きたいと思います。まずは、東国原名人の1句から。

(天1)玉葱やこの人結局死んじゃうの/東国原英夫

この句は、「玉葱」という季語と、季語とは関係のない12音のフレーズを『取り合わせ』る“二物衝撃”という手法で作られた作品でして、中七・下五は会話文をそのままくっつけた様な感じです。

玉葱は会話文を取り合わせ易い季語ではあるんですが、本当に日常的な会話をくっつけても“二物衝撃”のインパクトとは程遠いものとなるでしょうね。この句では、下五に『死』というものを取り合わせた所が名人らしさです。

画像12

筆者は、「私がサスペンスドラマを見ていると、玉葱を切っている妻が台所で『この人結局死んじゃうの?』と聞いてきた」と状況を説明してました。それに(本家)夏井先生は、「玉葱を切る妻には、凶器ともなり得る包丁が握られていて、悲しくも無いのに涙を流す」ことを付け加えていました。

ここまで兼題写真(夏野菜カレー)が無く読み解くのは流石に無理筋な感じもしますし、人によって賛否が分かれるのも理解できます。

ここで私は改めて句を読み返してみます。

上五は『玉葱や』です。兼題写真もなく唐突に俳句を渡されたら、調理された玉葱ではなく、未調理で丸い形の野菜の玉葱を連想するかも知れません。(玉葱の絵を描いてと言われて、調理済みのものを描かないのと似てます)

画像13

後半部、特に下五の『死んじゃうの』を、地の文と読むか疑問文と読むかで句のヘビーが大分と変わってきます。この句で流石に「?」を付けるのは、良さを削いでしまうのですけど、もし仮に「この人結局死んじゃうの。」と語尾の音を下げて詠んだら、突き放すような怖い作品になりますよね。

『玉葱やこの人結局死んじゃうの?』
or
『玉葱やこの人結局死んじゃうの。』

そして中七の2ワード。『この人』というのは、非常にドライな言い方で、言葉をうまく使いこなせていない子供以外が言い放っているとしたら寒気がします。そして『結局死ぬ』という後半への展開は、ドラマチックであり、残酷でもある言い方な様に感じます。

画像14

私は最初読んだ時に、『火垂るの墓』で節子が言った『なんでホタル、すぐ死んでしまうん?』というフレーズを思い出し、現代日本より『死』というものが身近だった戦中・戦後の言葉なのかなと個人的には思っていました。

画像15

これだけ「議論」を呼にだけ想像力を掻き立てる、『玉葱』の料理の幅にも負けない句を詠んだ東国原永世名人を褒めたいと思います。

そして、もう1句。こちらは王道を往く梅沢永世名人の作品です。

(天2)玉葱を刻む光の微塵まで/梅沢富美男

先ほどの句は、取り合わせ/二物衝撃の句でしたが、こちらの句は、季語『玉葱』に関する事だけで17音が構成されている『一物仕立て』の句です。

画像16

何より梅沢名人の視点が、みじん切りの玉葱ぐらい細かく繊細で驚きます。

『玉葱を刻む』から始まれば、包丁をまな板に刻む音やリズムが聞こえてきます。そこから『玉葱を刻む光』、『光』という抽象的でありながら視覚的な名詞が出てきて、さらにそこから『光の微塵まで』という詩的な表現で、句全体をまとめ上げています。

画像17

みじん切りの玉葱の「白色」の中の僅かな緑色や黄色の照り方というのは、誰しもが想像できるのではないでしょうか。そしてその透明感を『光の微塵まで』と描写する表現力。簡単な様で非常に難しいんです、これが。

【おわりに】

2句とも「玉葱」という兼題をしっかりと詠んでいるのですが、アプローチがそれぞれ違って、それぞれの技の良さが出ている作品だったと思います。

身近な野菜だからこそ、身近な所に句材を求めて、皆さんも新たな『玉葱』の俳句、作ってみてくださいね? そして、特に東国原さんの句を貴方はどう詠んだかも教えて頂ければと思います。以上、夏井Rxでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?