「競馬の歴史」を学ぶ ~桜花賞・オークス2冠馬 編~【2021/5/23追記】

【はじめに
2020年の牝馬クラシック戦線は、「デアリングタクト」が、史上2頭目で、63年ぶりとなる無敗での「桜花賞・オークス」の牝馬2冠を達成しました。

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でもその63年前の二冠馬の名前を言えた方は、令和日本において少なかったのではないでしょうか?
今回は、「桜花賞・オークス」の牝馬2冠を制した馬を、エクストリームに振り返って行こうと思います。

( 注 )
・「牝馬3冠馬」および「桜花賞→オークス」以外での2冠馬は対象外。
・馬齢は現表記に統一。優駿牝馬については「オークス」などと置き換え。

ちなみに、「桜花賞」と「オークス」というのは、現3歳の牝馬(ひんば:メス馬)だけが出走できるG1レースで、この2レースを制することを広く「牝馬2冠」と呼び習わされてきました。

ただ、この牝馬2冠が現在知られる形になるまでには、幾つかの変遷を経ていますので、そこも簡単に触れていきたいと思います。

0.1940年代までの牝馬クラシック戦線

日本競馬がイギリス競馬を見習って、「クラシック競走」を確立したのが、1930年代のことでした。「オークス」は1938年11月、「桜花賞」は1939年4月に第1回が開催されました。

ここで、「牝馬クラシック戦線」の今と戦前との違いを簡単に纏めます。

オークスは、今と全然違う形態で行われていました。具体的には、
 ①1952年まで「秋」に開催されていた。
 ②戦前までは「関西」で開催されていた。
 ③1938年は2700m、1942年までは2450mで開催されていた。
桜花賞についても、
 ①戦前は「関東」で開催されていた。
 ②戦前、距離は1800mで開催されていた。

イメージ的にはむしろ、
(戦前)4月:桜花賞 → 5月:ダービー → 秋:オークス
というイメージに近く、3歳馬最高の栄誉として「ダービー」があり、牝馬でも強い馬は本気でダービー馬を目指す(目指せる)環境にありました。
※例えばクリフジは「春のダービー」と「秋のオークス」を制しています。

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現代における「ダイワスカーレット」が、桜花賞と秋華賞を制したような、そういうイメージに近い形だったと纏めることが出来そうです。

戦前から戦後にかけて1940年代までに幾多の名馬がいましたが、結果的には「春・桜花賞 → 秋・オークス」という形での牝馬2冠馬が誕生したのは、1950年代に入ってからとなります。

1.1952年:スウヰイスー

オークスが秋に行われていた最後の年:1952年に、史上初めて
「桜花賞 → オークス」の2冠を達成した馬が【スウヰイスー】です。

この馬、逸話に事欠かないので、三大有名話を箇条書きしておきます。
・電話で馬名の指示を受けた調教師が、馬名を聞き間違えて登録しちゃった
・牝馬2冠の翌年には、地方・大井競馬に移籍し、そこでも活躍
・そして下の写真の手前にいる女性(馬主)は、女優・高峰三枝子さん

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そしてスウヰイスーは、牝馬2冠達成の翌月、牡馬との混合戦であり、「牝馬三冠」を目指して菊花賞に出走し、2着に入ります。
ちなみに、この年の菊花賞は出走の半数が牝馬であり、菊花賞に牝馬が挑戦すること自体は珍しくなかったのですが、1着が牡馬だったのに対し、
2・3・4着を牝馬が占めるというのは珍しいことでした。

第13回「菊花賞」(1952年11月23日)
1着 牡 セントオー
2着 牝 スウヰイスー  1953年・牝馬2冠
3着 牝 クインナルビー 1954年・天皇賞(秋)
4着 牝 レダ      1954年・天皇賞(春)

実際、翌1953年は、天皇賞を春・秋とも牝馬が制するなど、「牝馬が強い」世代だったとされ、そんな中で牝馬2冠を達成した【スウヰイスー】号は、初代を名乗るに相応しい華やかな名馬だったと言えるでしょう。

2.1954年:ヤマイチ

スウヰイスーが牝馬2冠を達成した翌年から、「オークス」が春5月開催となり、「4月・桜花賞→5月・オークス」での牝馬2冠体制が確立。
この体制になって2年目の1954年に2冠を達成したのが【ヤマイチ】です。

同馬については、過去の記事で説明しているので、そちらをご参照頂ければと思います。 ↓

戦前、この2冠は果たせなかった母「クリフジ」の雪辱を果たす快挙。
ただ同馬も、菊花賞では3着と敗れ、3冠達成とはなりませんでした。

3.1957年:ミスオンワード

この馬が、前回にして史上初めて「【無敗で】桜花賞 → オークスを制した、牝馬2冠馬」です。

桜花賞では単勝支持率75.4%という驚異的な支持率に応え、(中略)本番のオークスも他馬を寄せ付けず快勝し、デビューから無傷の8連勝を飾った。

この強さにファンのみならず競馬関係者の間にも「ダービーに挑戦しては」という機運が高まり、オーナーの樫山も調教師である武田に意見を求めた。これに対して武田は難色を示したが、結局世論に押し切られる形で、オークスから連闘でのダービー出走が決まった。
太平洋戦争以前の活躍馬であるクレオパトラトマス以来の無敗牝馬の出走に、レース当日は牡馬の一線級に混じっての3番人気に支持されたが、レコードタイムで優勝したヒカルメイジの17着に敗れる。しかしこの挑戦にファンは惜しみない拍手を送った。

結局、無傷8連勝で無敗2冠を制した【ミスオンワード】ですが、ダービーで17着、菊花賞で10着と大敗したことで、やや評価を落とした格好でした。

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今でもオークス優勝後に精彩を欠く牝馬は多く居ますが……、それが故に、【デアリングタクト】の快挙まで「史上初」の【ミスオンワード】が歴史の彼方に忘れ去られていたのだと感じます。

4.1964年:カネケヤキ

東京オリンピックに湧いた1964年。競馬界のクラシック戦線は【シンザン】と【カネケヤキ】の2頭が独占することとなりました。

【シンザン】は戦後初、史上2頭目の牡馬三冠馬として比較的著名ですが、同い年の牝馬戦線は【カネケヤキ】です。
明け3歳、牡馬相手に惜敗続きでしたが、牝馬限定戦なら、春競馬を席巻。桜花賞を2馬身、オークスを3馬身差で制しました。

秋競馬は、この時代の馬なら当然の選択として「菊花賞」を目指しますが、秋緒戦の「クイーンS」を2着と、連勝が止まり、「セントライト記念」→「オープン」とウメノチカラ以下に完敗し、菊花賞も12頭立て9番人気。

シンザンが牡馬3冠を達成する菊花賞で、カネケヤキは人気薄を利用せんと大逃げを打ちますが、直線半ばで交わされて5着。健闘ではあるのですが、結局「菊花賞で3冠を目指す」時代に、牝馬3冠馬は生まれませんでした。

5.1975年:テスコガビー

1970年代、3歳牝馬戦線に大変革が起きます。それが「ビクトリアカップ」の創設です。今ある「ヴィクトリアマイル」とは異なり、秋華賞の前々身。すなわち菊花賞に先駆けて行われる「牝馬3冠」目となる牝馬限定のレースの創設です。
1970年から1975年まで開催された「ビクトリアカップ」については ↓ 参照。

1975年の春、桜花賞を大差勝ち、オークスを8馬身差という圧倒的な速さで「牝馬2冠」を達成したのが名牝【テスコガビー】です。詳細は過去の記事に譲りまして、2冠達成後について少し補足。

【テスコガビー】は、ビクトリアカップでの3冠を目指すも、直前で右後脚を「捻挫」し、負傷により出走自体が叶いませんでした。

6.1976年:テイタニヤ

・人気馬・アローエクスプレスの代表産駒
・母親が子育てを放棄し、代理母もおらず、人間の手で育てられる
・TTGと同期
・テスコガビーに続く2年連続の牝馬2冠
など話題には事欠かないのですが、非常に影が薄い【テイタニヤ】。

オークスを優勝した後、5歳まで1勝も出来ずに引退したという戦績から、後世の評価を大分と落としてしまった部分があったかも知れません。

エリザベス女王が来日したことを記念し、この年から「エリザベス女王杯」と改称して第1回となった牝馬3冠目、【テイタニヤ】は4着と敗れ、出走こそ叶いますが史上初の3冠はなりませんでした。

しかし、3冠馬ミスターシービーの母・シービークインなどを制して2冠を達成した「オークス」などは、父の無念も果たす名レースだと思います。

7.1987年:マックスビューティ

1980年代は、グレード制が導入。1986年には【メジロラモーヌ】が史上初の牝馬3冠を達成しました。その翌1987年に2冠を達成したのが、こちら。

現3歳となった1987年にオークスまでを無傷6連勝、その後も神戸新聞杯、ローズSと連勝し、8連勝として圧倒的1番人気で迎え、前年の【メジロラモーヌ】に続く「牝馬3冠」間違いなし と期待されたのが「究極の美女」の名を持つ【マックスビューティ】です。

直線半ばで先頭に立ち、3冠と思った瞬間、外から【タレンティドガール】に交わされ、惜しくも2着で「牝馬3冠」達成とはなりませんでした。

8.1993年:ベガ

時代は昭和から平成へ。第二次競馬ブーム真っ只中の1990年代に、唯一、「桜花賞→オークス」と制したのが、一等星の輝くを持つ【ベガ】です。

新馬戦を新人騎手・橋本美純を背に2着としたベガ。
橋本騎手が調教に遅刻したなどから2戦目に武豊騎手へ乗り代わると一変。4連勝で。大歓声の中の牝馬2冠達成でした。

半年ぶり、ぶっつけ本番となる「エリザベス女王杯」は、『ベガはベガでもホクトベガ』と語り継がれる【ホクトベガ】の3着に敗れ、その後は1勝も出来ず引退した【ベガ】ですが、
繁殖牝馬として、産駒にダービー馬【アドマイヤベガ】やダートの王者たる【アドマイヤドン】。孫に桜花賞馬の【ハープスター】を産むなど、今なお輝きを放っています。

9.2009年:ブエナビスタ

2003年【スティルインラブ】が牝馬3冠を達成しますが、「桜花賞→オークス」での2冠が現れるのは、2009年ブエナビスタまで待つことになります。

・5連勝で牝馬2冠達成。レッドディザイアとの激闘。
・札幌記念2着惜敗 → 凱旋門賞挑戦を断念。
・3歳秋から「グランプリ」(有馬&宝塚)5回連続2着。
・4歳で天皇賞(秋)、5歳でジャパンCを制覇。
・4年連続「JRA賞」受賞、2010年年度代表馬。
・米ドル換算では、当時「世界最高賞金」馬に輝く。
・草野仁アナウンサーが一口馬主として出資。

など、牡馬相手に互角以上の成績を残し、名牝と名高い【ブエナビスタ】。

凱旋門賞を目指した「札幌記念」で2着と惜敗し、海外遠征を断念して、「プランB」として挑んだ牝馬3冠の秋華賞。
しかし、それで簡単に達成できるほどは甘くなく、2位入線 → 3着降着で、牝馬3冠を達成することは出来ませんでした。

(参考)2010年代以降

2010年代には、オークスから秋華賞での2冠馬が2頭、牝馬3冠馬が3頭(アパパネ、ジェンティルドンナ、アーモンドアイ)が誕生します。

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そして、2020年には、【デアリングタクト】が、ミスオンワード以来となる無敗での牝馬2冠、そして史上初の無敗での牝馬3冠馬を達成します。

また、その翌年(2021年)には、白毛のアイドルとなったソダシが、無敗の5連勝、驚異的なレコード(1.31.1)で桜花賞を制しますが、オークスでは8着に大敗し、無敗・連続での偉業達成とはなりませんでした。

こうして見ると、ベガ以降の30年弱で、牝馬3冠馬や「オークス→秋華賞」での2冠馬の方が多く、「桜花賞→オークス」という古くからの牝馬2冠馬(秋華賞敗戦)は【ブエナビスタ】1頭となることが再認識できます。

必ず「桜花賞馬」はオークスに際して距離不安が囁かれ、それを乗り越えて牝馬3冠を達成する馬は居ますが、決して「牝馬2冠」は容易ではないことを、今回の記事で改めて認識して頂ければと思います!

それでは、次の記事でお会いしましょう。Rxでした、ではまたっ!

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