「競馬の歴史」を学ぶ ~牝馬の日本ダービー編~
【はじめに】
この記事では、牝馬の「日本ダービー」挑戦の歴史を振り返っていきます。
1930年代:日本ダービー創設と「ヒサトモ」
日本ダービーの歴史は、1932年、目黒の東京競馬場で開催された「東京優駿大競走」に始まります。
もともと、イギリスのダービーステークスを模範として創設されたレースということもあり、(以下、ウィキペディアから抜粋)
1.4歳(現3歳)牡馬・牝馬の最高の能力試験であること。
2.競走距離が2400m、又は2400mに限り無く近いこと。
3.(開催国で催される競馬の)最高の賞金額を設定すること。
4.2歳(現1歳)秋から4回の出走登録を出走資格の条件とすること。
5.負担重量は馬齢重量とすること。
6.施行時期は原則的に春季とすること。
7.以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること。
創設当初から格式高いレースとして注目が集まり、従来の「連合二哩」以上に映えあるレースとして君臨することとなったのが1930年代でした。
日本のオークスこと「優駿牝馬」が創設されたのが1938年であり、戦前は、秋に関西で行われていたこともあって、現3歳馬の春時点での頂点を決めるレースは、この「東京優駿」に集約されることとなりました。
1932 19頭中6頭 アサハギ:3着
1933 19頭中11頭 メリーユートピア:2着、アスリート:1番人気3着
1着カブトヤマは牡馬ながら、2~6着は全て牝馬。
1934 10頭中5頭 テーモア:2着
1935 11頭中3頭 クレオパトラトマス:1番人気9着
1936 13頭中5頭 ピアスアロートマス:2着
1937 17頭中6頭 ヒサトモ:1着、サンダーランド:2着=牝馬ワンツー
1938 14頭中5頭 アステリモア:3着
1939 20頭中6頭 ハレルヤ:5着
1930年代は、かなりの頭数が出走し、斤量差もあってか、毎年の様に好走をしています。その中でも特筆されるのが「ヒサトモ」です。初めて牝馬によるダービー馬に名を連ねた馬です。
当時を知る人からすると「クリフジ」よりも強かったとする評もあるなど、『初代・牝馬によるダービー馬』であると共に、世代を代表する名馬です。
1940年代:クラシック定着と「クリフジ」
戦後長らく、直近の牝馬ダービー馬として語られてきた「クリフジ」が誕生した1940年代には、1930年代の終わりに整備されたクラシック路線が定着。
1941 ブランドソール(桜花賞馬):3番人気7着
1943 クリフジ:1番人気1着(6馬身差レコード勝ち)
1947 トキツカゼ(皐月賞馬):2番人気2着
ブラウニー(桜花賞馬):10番人気3着
1948 ヒデヒカリ(皐月賞馬):2番人気12着
ハマカゼ(桜花賞馬):5番人気17着
1949 シラオキ:12番人気2着
この1940年代が、ダービーで牝馬が最も活躍した時期もあります。
クリフジ(幼名及び繁殖名:年藤)は戦前を代表する日本の競走馬。
牝馬として日本競馬史上唯一のクラシック競走3勝を挙げた。生涯成績11戦11勝は、日本競馬における現在に至るまでの主要な競走(八大競走など)を含む最多全勝記録。1984年に顕彰馬に選出された。
「クリフジ」は、「牝馬でダービーの1番人気となりダービー馬になった」唯一の馬です。
ヒサトモ、ウオッカも実力では周囲に引けを取らなかったものの、レース前の単勝人気では牡馬に1番人気を譲っていました。
1947 トキツカゼ(皐月賞馬):2番人気2着
ブラウニー(桜花賞馬):10番人気3着
1948 ヒデヒカリ(皐月賞馬):2番人気12着
ハマカゼ (桜花賞馬):5番人気17着
1949 シラオキ :12番人気2着
ちなみに、戦前の「クリフジ」ばかりが取り上げられますが、戦後初のダービーとなる1947年には、クラシックホース2頭が2・3着に入りましたし、1949年にタチカゼが19番人気で優勝をする史上最大の波乱を巻き起こした「優駿競走」でも、12番人気の「シラオキ」が2着に入っています。
1950年代:オークスが日本ダービー前週に
戦前から1952年まで、「オークス」は秋に開催されていました。ですから、今でいう『秋華賞』的な立ち位置にあたるレースが「オークス」であって、牝馬3冠は、『桜花賞 → ダービー → オークス』がオーソドックスでした。
『牝馬が強い世代』であった1952年の日本ダービーは、31頭中12頭が牝馬。牡馬クリノハナが皐月賞との2冠を達成しますが、
2着 タカハタ 1番人気
3着 クインナルビー 12番人気
8着 スウヰイスー 4番人気
10着 レダ 7番人気
これらの名馬がダービーに出走するなど、まさに『現3歳馬のチャンピオン決定戦』としての様相が強かった時代を象徴していた事例でしょう。
1953年から、日本ダービーの前の週に『オークス』が、現3歳牝馬限定の、女王決定戦として開催される事となり、徐々に牡馬、牝馬で差別化します。
しかし、まだ『日本ダービーが現・3歳馬による最強馬決定戦』という印象が根強かった1950年代には、オークスから連闘でダービーに出走する牝馬も一定数いました。
年 オークス→ダービー(人気) 馬名
1953 2着 → 4着 3番人気・チエリオ
1956 1着 → 6着 4番人気・フエアマンナ
3着 → 25着 7番人気・トサモアー
1957 1着 → 17着 3番人気・ミスオンワード
3着 → 8着 11番人気・セルローズ
1958 3着 → 9着 9番人気・ホウシユウクイン
1953年にはチエリオが4着と善戦をするも、その後は5着以内にも入れず。特にショックが大きかったのは、無敗での牝馬2冠馬『ミスオンワード』が周囲に推され挑戦するも17着と大敗した1957年のダービーでしょう。
この惨敗によって、牝馬の一流馬であっても、流石に「連闘」ではキツいという印象が付いたのか、その後、牝馬による日本ダービー挑戦は一気に減ることとなります。
1960年代:チトセホープ3着
1960年代になると、10年間で2頭しか日本ダービーに出走しなくなります。
1961 チトセホープ :2番人気3着
1965 ビユーテイロツク:17番人気12着
ただ、その中でも1961年の「チトセホープ」は、オークス馬となった翌週に果敢ダービーに挑戦。2番人気となり、ハクシヨウ・メジロオーのハナ差、レコード対決から1馬身差の3着と好走しています。
1970年代:1頭も出走せず
幾多の名馬が競馬人気を支えた1970年代の日本ダービーには、20頭後半ほどが出走しますが、1970~1979年の10年間に、牝馬が挑戦するのは1頭もいませんでした。
この1970年代には、『ビクトリアカップ → エリザベス女王杯』が秋に整備され、菊花賞に牝馬が出走することも皆無に。牝馬3冠戦線が完全に牡馬と断絶される格好となりました。
1980年代:マーブルトウショウとシャダイソフィア
グリード制導入前夜の1980年代の前半には、2頭の牝馬がダービーに出走。
1981 マーブルトウショウ:16番人気25着
1983 シャダイソフィア :14番人気17着
マーブルトウショウは、NHK杯からダービーに挑むも25着。しかしそうした牡馬への挑戦は、3代娘のスイープトウショウが晴らすこととなります。
そして、桜花賞馬のシャダイソフィアは、オークスを選ばず、人間のエゴにも翻弄、ダービーに出走するも14番人気の17着と大敗、批判を浴びました。
1990年代:ビワハイジ
1990年代に入っても、厳しい批判に晒されたシャダイソフィアでの前例をもって、牝馬による日本ダービー挑戦の例はありませんでした。唯一の例が、1996年のビワハイジです。
1996 ビワハイジ:10番人気13着
ダンスインザダークをフサイチコンコルドが『音速の末脚』でクビ差制した同年のダービーでは、1.8秒差の13着と敗れます。
しかしこの馬も、繁殖牝馬として幾多の名馬を輩出。アドマイヤジャパン、アドマイヤオーラ、ブエナビスタ、トーセンレーヴ、ジョワドヴィーヴルと牡牝を問わずの活躍馬の母となっています。
2000年代:64年ぶりの夢叶う「ウオッカ」
馬券圏内に入ったのも半世紀近く前のチトセホープ、牝馬がダービーを制したのは戦前のこと。もう牝馬による日本ダービー馬なんて、平成の時代にはまず誕生しないだろう。
という空気が支配していたこの時代。桜花賞でダイワスカーレットの2着に敗れた「ウオッカ」が、11年ぶりに牝馬で日本ダービーに出走するということ自体が大きな話題となりました。
「競馬歴半世紀」以下の(当時の)重鎮からしても、牝馬によるダービー馬は一度も見たことが無かったのですし、半世紀も、連対すらしていなかったことから、『牝馬は消し』という見方が大半でした。
その後の東京競馬場での活躍を見れば、ウオッカが3番人気とはいえ10.5倍という単勝オッズが美味しくすら見えてしまいますねww
しかし、レースは終わってみれば、ウオッカがその後の活躍を予感させる程の完勝。後の菊花賞馬・アサクサキングスに3馬身差をつける圧勝でした。
2010年代:レッドリヴェール
ウオッカを見て牝馬による挑戦が増える……訳ではなく、やはり「あのウオッカだから日本ダービーを勝てたんだ」と感じるスタッフ陣が多くなって、2010年代に挑戦したのは、2014年の「レッドリヴェール」のみでした。
桜花賞ではハープスターに接戦で敗れての2着。ウオッカ同様、牝馬2冠の夢が絶たれた馬が向かう際に選んだのが「日本ダービー」だった訳です。
2014 レッドリヴェール:4番人気12着
結果的にはウオッカの前例もあって1桁オッズの4番人気となりましたが、12着と大敗し、結局3歳以降は1勝もできないまま現役を引退しています。
2020年代:サトノレイナス
そして、21世紀に入って定番となった「オークス2着」からの日本ダービーとなったのが「サトノレイナス」です。
阪神JF、桜花賞と「ソダシ」に惜敗の2着の同馬は、日本ダービーでも、ウオッカやレッドリヴェールを上回る人気を集めています。
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