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日本の歌、10年で2曲ずつ選んでみた【1960~2010年代】

【はじめに】
前回(その1:1900~50年代)に続き、今回は1960年代から2010年代まで十年代ごと「2曲ずつ」選んでみた企画の後半戦です。(前回はこちら↓)

ここからは、皆さんも良くご存知かと思いますので、記事のコンセプトを、改めてご確認いただければと思います。(前回からの引用 ↓)

・売上などを最も伸ばした楽曲
   もしくは、
・時代の変遷を把握する上で重要だったり、時代を代表する楽曲

にフォーカスして選んだつもりですので、ぜひ皆さん、日本の音楽の流れを把握する上での道標にしていただければと思います。

1960年代(1)『上を向いて歩こう』

1950年代は「ラジオ」が各家庭、地方にも普及してヒット曲の傾向にも影響を及ぼしましたが、続く1960年代には「テレビ」の普及が進みます。
テレビ番組初のヒット曲が日本でも増え始める1960年代を代表する1曲は、やはり『上を向いて歩こう』ではないでしょうか。

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1961年8月19日、NHKで放送されていたテレビ番組「夢であいましょう」でテレビ初披露。同番組において1961年10・11月の「今月のうた」として発表され、同年10月15日にレコードが発売されると爆発的なヒットとなった。
発売から3か月で30万枚を突破。当時の日本のレコード売り上げランキング(『ミュージック・ライフ』誌に掲載されていた国内盤ランキング)では1961年11月 - 1962年1月まで3ヵ月にわたり1位を独走した。
売り上げだけを見れば相当なものであったが、当時最も新しく不良の音楽とされたロカビリー(現代でいうロックン・ロール)出身の九の独特な歌い回しが耳に合わない当時の保守的な日本の歌謡界においては評価は高くなかった。日本レコード大賞にも選ばれていない。
だが、この評価は世界での大成功により覆された。
ビルボード(Billboard)誌では、1963年6月15日付に、現在においても日本人のみならずアジア圏歌手唯一となるシングル週間1位を獲得。同誌の1963年度年間ランキングでは第10位にランクイン。

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この頃、日本のアーティストが世界で活躍する機会が多くありました。この『上を向いて歩こう』での坂本九の独特な節回しが受け、『SUKIYAKI』や『忘れ得ぬ芸者ベイビー』などとしてヒットチャートにランクインすることとなりました。
(注)ただ、この頃はまだ「オリコンチャート」も始まっておらず、国内ではヒットチャートの持つ意味合いが良く理解されていなかった時代なことも抑えておきたいところです。

1960年代(2)『柔』

当時で言う所の「ロカビリー」としてヒットした『上を向いて歩こう』は、海外の要素をうまく取り入れた楽曲でしたが、対して、日本らしさを感じる楽曲として時代を象徴するヒット曲となったのが、美空ひばり『柔』です。

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1964年11月20日に発売された美空ひばりのシングルである。
表題曲が発売された1964年に開催され、初めて柔道が正式競技に採用された東京オリンピックともあいまって、翌1965年にかけて爆発的にヒットした。
発売から半年足らずで180万枚以上を売り上げる大ヒットとなったが、これはひばりの全シングルの中で最高売り上げ記録となっていた。
2019年現在は195万枚を売り上げ、シングル売上では1989年に発売された「川の流れのように」に次ぐヒットとなっている。
美空ひばりは表題曲で1965年の「第7回日本レコード大賞」を受賞した。
またひばりは『NHK紅白歌合戦』に1964年の『第15回NHK紅白歌合戦』、翌1965年の『第16回NHK紅白歌合戦』と2年続けて表題曲で出場し、どちらも紅組トリを務めた(第16回は大トリ)。なお、これに関し各マスコミから「2年連続同じ歌を歌うとは非常識だ」とのバッシングもあった。

時はまさに高度経済成長期、東京オリンピックなどを介して、国際社会への復帰を強くアピールした時期(昭和30年代後半)に、好対照な2曲がヒットしていたことは興味深いです。
そして、「日本レコード大賞」の注目度が高まりを見せ、オリコンチャートが静かにスタートするなど、その後の時代に向けての土壌が整った時代でもあります。

1970年代(1)『女のみち』

1972年5月10日に発売されたぴんからトリオのデビューシングル。作詞は宮史郎、作曲は並木ひろし。
1971年、ぴんからトリオの結成10周年記念として彼らの自作曲であるこの曲を自主制作で300枚プレスし有線放送で流したところ大きな反響があった。

多くの歌謡曲が現代でも語り継がれており、それをはかるための指標として「オリコンチャート」の推定売上で比較が容易に出来る時代となりました。

そして1972年、第一プロダクションの協力により日本コロムビアからレコード発売が決定すると爆発的なヒット曲となった。

・1972年・1973年のオリコン年間シングルチャート第1位。
 ・年間シングル売り上げ2年連続1位を記録した唯一の楽曲。
・シングル売上歴代2位(325.6万枚)

やはり史上唯一の2年連続オリコンシングル年間1位、歴代2位の売上は、多くのヒット曲が生まれた1970年代の歌謡曲の中でも別格でしょう。

1970年代(2)『およげ!たいやきくん』

では、オリコンシングルチャートの歴代1位はどの曲か。これは結構、有名かも知れませんね。そう『およげ!たいやきくん』です。

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1975年にフジテレビの子供向けの番組『ひらけ!ポンキッキ』のオリジナルナンバーとして発表、リリースされた童謡。
子門真人が歌ったバージョンは、2018年5月現在、日本でレコード売り上げ枚数が最も多いシングル盤(フィジカル・シングル)とされている。
オリコン史上初のシングルチャート初登場1位・11週連続1位を記録し、現在までにオリコン調べで450万枚以上のレコード・CDを売り上げている。
オリコン調べにおいて、日本におけるシングル盤の売上記録としては未だに破られていない。

繰り返しになりますが、1970年代は多くのヒット曲が生まれた時代でした。しかし、そんな時代のヒットチャートの売上において他を圧倒した2曲は、やはり別格として取り上げない訳にはいかないと思うのです。

売上面ではこの2曲に届かないものの、今も語り継がれる、今でも思い出に残る楽曲が幾つも思い浮かぶ。そんな1970年代ではないかと思います。

1980年代(1)『ルビーの指環』

昭和40年代に定着し始めた「音楽チャート」という概念を、国民の一大関心事にしたのが、1978年放送開始の『ザ・ベストテン』ではないでしょうか。

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そして、同チャートの歴史の中で特に語られることの大きい快挙といえば、『ヤングマン』の満点(9,999点)と、この楽曲の最長1位記録でしょう。

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寺尾聰の6枚目のシングル。1981年2月5日発売。
TBS系『ザ・ベストテン』でも1位を記録し、12週連続1位という同番組の最長記録を樹立し、この記録は放送終了まで破られなかった。
第23回日本レコード大賞を受賞。また、作詞者の松本隆は同賞の作詞賞、作曲者の寺尾は作曲賞、編曲者の井上鑑は編曲賞を受賞し、楽曲製作者に贈られる3タイトルを総なめにしている。

テレビ局による総合チャート「ザ・ベストテン」は、約10年で歴史に終止符が打たれ、平成に入ると「オリコンチャート」が、ヒット曲をはかる指標の代名詞として定着することとなります。

1980年代に発売された楽曲として、オリコンチャートにおける最終的な売上で最大のセールスを記録したのが、意外にも(?)この曲なんだそうです。

1980年代(2)『クリスマス・イブ』

1983年12月14日に発売された山下達郎通算12作目のシングル。

当初はオリコンシングルチャート最高位44位だったが1988年、JR東海「ホームタウン・エクスプレス(X'mas編)」のCMソングに使用されたことで知名度が上昇。1989年12月にはオリコンシングルチャートで、30週目のランクインで1位を獲得。そのため、発売から1位獲得までの当時の最長記録(6年6か月)、ベスト・テンに再チャートされた回数の最多記録など、変わった記録を多数持つ曲となった。
1986年11月28日に7インチシングルとして再発以降、毎年クリスマスの時期が近づくとオリコンシングルチャートにランクインするようになり、ロング・ヒットの楽曲のため合算で伸びていることもあるが、オリコン調べでは1980年代に日本で発売された楽曲で売上が最も多いシングルとなっている。1991年にミリオンを突破、2013年の時点で累計185.1万枚を記録した。

1990年代(1)『ラブ・ストーリーは突然に』

恣意性が介入しない(と見做された)、実売(の推定売上)によるヒット・チャートが、流行の指標の中心となっていく1990年代。
音楽媒体は、レコード・カセットなどから、CDの時代に移っていきます。

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1990年代は、『おどるポンポコリン』のヒットに始まり、翌1991年からは、メガヒットが連発するようになります。
その先駆けとも言えるヒットナンバーが、月9主題歌として大ヒットした『ラブ・ストーリーは突然に』です。

1991年2月6日に発売された小田和正のソロとして6枚目のシングル「Oh! Yeah!」に収録され、同年1月期に放送されたフジテレビ系月9ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌として起用された。

(中略)以降、この手法を受け継いだドラマが民放で量産され、特に同じフジテレビの月9枠から、『101回目のプロポーズ』とCHAGE and ASKAの「SAY YES」(1991年)、『素顔のままで』と米米CLUBの「君がいるだけで」(1992年)、『やまとなでしこ』とMISIAの「Everything」(2000年)など、ドラマ・主題歌ともにヒットした作品が次々と生まれた。
売上げは約270万枚。当時の日本におけるシングルCDの売上げ記録を更新した。オリコンの1991年年間シングルチャート第1位を獲得。

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1980年代は1曲も出なかったダブルミリオン曲が続々誕生するようになる「CDバブル」が到来。アルバムでは宇多田ヒカル『First Love』が765万枚という不滅の金字塔を叩き出します。シングルでも1970年代で紹介した2曲を上回るほどのヒット曲は生まれなかったものの、First Loveに先駆けること1週間(世紀末は1999年3月3日)、あの曲がシングルリリースされます。

1990年代(2)『だんご3兄弟』

NHK教育テレビの『おかあさんといっしょ』のオリジナルナンバー(1999年1月の「今月の歌」)として発表された、タンゴ系の童謡であり、また同曲の主人公である三兄弟の串だんごのキャラクターである。
累計売上はオリコン集計で291.8万枚、(中略)1990年代(集計期間:1989年12月 - 1999年11月)オリコンシングル売り上げランキング第1位。

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8cmCD全盛期だったことも作用してか、ちょうど『およげ!たいやきくん』の再来を思わせる子供向けソングの大ヒット。そして時代は、ミレニアム、そして21世紀へと進んでいきます。

2000年代(1)『TSUNAMI』

昭和から活躍するバンド【サザンオールスターズ】にとっての、自身最大のヒットソングとなった『TSUNAMI』は、平成屈指のバラードとして、人々に感動をもたらしました。

サザンオールスターズの楽曲。自身の44作目のシングルとして、タイシタレーベルから8cmCDで2000年1月26日に発売された。
オリコンによる2000年度の年間シングル売上ランキング1位、歴代のJ-POPシングル・CDシングル・平成発売のシングル売上ランキング2位、歴代シングル売上ランキング4位。
TBS系『ウンナンのホントコ!』の番組企画『未来日記III』テーマソング。
第73回選抜高等学校野球大会の入場行進曲。

少しずつ、CDの売上が下降線をたどり始める2000年代。ミリオンヒットも次第に減っていく中、2003年に発売されたドラマ主題歌が、平成の歴史と共に大きな花を咲かせ、またSMAPを国民的アイドルグループに育てます。

2000年代(2)『世界に一つだけの花』

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日本の男性アイドルグループSMAPの35枚目のシングルである。2003年3月5日にビクターエンタテインメントから発売された。

オリコン調べで売り上げは313.1万枚(2019年9月23日付)、オリコン歴代シングルチャート3位にランクイン。2016年1月、SMAP分裂・解散報道が持ち上がった際、解散阻止を望むファンの間で『花摘み』と呼ばれる本シングルの購買呼び掛けがなされ、実際、直後に本シングルの売り上げが急増。(中略)1980年代以降での最高売上枚数を更新した。

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平成最大の売上を記録したヒット曲は、新元号『令和』の発表に際しても、時の首相から具体的に名前を挙げられ、国民的愛唱歌となりました。

2010年代(1)『さよならクロール』

これまで同様、2010年代のフィジカル(物理的)な売上1位を考えるとき、AKB48を始めとするアイドルグループの台頭を無視する事は出来ません。

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日本の女性アイドルグループ・AKB48の楽曲。楽曲は秋元康により作詞、渡辺和紀により作曲されている。2013年5月22日にAKB48のメジャー31作目のシングルとしてキングレコードから発売された。
特典として、劇場盤を含む7種類すべてに『AKB48 32ndシングル 選抜総選挙』の投票用シリアルナンバーカードが期間限定で封入。
シングルCDは、発売前日(集計初日)……で推定売上枚数約145万1000枚を記録し、初登場1位……集計初日における推定売上枚数の最高記録を更新。
女性グループのシングルにおける売上枚数の最高記録もまた更新した。

2010年の『Beginner』で初ミリオンを達成すると、2011年からのシングルは全て100万枚以上のCD売上を記録し続けています。

しかし、『オリコンチャート #影響度の項にある様に、

シングルCDの売上件数表示だけでは、市場における実勢(音楽市場全体として、当代どの曲が最も愛好されているかという実勢)を必ずしも捉えきれなくなっており[9]、オリコンシングルチャートの権威は過渡期にさしかかっているとの指摘もある。[要出典]

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1980年代:総合チャート → 1990年代:オリコンチャート に続き、2000年代後半になると、『着うた』・『レコチョク』などシングルCD以外のチャートが、オリコン・チャートで補足しきれないヒット曲に対する指標として一時台頭します。
しかしこれも、『着うた』という商品の売上という「単一基準のチャート」であり、オリコン(シングルCD)チャートの代替としての位置づけでした。

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これと同時期に発足し、平成から令和にかけて大成した「複合チャート」『Billboard Japan Hot 100』があります。

全米ビルボードをベースに2010年代後半には、音楽の多様性を意欲的に反映させていく、日本独自の進化を遂げてきました。

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そのビルボード・ジャパンで、本家アメリカでも達成されなかった快挙:「2年連続の年間1位」を達成したのが、こちらです ↓

2010年代(2)『Lemon』

日本のミュージシャン・米津玄師の楽曲。メジャー通算8枚目のシングルの表題曲である。CDリリースに先立ち、2018年2月12日にソニー・ミュージックレコーズより配信リリース。同年3月14日にフィジカルがリリースされた。リリース直後から音楽配信サービスや動画共有サービスで反響を呼び、以後長期に渡るロングヒットを記録し2018年、2019年を代表するロングヒット曲となった。

ちょうど時代が、平成から令和に移る時期に『新時代を感じさせる』ようなロングヒットを記録します。動画サイトでの再生回数を見てみましょう。

YouTubeにおいて日本のミュージシャンによるミュージックビデオが3億回再生に達したのは史上初のことであった。また6月16日時点で4億回、12月17日時点で5億回再生を記録。いずれも日本ミュージシャン史上初のことであった。

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オリコンが2018年年末に発足した『オリコン合算シングルチャート』や、『オリコンカラオケランキング』、『YouTube再生回数』を始めとする各種チャートで軒並み記録を更新した、この『Lemon』こそが、多様化が進んだ2010年代を代表する1曲として取り上げるに相応しい(数少ない)1曲だと思います。

【おわりに】

この記事を書いたのが2020年。2010年代が終わった直後のタイミングです。今後2020年代にどういう曲がヒットしていくのか皆目検討が付きませんし、どういう媒体で音楽を享受するようになっていくのかも想像が付きません。

しかし、これまで1900年代から100年以上、元号で5つの時代を見てきて、『歌は世につれ 世は歌につれ』という昔ながらの表現を思い出しました。

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正直、死語かとも思いましたが、ここ最近十数年でも2曲に絞ってみると、確かにそれ以前と比べて、着実に変容を遂げている事を再確認できました。

(楽曲そのものよりも、音楽媒体やヒットの指標についての話が中心になったのは、そこの変遷が約10年スパンで展開し、ヒットの認識と強く結びついている印象があったためです)

この記事の趣旨は、ざっくりとしたヒット曲の流れを100年以上のスパンで把握することです。日本の流行歌・歌謡曲・J-POPの潮流を知るキッカケになれば幸いです。
そして、ぜひ皆さんも「10年ごと2曲程度」を選んでみて下さい。ひょっとすると、新しい発見があるかも分かりませんので。

《 今後について 》
この「10年を◯個程度」で、ざっくり流れを抑える方式も面白いので、他のジャンルでも書いてみたくなりましたし、
音楽に関する記事については、今回紹介できなかった楽曲についてや、指標についての検討記事も書いてみたくなりました。

では今回の記事はここらへんで締めることとしまして、皆さんとは次の記事でお会いすることにしましょう。ではまたっ!Rxでした。

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