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「競馬の歴史」を学ぶ ~牝馬3冠馬 編~

はじめに

1970年に「ビクトリアカップ」が開設されて牝馬限定戦による「牝馬3冠」路線が制定されて半世紀。1996年にエリザベス女王杯に変わって新設された「秋華賞」が25回目を迎えた『2020年』は、「デアリングタクト」による、史上初の偉業が大きな注目されました。即ち、無敗での牝馬3冠制覇です。

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しかし、無敗での達成に限らずとも、半世紀で6頭しかいないのですから、「牝馬3冠馬」自体が偉業であるとの認識で間違いないでしょう。今回は、デアリングタクトを含め、歴代の「牝馬3冠馬」を振り返っていきます。

なお、桜花賞・オークスでの牝馬2冠馬は、春に記事にしてありますので、そちらもご確認ください。( ↓ )

0.牝馬3冠前史

史上初の牝馬3冠が達成されたのは、牝馬3冠路線が制定されてから16年後にあたる1986年です。グレード制が施行されており、昭和の終わり頃です。では、それ以前の歴史についても簡単に触れておきましょう。

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そもそも日本のクラシック競走は、イギリスを模範として昭和初頭(戦前)に誕生したものです。「英1000ギニー」が(現在で言う所の)「桜花賞」、「オークスステークス」が「優駿牝馬(オークス)」に対応します。

そして、現在に至るまで、イギリスでは「牝馬3冠目とはセントレジャー(菊花賞に相当)」であって、牝馬限定競走による3冠路線はありません。「3冠目も(というか3冠全てを)牝馬限定競走で競う」という現在の日本のスタイルは、模範としたイギリスとは大きく異なる点です。そして、

1952年まで:桜花賞 → 【ダービー】 → オークス(秋開催)
1953年から:桜花賞 → オークス → 【菊花賞】

1960年代までの約30年は「牡馬混合戦」が3冠に含まれていたこともあり、(例外中の例外だったクリフジを除いて)牝馬クラシック三冠馬は誕生しませんでした。ちなみに、各年代ごとに「惜しかった」馬達を列挙しますと、

1952年:桜花賞1着→オークス1着→菊花賞2着 スウヰイスー
1964年:桜花賞1着→オークス1着→菊花賞5着 カネケヤキ
1972年:桜花賞1着→オークス2着→ビクトリアC1着 アチーブスター
1975年:桜花賞1着→オークス1着→ビクトリアC断念 テスコガビー

あたりは、現行制度だったらば「牝馬三冠」を達成していた可能性が比較的高かったのではないかと思います。また、逆の見方をすれば……

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2020年に牝馬限定での最終戦が無くて、菊花賞が牡牝共通の「3冠目」だったとしたら、「コントレイル vs デアリングタクト」の牡牝頂上決戦が実現してたかも知れないと思うと、それはそれで見たかったかも知れませんww

(だって、1964年は、牡馬2冠のシンザンと牝馬2冠のカネケヤキが菊花賞で直接対決で雌雄を決しているのですからね、時代が時代ならばです。)

さて、話題を戻しまして。1970年に「ビクトリアカップ(京都2400m)」がクラシック競走に準じるレースとして創設されると、1976年には、イギリスのエリザベス2世の訪日を記念し、「エリザベス女王杯」と改称の上で新設となりました。(現在とは条件が異なり、どちらも3歳牝馬限定戦です。)

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1970年代は、毎年のように「牝馬2冠馬」が誕生しますが、肝心の3冠馬は中々誕生せず、1980年のハギノトップレディを最後に、5年続けて2冠馬も誕生しませんでした。

ジャパンCが創設され、グレード制が導入、牡馬路線ではミスターシービーとシンボリルドルフと2年続けて、牡馬3冠馬が誕生した1980年代の中盤。いよいよ、日本競馬史上初の「牝馬3冠馬」が現れます。

1.1986年:メジロラモーヌ

史上初めて「牝馬3冠」を達成したメジロラモーヌは、結果的には「エリザベス女王杯」が3冠目だった時代における唯一の3冠馬です。

ダート変更となった新馬戦を大差勝ちすると、2戦目の京成杯3歳Sと年明けのクイーンCで4着と敗れはしたものの、その後は「トライアル→本番」×3セットという6連勝での偉業達成となりました。

オークスでの鮮やかな勝ちっぷりほど、順調ではなかったかも知れない秋をしっかりと周囲を力でねじ伏せた点は、高評価に値するでしょう。
(実際、牝馬初の獲得賞金3億円突破や重賞6連勝は当時の記録ですし。)

当初から「有馬記念」を最後に引退することが決まっていたこともあって、3冠達成の次走がグランプリレースでした。結果は直線で失速し9着。12戦9勝でターフを去りました。

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ちなみに引退した翌年(1987年)、シンボリルドルフと共に「JRA顕彰馬」に選出され殿堂入りしています。
※その後「牝馬3冠」の実績のみで顕彰馬となった馬が居ないことからも、史上初のこの快挙が“いかに高く評価されていた”かを感じ取れますね。

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ちなみに、1996年に「秋華賞」が創設されますが、その前後で惜しい馬こそ誕生しますが、なかなか「牝馬3冠」を達成する馬は現れませんでした。

・1987年:マックスビューティ エリザベス女王杯2着
・1993年:ベガ エリザベス女王杯3着
・1997年:メジロドーベル 桜花賞2着
・1998年:ファレノプシス オークス3着
・2001年:テイエムオーシャン オークス3着

2.2003年:スティルインラブ

同世代に、エアグルーヴの産駒の超良血馬「アドマイヤグルーヴ」が居た2003年牝馬クラシック世代。トライアルに敗れるなどして、牝馬3冠全てで1番人気を譲っていた「スティルインラブ」でしたが、レースでは譲らず。

メジロラモーヌ以来17年ぶり、秋華賞になってからは初めてとなる牝馬3冠を達成します。
春2冠で1番人気に支持されるも連に絡めなかったアドマイヤグルーヴも、最後、猛追し2着となりますが、スティルインラブの完勝でした。

しかし、次走の「エリザベス女王杯」では、アドマイヤグルーヴがハナ差を制し、初のG1制覇を果たすなど、3歳時のライバル対決は記憶に残る対戦の連続となりました。
古馬になってからは精彩を欠き、結局、秋華賞以降、勝ちをあげられずして現役を引退。その後、初年度産駒出産から半年足らず、7歳の若さで早逝。

3.2010年:アパパネ

2000年代後半になると、「カワカミプリンセス」「ダイワスカーレット」「ブエナビスタ」と歴史的な名牝が次々と誕生しますが、史上3頭目となる牝馬3冠を達成したのが【アパパネ】でした。

阪神JFを制した2歳女王のアパパネは、スティルインラブ同様、トライアルレースでは敗戦しますが、本番はいずれも接戦を制しての3冠達成でした。特に、2010年の優駿牝馬(オークス)は、八大競走およびG1レース史上初の「1着同着」での決着。今でも話題にのぼることの多い一戦です。

翌2011年・ヴィクトリアマイル(時期的には東日本大震災の2か月後)は、5歳【ブエナビスタ】と4歳【アパパネ】による直接対決に注目が集まり、マイルという距離適性もあって【アパパネ】が更に外から迫るブエナビスタを僅かに抑えるという見応えのあるレースとなりました。

このレース以外は3着以下なので、やはり3冠後に活躍を続けるのは難しかった訳ですが、過去の2頭は、牝馬3冠達成後に1勝もあげることは出来ませんでしたから、このG1勝利は大きな実績と言えるでしょう。

4.2012年:ジェンティルドンナ

2010年のアパパネに続いて、2011年はオルフェーヴルが牡馬3冠を達成し、ブエナビスタあたりから毎年、名馬がターフを盛り上げた時期に入ります。

3冠全てで(佐々木主浩氏の所有馬として話題になった)「ヴィルシーナ」を抑えた【ジェンティルドンナ】。
オークスでは、5馬身差を付け、従来のレースレコードを1秒7更新する圧巻のレースだった一方、秋華賞ではハナ差(7cm)の攻防を制するなど、その華やかさを保ったまま、初の古馬挑戦として「ジャパンC」を選択。

直近2頭はエリザベス女王杯を選びましたが、ジェンティルドンナは、父娘3冠を史上初めて達成した勢いそのままに、牡・牝対決としては初、3冠馬対決と捉えても28年ぶりの大一番を制覇。5連勝、G1・4勝目を飾ります。(このレースは、オルフェーヴルへの接触などで評価が分かれる部分も。)

そして、過去3頭と違い、ジェンティルドンナは古馬になってもその強さは変わることがありませんでした。
4歳時にもジャパンCを制し、牡馬を含めても史上初となるJC連覇を達成。5歳時には初の海外制覇となる「ドバイシーマクラシック」、そして、引退レースとなる「有馬記念」も制覇し、有終の美を飾ります。

海外G1を含め「芝G1・7勝」をあげ、総獲得賞金(当時)歴代2位のほか様々な記録を樹立した功績などから、2016年、史上32頭目、牝馬3冠馬としてはメジロラモーヌ以来2頭目となる「JRA顕彰馬」に選出されました。

5.2018年:アーモンドアイ

平成に入って牡馬と伍する力を見せ、世界でも活躍する牝馬が数年に1頭は誕生するようになりましたが、平成最後の秋華賞で「牝馬3冠」を達成したのが【アーモンドアイ】です。

父・ロードカナロア、母・フサイチパンドラというG1馬同士での配合。父親譲りのスピードで、「桜花賞」はアパパネのタイムを上回るレコード勝ち、「オークス」もジェンティルドンナのレコードに0.2秒差という時計でした。

新馬戦こそ2着に敗れていたものの、その後は無傷5連勝で危なげなく「牝馬3冠」を達成。その勢いのまま、古馬初挑戦「ジャパンC」に進みます。

定量53kgという斤量もあって、単勝1.4倍の断然の1番人気へと支持されたアーモンドアイは、逃げるキセキを見る位置からの先行策を見せ、直線半ばでキセキを交わしそのまま先頭ゴール。レース内容自体も堂々たる横綱相撲だった訳ですが、何よりも、競馬ファンの度肝を抜いたのが、勝ちタイム。

従来のレコードを1秒5も上回る「2分20秒6」は、幾多のレコードタイムが、ドラマチックに語られてきたジャパンCの中でも屈指のインパクトでした。

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3歳(2018年)を無敗で終え、G1・4連勝で終えたことが高く評価されて、2000年のテイエムオペラオー以来20年ぶりに、満票で「JRA年度代表馬」に選出されました。

明け4歳緒戦の「ドバイターフ」を完勝するも、その後は「勝ち→負け」を交互に繰り返すようになって、ヴィクトリアマイルで史上最多タイに並ぶ「芝G1・7勝」を達成して現在に至ります。

6.2020年:デアリングタクト

本命不在と目されていた2020年の3歳牝馬戦線は、徐々に1頭の馬を主役に展開されていくこととなります。新馬戦、エルフィンSと単勝4.8倍で勝って連勝で桜花賞に挑んだ【デアリングタクト】。

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わずかデビュー5戦、無敗で「牝馬3冠」を制する【デアリングタクト】の足跡は、最終戦・秋華賞のレース後ウイニングランでの山本直アナウンサーの実況が端的に示していると思ったので、ここに引用します。

① 新馬戦は一瞬の切れ味で、
② 2戦目エルフィンSは問答無用に、
③ 桜花賞は情念の追い込み、
④ オークスは一旦進路を遮られながらも最後の最後に辿り着いた2冠達成
⑤ 今日(秋華賞)は危なげなく、中段からいつの間にか好位に忍び寄り、あっさりと抜け出ました

1冠ごとに3歳牝馬路線の中心の座を不動のものにしていく過程は、3冠への期待が確信へと変わるという貴重な1頭だったと思います。


おわりに

牡馬3冠と違い、2010~2020年の11年間で「4頭」も相次いで誕生している「牝馬3冠」ですが、2009年以前には2頭しか居なかったことからも、決して簡単に達成されるようなものではないということを最後に重ねて述べておきます。(春2冠を達成していて、秋3冠を達成できなかった馬は ↓ 参照)

かつては牝馬3冠後に期待されたほどの成績をあげられなかった例が続いていましたが、ここ10年の牝馬3冠馬たちは、牡馬にも互角以上に通用して、世界を相手に活躍するようになっています。

「牝馬3冠馬」が居る時代は、その偉業が達成された後のさらなる活躍を、そしてこの記事にも掲げた過去の「牝馬3冠」馬たちの偉業やレース振りを回顧することで、新たな名牝の誕生に期待をしていきたいと思います。

この記事に、次なる馬の名前が載るのは、何年先になるのでしょうか。そうした長いスパンで競馬を楽しんでいきたいものです。それでは、次の記事でお会いしましょう。Rxでした、ではまたっ!

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