結婚にまつわる3つの「嫌い」

みんながしたがっていることへの反発があった。
わたしの「いちにんまえ」を、わたしの「しあわせ」を、世間が決めんな、って思ってた。
わたしは長いものに巻かれるの大嫌いで、同調圧力と予定調和を心底毛嫌いしている。

自分で決める前に、自分で選ぶ前に、ステレオタイプなストーリーがたくさん用意されていて、そのこと自体に、うんざりしていた。

しかも、わたしは男が嫌いだ。
9歳のときに、公園で性犯罪者に声をかけられ、支配的な言動によってファーストキスを奪われた。満員電車で毎日痴漢にあっていた。
わたしがピカピカの美人だったら、そんなことにはならなかったと思う。
痴漢をするようなクズは、強要しても反抗しない、声をあげることもしない、支配できそうなちょっとダメな女を狙うのだ。内に抱える性格が顔つきに現れていたわたしは、見るからにカモだったのだろうと思う。
そうでなければ、逃げても逃げても現れるほど多くの痴漢に、狙われたはずがない。

結婚は、その男に「選ばれなければならない」という強迫観念とともにある。そのこと自体が、受け入れがたいものだった。

さらには、わたしは家事が嫌いだ。家事が嫌いな女は「家庭的」ではないとされ、マーケットでは高値で取引きされない。自分が高値で取引されない市場に参入する義理はない。

同調圧力と男と家事が嫌いな女は、かくして非婚のまま40歳を迎えている。

だけど、さみしいので、結婚したい。

ほどよくいつも一緒にいられる人と一緒に生活がしたい。

願いは、上の嫌いを裏返した3つ。

家事は女がするものって思っていない、家計から家事の外注費を出すことを厭わない人。

女性を、支配しようとしない人。

家庭的で若くて子供が産めて女子アナみたいな風貌の女が高値で取引される市場に出品しなくても出会える人。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?