見出し画像

読書メモ #5『おまじない』 西加奈子

図書館で借りた。
表紙には排煙塔が描かれてあって、うら悲しい内容なのかなと考えた。

短編集で全て女性が主人公だった。
お気に入りは
「孫係」と「マタニティ」。

孫係=孫を係のように演じること
主人公のすみれ(小学生)が、幼いながらに周りの人間の顔色を伺い、それぞれに適した自分を演じていること、それを「おじいちゃま」が肯定し、2人は結託する。

私も昔から、その場で求められている自分でいようと努めていた。
弟につきっきりの親の前ではいい子にし、たまに会う祖父母には適度に甘え、幼稚園では先生のいうことをよく聞いた。
小学校に上がった頃には、人によって態度を変えるということが疎まれると知り、適度に馬鹿をやってバランスを取ったりもした。
つまり、演じないことを演じていた。

こうやって演じることを積み重ね、私は自分が実際にどう思っているかが分からなくなった。
本心は絶対にあるが、私は自然とそれに蓋をしているので気がつかない。
本心と合致しない言動をほぼ無意識的にとってしまうので、それが蓄積されて稀に爆発する。

読んでいて、すみれもそうなるんじゃないかと思った。
でもすみれには「おじいちゃま」がついていて、本心を打ち明ける場所を持つことができた。

すみれに「おじいちゃま」がいなかったら、あのまま自己嫌悪に苛まれていただろう。
私には、溜まってしまう前に、本心が見えなくなる前に、どこかに小さく吐き出す場所が必要だった。
余談だが、私の恋人はこういう前持った対策のことを「ガス抜き」と言っている。1つ歳上なだけなのに、生きるのがとても上手に見える。


「マタニティ」も強く共感した作品だった。

「嬉しいことがあると、それと同等の悪いことを考えて不安になる」

私が普段考えていることと全く同じで驚いた。
ネガティブの中ではよくある種類なんだろうか。

何かを成し遂げると、急に不安になる。
私も主人公も、それらを努力でなんとかしてきた。
それと同時に、恋愛に関してはそうはいかないという点でも私と主人公は同じだった。
それが母の影響だということも同じで、そしてそれを自分で自覚していることも同じだった。

あまりにも思考回路が似ていて読んでいる最中は内容にそぐわない興奮を覚えたが、いざこうやって文字に起こしてみると大したことないかもとも思う。本屋で占いコーナーを読んで「当たってる!」とはしゃいだ帰り道みたいだ。

まるで幸せじゃおかしいとでもいうようにネガティブなことを考えてしまうし、それが母親の性格に影響されていると知っている。
そう、知っていることが問題な気もする。
知っているのになぜ直せないのか、いや、直す気が起きないのか。
自分の生きにくさに「母親」や「幼少期」というわかりやすい原因を与えて、それをある種免罪符のように大事に持ってしまっている。

この物語は、主人公が自分の弱さを認めることで幕を閉じている。
正直、そんなもんで…と思った。
作中でも語られていたように、なんかうまくいくような気がする、とか、なんかもう大丈夫、とかそういう「なんか」な安心感を時折手に入れることがある。
言うまでもなくそれらは一過性で、気がつくといつも通りの不安に煽られ、その高低差にまた落ち込むのだ。

それを私も知っているので、最後にスッと立ち上がった主人公を冷めた目で見ていた。どうせまた正体不明の不安に襲われるよ、と思った。
でも多分、それでいいんだとこの作品は言っていたのかもしれない。
それでいいんだ〜〜〜!

終わり。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?