見出し画像

誕生日なのでこれまでの人生のターニングポイントを振り返ってみた

今日、5月8日はゴーヤの日らしいですが、同時に私の誕生日でもあります。

誕生日だからといって特にやることもないのですが、せっかくなので34年の人生を振り返ってみたいと思います。だらだらと振り返ってもしかたないので、自分の中でターニングポイントとなった気がするタイミングについて。

中学入学 突然スクールカーストが上がる

小学校の頃の私は一緒に遊ぶ友達も少なく、休み時間はクラスのみんなの輪から離れて一人で時間をつぶしていました。勉強もできず、運動音痴。足は速い方でしたがリレーの選手にはなれないくらいの半端な感じです。

そんな私が地元の中学に入学すると、なぜか学級委員を任されたり、部活の部長をやったりとリア充っぽい生活を送ります。当時はスクールカーストという概念はなかったけど、スクールカーストの上の方にいたと思います。

いや、事実あのときは自分の人生の中で唯一にして一番リア充に近かったです。

都心の学校なので、頭が良くて小学校時代にリーダー格だった連中は私立に進んだこと、身体がデカかった(中学入学時に168cm)こと、成長期がうまくはまってスポーツテストの成績が良かったことなど偶然が色々と重なった結果、周囲が勝手に「井上は凄い奴」と思い込んでくれたのだと思います。

ここから私の“見かけ倒しとはったり”人生が始まったという意味で大きなターニングポイントです。同時に、小学校時代は何をするにも自分に自信がなかった私の自己肯定感が高まった瞬間でもあると思います。

高校2年 部活を辞めて勝手にサークルつくる

中学で始めた陸上競技で区の大会では優勝するくらいになっていた私は都立高校ではそこそこ陸上部が強い学校に進学します。

入学式翌日から陸上部見学、翌日には練習に参加。もはや陸上部に入って活躍する高校生活しかイメージしていませんでした。

現実は挫折の連続。

中学時代は井の中の蛙だったことを思い知らされます。まったく結果がでず、中学時代より遅くなる始末。顧問との軋轢もあり2年冬に退部。

ただ、中学時代に無駄に自己肯定感が高まっていた私は退部して終わりではありません。同級生の中長距離の部員とともに勝手に陸上サークル(?)的なものを立ち上げて活動しはじめます。

学校のグラウンドは使えないので近くの公園や土手が練習場ですが、陸上部と練習場所がバッティングしてもお構いなし。結果的にサークルに参加した5人は全員が自己ベストを更新(そのうち2人は部に残っていれば都大会入賞できたレベル)。ちなみに5人中4人は大学でも部活や同好会で陸上を続けていました。

嫌なら辞めればいい、環境がないなら自分でつくっちゃえばいいを実践してそこそこ成功したという意味でその後の起業にもつながるターニングポイント。

大学1年 箱根駅伝予選会に自分のせいで出られず

就活のときはほぼこの話題だけで乗り切ったと言っても過言ではない自分の中でのターニングポイント。

高校で途中退部しているからこそ、大学ではちゃんとした部活に入りたいと思い陸上部へ入部。とはいえ超弱小校なので目標は箱根駅伝への出場ではなく「箱根駅伝予選会への出場」。

予選会出場の条件は標準記録突破選手が10人いること。標準記録を突破していない私は1年生の9月末までに記録を出さなければいけません。

結末からいうと、一年生の時は箱根駅伝予選会には出場できませんでした。私が標準記録を切れなかったせいで。

期限内最後ののレース。チーム内の標準記録突破者は9人。私が標準記録を切れば予選会出場、切れなければ出られない。

都内ではレースがないので山梨まで遠征。先輩たちがペースメーカーをつとめてくれるも、途中から標準記録突破が厳しいことがわかってくる。それでも走らないといけない。ペースメーカーをしていた3年生の先輩から「お前がここでダメだったら、4年生の先輩たち引退なんだぞ!」という激の直後、コース横で4年生の先輩が大声で応援してくれいるのが聞こえ、涙をこらえながら走っていたのは今でも鮮明に覚えています。


自分のせいでチームの目標が達成できなかった。


それまでチームスポーツというものをほとんど経験せず、失敗しそうになれば自分で自分に言い訳し、自分の責任と向き合うことを放棄していた自分にとってこの経験は非常に大きかったです。

山梨のレースから2か月後、標準記録を100分の6秒切った私は、その後2年、3年、4年と3回も予選会を走らせてもらえました。私が速くなったからだけではありません、同期や後輩に恵まれたからです。そう思えるようになったという意味で大きなターニングポイント。

内定式 「このままじゃヤバイ」と周囲のレベルに圧倒される

中学時代に会得した見かけ倒し力と、部活でのエピソードを武器に就活を乗り切った私はコンサルティング会社に内定します。

コンサル会社らしく(?)内定式では内定者一人ずつの10分間のプレゼンがあります。五十音順で最初だった私は意気揚々とプレゼンを終え、他の内定者のプレゼンを聞きます。

聞けば聞くほど、自分のプレゼンのレベルの低さが恥ずかしくなってきました。恥ずかしくてその場から逃げ出したい気持ちです。

同期はほとんどが院卒で学校レベル的にも旧帝大レベルがずらりと並んでいたものの、中学時代から肥大し続けた自己肯定感というか過剰な自信で「自分が負けるわけない」と思っていました。それが間違いだと気づけたこと、自分よりも圧倒的に優秀な同年代の中に入ったという意味でターニングポイント。

社会人1年目 腐る

研修期間中には内定式時のトラウマも少しは晴れてきたころ、いよいよ配属。この配属先で腐ります。今思うと本当に腐ってました。

厳しいことで有名な部署だったので、私自身が「とにかく怒られないようにしよう」という方向に行動してしまったのが裏目にでました。

自分からの積極的な提案もないし、先輩からのフィードバックへの反応も薄い。まぁそれじゃあ大切な仕事は任せられないですよね。

でも、当時は「雑用のような仕事しかさせないこの部署はおかしい!」と勝手に憤ってました。結果、自分から仕事をとることもせず、自分が成長しないのをただただ周囲のせいにして腐っていました。

同時に、中高生の頃は学校の先生に積極的に刃向かっていた自分が、なんで会社の上司には刃向かえないんだろうと不思議に思うようにもなっていました。

大きな挫折経験とともに内省する機会を得られたという意味でターニングポイント。

社会人2年目 腐りきる

1年目にターニングポイントと言いながら、2年目でもターニングポイントです。社会人2年目。このタイミングで私は退職、無職、転職を経験します。

1年目の後半から別部署に配属された私は、部署が変わってしばらくは非常に充実した時を過ごしていました。でも、2年目に入ると徐々に暗雲が立ち込めます。

最終的には打ち合わせ中に涙がとまらなくなるような状態になってしまい、会社を辞めました。

この時はとにかく会社から逃げ出すことだけを考えていました。仕事でも相性の悪い人との接触を避けることだけを考え、面倒なことはすべてさけるように言い訳を繰り返します。

一年目が腐りはじめくらいなら、この時期には本当に腐りきっていました。

でも、無職になったとたんにすごく元気になって、転職活動は楽しくやっていました。

それまではコンサルタントとして大活躍するぞ!みたいに方に力が入っていました。

そして「コンサルタントとしてちゃんと見られないといけない」「弱さを見せてはいけない」と思うがあまり、背伸びしすぎて本来の自分の能力やキャラクターとの乖離で対人関係が不安になってしまったのだと思います。

会社を辞めて無職になり

「自分はもう社会の落伍者」

と思った瞬間に、なんだかとても気が楽になりました。

中学時代から続いた“見かけ倒しとはったり”が一旦の終焉を迎えたという意味でターニングポイント。

とはいえ、起業してからはやっぱり“見かけ倒しとはったり”の力を借りることになるのですが、それはまた別の話。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

5
新卒3年以内で辞めた人たち数百人へのインタビューをした「早期離職白書」を発行。いわゆる人事コンサルのひとです。社員インタビュー動画制作アプリHinome 2019年8月7日リリース。働くすべての人が生きがい働きがいを感じられる社会の実現目指して日々格闘中 2018/6/24~