見出し画像

朝、オズの魔法使いが浮かんでから考えてた事。

オズの魔法使いの話が、朝起きた時になぜか頭に浮かんだ。有名な話なので、知ってる人も多いと思う。簡単に物語を説明すると、ドロシーという女の子が魔法の国に飛ばされてしまう。家に帰りたいドロシーはその願いを叶えてくれるであろうオズの魔法使いに会いにいく。そこで、考えられる脳が欲しいカカシ、勇気が欲しいライオン、心が欲しいブリキの木こりに出会い、一緒に旅をする。オズに会うと西の魔女を倒すよう言われ、旅を始める。

そして、やっと西の魔女を倒したんだけど、オズの魔法使いは実は普通の人間で、みんなが欲しいものは与えられない。。。そこに、南の良い魔女が現れて、「あなたたちは、力を合わせて西の魔女を倒しました。もう知恵も、やさしいこころも、勇気も、みんなが持っていますよ」と。

つまり、魔法なんて使わなくても、カカシは知恵を、ライオンは勇気を、ブリキの木こりは心を持ってたんだよ。っていう話。みんな自分の事を、自分は持ってない、足りないと定義してしまっていたんだけど、みんな実は既に持っていた。

自分を他人に定義させるな

オズの魔法使いが頭に浮かんでから、そのことについて考えた。僕は結構行動的で(現在ベルリン在住、フリーランサー)、考えるより最初に行動して、失敗しながら学んでいくタイプかな?と思うんだけど、色々と躊躇することがある。まあ、何も躊躇せずに行くのもどうかと思うのだけれども、自分で自分のことを定義して、躊躇してるな。と。フリーランスだと自分を売らないとやっていけないし。

プリンスの言葉で、『自分を他人に定義させるな』ってものがある。他人は、あの人はこういう人間だ。と定義してくるものだけど(意識的にも無意識にも、これはブランディングにも使われるね)、多くの人はその他人の定義を自分かのように、受け入れてしまうこともあるんじゃないかな。士農工商という制度があった封権社会の江戸時代。身分に応じて生活様式がかわり、気が付けば生活様式が人格を形成する(当時はオレは嫌だぞ。とは言えないだろうけれど)。

Black Lives Matter も(問題が大きすぎて、あまり書きたくないけど)、この文脈で書くと、相手を定義し、また場合によっては定義を受け入れてしまったことが問題とも言える。

という事で、自分を誰かに定義させず、自分が何者なのか定義したらいいのか? んーでも、自分もまた他人になりえるわけで、そう思うと、自他の定義を外から見直す目が必要なのかな?と思う。

ということで朝、オズの魔法使いが頭に浮かんでから、考えていたことでした。読んでくれてありがとうございます。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ありがとうございます!
2
作曲家。ベルリン在住。 Website: https://yoshiaki-sakai.com/ インスタ: https://www.instagram.com/yosycomp/ 商業音楽制作も是非お問い合わせを。 https://composition.space/works