大人になった?
苦手だった辛いものと茄子が食べられるようになった。
自分のお金で欲しいものが買えるようになった。
出来ることは増えた。でもそれが「大人になったこと」なのか分からない。
結局、好きなもの嫌いなもの、許せること許せないこと、感情爆発の起爆剤になるものは高校生の頃から全く変わっていない。
このままいけば、30になっても40になっても変わらないんだろうなと思う。きっと35歳になってもThe killsのアルバム「midnight boom」を聴いて、ローレン・バコールを愛してる。馴れ馴れしいのも飲み会も嫌いなままだし、きっとおしゃべりが下手くそなのも変わらないと思う。
好きなもの嫌いなものは別に変える必要はない。何が好きだろうと嫌いだろうと他人には関係ないから。でも人と接することは避けて通れない。会社に入って働くとなると「みんなでランチ行くとか無理なんですよ。休み時間は一人で休みたいんですよ」とか言っている場合じゃない。
馴れ馴れしいと思わずフレンドリーな人だと思って接すれば意外といい関係を築けるかもしれないし、おしゃべりが下手くそなのも努力すれば多少はマシになる。そうしないといけない。そうするべき。
分かっているけれど、私には出来ない。
それって自分を偽るってことでしょ。その偽物の自分でいるのって物凄く心地悪い。心と体が分裂しているなんて最低最悪なこと。
どんなにそれが社会的に必要なことだとしても、自分が嫌だと思うことは絶対したくない。
そう考えると私は全くロジカルな人間じゃない。
私はとてもエモーショナル(感情的)でインテュイティブ(直感的)。
自分の感情と直感を一番信用してる。
でも一つだけ人との接し方で妙なことがある。
昔は、というか学生時代は、友人が不幸になることが目に見えていると自己犠牲を払ってでもそれをどうにかしたかった。
今は少し変わった。
この人といて大丈夫?幸せになれそうもないよ?と思っても、自分だったらどうするかは言うけれど「やめたほうがいいよ」とはなるべく言わない。
人には人の幸せがある。私の「やめたほうがいいよ」の一言が、「押し付け」になってしまうかもしれないから。
個人を尊重している?ことになるのかな。なっているといいけど。
不思議なことに、自分が助けてほしい時は全く違う。
例えば彼氏との関係がうまくいっていなくて、誰かに相談する。
なんとなく、終わってしまうかなと思う彼との関係。だけど終わらせたくないから、その相談した人に言ってほしい。彼に、「あの子と別れるなんて間違ってる!」って。大声で言ってほしい。でも残念なことにそれは「押し付け」。しかもそうして続けた関係なんて脆くて、偽物。
そう、私が大嫌いな偽物。
ああ、ダメだなと思ったことは大体ダメだし、ダメになったら受け入れるしかない。受け入れてまた、自分がいいなと思ったものに飛びついて、そこにいるのが心地よかったらそこにいればいい話。
きっと、私は一生大人になれない。
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