「にくをはぐ」当事者として、自分の保守的ジェンダー観を再認識した

トランスジェンダー男性(肉体が女性・心が男性の人。FtM)を描いたマンガとして「にくをはぐ」が話題になっていたらしいですね。

全ページ無料公開されているマンガだったので、さっそく読んでみました。FtM当事者として非常にリアルな物語と感じました。

ここから下はネタバレ

あらすじを書こうとしましたが断念。無料公開なので気になる方は読んでみてください。ネタバレしつつ個人的な感想を書きます。

自分と千秋は、とても近いところにいる気がする

千秋は「男として死にたい」と性転換手術を受けることになりますが、私が今抱いている気持ちととても近い感じがしました。

というのも、私も「これから年老いていくにあたって、『おじさん』『おじいちゃん』になりたい」という思いで30代半ばになってから治療を希望しているからです。

私はまだ診断がついておらず、ノンホルノンオペ(ホルモン治療もしていないし、手術も受けていない)で、性自認をはっきり男と言えるようになったのも今年に入ってからですが、「女でない感覚」「男のほうが近い感覚」は長年あったので、千秋のエピソードは我がことのように思いました。

私自身、本名は男女ともにある名前なので、本名の性別に悩むことはあまりなく、そういう点でも千秋と近いです。

体を人に晒せる千秋の気持ちがわかる気がする

千秋は(着衣とはいえ)胸が目立つ服装でYouTubeを配信しており、売りにしています。それが違和感という意見もあるらしいのですが、個人的には別段不思議な感じはしません。

私自身は人に体を見られるのがイヤで、銭湯も行きたくない人間ですが、自分の体は「自分であって、自分でない」という複雑な存在だと感じています。「感覚のあるアバターを纏っている」と言えば少し通じやすいのかもしれません。

服を着て体型がはっきりわからないときのほうがかえって自分だと認識できて、入浴時のような生まれ持った肉体を見る羽目になる時間は「これが自分の体なのはおかしい」「この着ぐるみを脱ぎたい」と感じます。「自分の裸なんだけど、自分の裸ではない」と言いますか。

そして「自分の体の女性の部分を大切にできない」と言えばいいんでしょうか、「無いほうがいいものだからどうでもいい」という扱いをしてしまいがちです。体調不良で生理が来なくても、そのほうが好都合だからと放置していた時期もありますし、「乳がんや子宮がんで胸と子宮がなくならないかな」と思っている部分もあります。胸の形にも関心がないので、胸を潰して生活してきた弊害で下垂し放題です。

なので誰かが自分の胸を見て性欲を催そうが、諦めに近い割り切りができるように思います(応じませんけど)。そういう意味で、千秋が冒頭で「クソコメ」と軽く流す程度だったのにはとても共感を抱けました。

千秋の性自認がずっと固定されていることへの違和感

千秋は「自分は男」という性自認が幼少期から現在までずっとある人のようですが、現実に存在するFtMの中ではそういう人は少数派なのではないかと思います。

私は千秋に共感できる部分は非常に多いですが、自分の性別への違和感が強くなかった時期は人生の中に数年あります。「性自認が女だ」と思えていたというよりは、女装を楽しむために女の肉体を活用していた時期がありました。その頃は「自分をカテゴライズするなら女だ」と思っていて、それを素直に受け入れていました。

私の場合はそういう時期が長くは続かず、「自分は女ではない」「自分の性別は男のほうが近い」と思う時期のほうが長いですが、人生の大半は性自認が「女ではないが男かどうかわからない」というFtX状態でした。

そう思うと、千秋はやはりフィクションの存在だなあと感じます。フィクションの「理想的なFtM像」ですね。教科書的なFtMと言えばいいのかな。

でもそんな千秋に出会えてよかったと思っていますけどね。

「手術したら終わりじゃない」と叫ぶ高藤の優しさ

千秋の動画を撮っている友人、高藤。性転換手術を受ける決意をした千秋に、「本当にそれで幸せになれるの?」「副作用に苦しむことになったらどうするの」「性転換後に自殺する人が多いのは、それだけ術後絶望することがあるからだ…!」「手術したら終わりじゃないんだ、性同一性障害は!」と叫びます。

彼の友情(もしかしたら友情じゃなかったのかもしれないけど)に涙が出てきます。千秋のことを「千秋」という一人の人として大切に思ってくれている感じがしますね。このくらい「人」として大切にしてくれる友人がいることが素晴らしい。

保守的なジェンダー観に共感

このぽてとふらいさんのnoteで書かれていた「千秋や父親のジェンダー観が保守的」という指摘。確かにその通りだと思います。そして、そういう人だからこそトランスジェンダーとして悩みが深くなるのだろうとも。

私自身、自分のジェンダー観として「男は金を稼いできて家族を養う」という感覚が捨て去れず、そして「稼いで養う側になりたい」という希望もまた消えません。

今は女性が働くことも、男性が家庭に入ることもそう珍しくはなくなっていますし、私も世間がそうであることに疑問はないのです。周りの人がジェンダーに囚われない生き方をすることは好ましいと感じます。

ですが、自分は自分の保守的なジェンダー観に沿いたい。そして、沿えない現実とのギャップに苦しむのです。

自分のことも、周りのようにジェンダーに囚われない生き方をしていいのだと思えれば楽なのですけど。というより、今の私の生き方は他者から見たら全くジェンダーに囚われていない生き方だと思うので、そこにひっかかりがなくなれば良いなと思うのですが……。

本当にね、「世間のジェンダー観」よりも「自分のジェンダー観」に苦しむ部分が多い障害のように思うのです。いや、両方かなあ……。

このマンガを知ったきっかけ

トランスジェンダー関連でなにげなく検索をしていたときに、こちらのnoteにたどりついて興味を持ちました。

普段はブログメインですが、noteで知ったもののことはnoteに書きたいという気持ちになり、noteに書くことにしました。

読みながら書いている感じのnoteにとても好感を持てて、並んで同じマンガを読みながら感想を聞いている気分になりました。

共感できる思いがたくさん書かれている素敵なnoteです。「にくをはぐ」を読まれたら、ぜひこちらもどうぞ。

「にくをはぐ」はこちらからご覧になれます! 読めてよかったと心から思える作品です。出逢いに感謝。


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