【後編】「闇の推し活」体験談

私が陥ってしまった、「闇の推し活」体験談、後編です。

(前編はコチラからどうぞ。)


闇の推し活

さて、肝心の「推し活」です。
それだけ時間とお金を注ぎ込み、特別感を感じられるような推し活なら、さぞかし楽しいものなのでしょう。
そう思いますよね。

実際、最初のうちは、純粋に楽しんでいました。
しかし、だんだんと、色々な感情が渦巻きはじめます。

いつの間にか、「楽しい」瞬間はほんのちょっとで、
ほとんどの時間、「執着」「嫉妬」「不安」「焦り」といったような感情に支配されるようになっていました。


「行かなきゃ」「買わなきゃ」という強迫観念

ひとつの公演が終わる頃には、また別の情報解禁があり、リリース、イベントなど、様々なことがコンスタントに行われていきます。
最初はそれが楽しかったのですが、いつの間にか、「追い続けなきゃ」という気持ちになっていました。

自分の都合(お金、時間、仕事など)を優先して、「今回はちょっとお休み」ということができれば良かったのですが、どうしても、それができませんでした。

なぜできなかったか?
思い当たる理由は、いくつかあります。

自分が観られなかった推しを、他のファンが観ている、ということへの嫉妬。

いつの間にか、「推し活をしている」ことが自分のアイデンティティであり、価値であると考えるようになっていたこと。

「行かない」と言ったら、共通の趣味を持つ友人たちに、何と思われるだろう?
「えー、なんで行かないの?」って言われるかな。お金がないって思われるかな。どう思われるか不安だな。そういう恐れもありました。

ある意味では、「引くに引けない」状態になっていたのだと思います。

それに、推し活をやめて、現実と向き合うことが怖い。
そういう気持ちもあったと思います。

また、それだけでは説明できない、漠然とした不安、焦燥感、強迫観念のようなものもありました。
そういった思いが混ざり合って、「ちょっとお休み」ができない状態になっていました。

そして、実際その場に行って、推しを観たら、ほんの一瞬ではあっても、高揚感や幸福感を得られるんです。
しかし、ほんの一瞬の高揚感や幸福感が得られたとしても、不意に不安に襲われます。
「こんなことをしていていいのだろうか。これから私、どうなるんだろう。」
そういう思いは、だんだんと大きくなっていきました。


一番のファンになりたいから、良い席のチケットを求め続ける

また、「人気公演」のチケットや「良席」を当てると、友人たちから「すごいね!」と言われるようになり、だんだん、「チケットを取ること」が自分の特技のようになっていました。
しかし実際は、たくさんのお金と時間と労力を注ぎ込んでいたから、チケットを手に入れることができていたのです。

それに加えて、人気公演や良席のチケットを持っているファンこそが、「一番のファン」なんだ、という錯覚を起こしていました。

そして、いつの間にか、「良い席だったら良いな」「当たったら良いな」ではなく、「良い席取らなきゃ」「人気公演でも手に入れなきゃ」という風に考えるようになっていました。

公演やイベントに行けば、他のファンをチェックしたりして、だんだん、同じ推しを追っている人の顔まで覚えていきます。
そういう人たちよりも良い席に座れていれば優越感を感じ、そうでなければ嫉妬します。
こっちを見てくれたとか、ファンサしてくれたとか、対応が良かったかどうかとか、そういうことばかり気にしていました。
「一番特別なファン」になることを求めていたし、それが自分の価値だと思っていました。


いつでもSNSを見ては、心が不安定に

それから、日常生活においても、「推し」に関するマイナス感情に支配されることが多くなっていました。
現代はインターネット、SNSが発達しているので、四六時中、いつでも情報を得ることができます。

公式や、本人たちからの発信に関しては、わりと楽しく見ることができていました。
しかし、SNSやその他掲示板などをを覗けば、他のファンのことや、推しに関することが、とにかく色々出てきます。
自分より可愛いファンや、良い席のチケットを持っているファン、ファンサや何かをもらったファン。そういう人たちの書き込みを見ては、嫉妬で苦しみます。
また、異性の共演者と仲良くしていたり、あるいは匂わせのようなことがあれば、動揺して、そのことばかり調べてしまいます。


限界がやってくる

仕事はつらく、心を開いて喋れる相手もおらず、孤独で、そして借金のことが気になって、不安で仕方がない。

こんな風にして過ごしている日々。
心の片隅には、「もう、しんどいな。マズイな。」という気持ちがありました。
それでも、どうにかして、見て見ぬふりをしていました。
「そんなはずがない。これで良いんだ。楽しいんだよ。」と、自分に言い聞かせて、誤魔化そうとしていました。
でも、次第に誤魔化しきれなくなっていきました。

今でも覚えています。
ひとりで大阪に遠征をしていた時のこと。
ホテルでひとり、鏡の前に立った時、「どうしてこんなことをしているんだろう」「どうして私は一人でこんなところにいるんだろう」「もうひとつも楽しくない、帰りたい。」そういう思いが溢れて、どうしようもなく悲しくなりました。

「もう、やめたい」という気持ちが高まっていき、ついに、だんだんと、公演やイベントに行く回数を減らしはじめました。
そのことについて、友人たちからは特に何も言われませんでした。
それでも不意に、「推し活やってる私」を見せたくなって、ブロマイド写真を何十枚も買ったりもしていました。今思い返すと、「そんなことしなくていいのに」と思います。でも、やらずにはいられなかったんです。


コロナ禍で何かが変わる?

そして、その辺りで、コロナ禍が始まります。

コロナが流行りはじめた頃には既に、推し活のペースは割とゆるやかになっていました。
流行り初めの時点で、持っていたチケットは一枚だけ。
そしてそれも、公演中止で払い戻しになりました。

とは言え、完全に推し活をやめたわけではなく、「推し」本人や、「推し活をしている自分」、「特別な自分」に対する執着心もありました。

そして、「コロナが明けたらまた楽しもう」という気持ちも、結構ありました。
その思いから、もともと中毒気味だった「ネットショッピング」に、はまりこんでいきます。
推し活とはちょっと離れますが、ここからは少し、その話をしたいと思います。


ネットショッピングにハマる

コロナが始まる前から、だんだんと推し活のペースを落としていたので、そこに費やす金額も減っていきました。
相変わらず借金はありましたが、少し余裕が出てきました。
その余裕を、返済額を増やすことに充てれば良かったのですが、私はうっかり、そのお金で、化粧品や洋服を買うようになっていました。


化粧品を買い漁っていた

まだ、コロナ禍が始まる前のことです。
いわゆる「デパコス」と呼ばれるブランドの口紅などを中心に、やたらとネットで買い物をしていました。
口紅というのは実際つけてみるまで、どういう色になるのかわからないところがあります。つける人の唇の色や肌の色によって、発色が変わってくるからです。
なので、延々とネットでリサーチをして、「これかな」と思って買ってみても、イマイチ似合わないことが多々あります。
店頭でタッチアップしてもらえば良かったのですが、あのカウンターに行く勇気が出ず、結果、散財していました。

また、どうしてそんなにやたらと化粧品を買っていたかといえば、それは、「推しに良く思われたい」、「他のファンに負けたくない、可愛いと思われたい」という気持ちからでした。
しかし、自分をより良く見せてくれる化粧品を求めて買い物を続けることは、苦しいものでした。
新しいものを買った瞬間はすごく嬉しいのですが、それも束の間、すぐに「次に買う物」をネットで探していました。
それに加えて、ちょっとでも化粧が崩れたり肌が荒れたりすると、とんでもなく焦り、落ち込んでいました。
ここまで「外見の完璧さ」を求めたのは、人生の中で、この時期だけでした。
ほんのちょっとの「推しと顔を合わせる時間」に、完璧に綺麗な自分を見せたかったのです。


いつか推しに会うその日のために、洋服を買い集める

そして、コロナ禍がやってきます。
マスク生活も手伝って、化粧品熱はだんだん冷めていきました。
しかし、前述した通り、私は「また推し活を楽しみたい」と思っていましたし、「推し」や「推し活してる自分、特別な自分」への執着もありました。
なので、コロナ禍でしばらく推しに会えそうにないな、となった時に、「コロナが明けた時のために、推し活で着る服を買い集めておこう」と思ったのです。

私は主に、返品可能なAmazonなどを利用していました。
こちらもまた、ネットショッピングです。
Instagramやブランドのサイトをチェックして、良いなと思ったら購入して、家で試着して、良さそうならそのまま買いますし、イマイチなら返品します。
ちょくちょく楽しむだけならまだしも、私は、鬼のように購入と返品を繰り返していました。
家の玄関には常に段ボールが溜まり、試着や返品を待つ洋服が詰まっていました。

公演に行くことが決まってから買えば良いのに。確かに、今となってはそう思います。
しかし、かつて、イベント直前になって、「着ていく服がない」と、焦りに焦って、とても困った記憶がありました。
恐らくそのトラウマから、「推し活で使える服をストックしておきたい」と考えるようになったのだと思います。

洋服をポチポチと購入する時、家で試着をする時、気に入った服をクローゼットに入れる時。
いつでも、推し活でキラキラと輝く自分を想像していました。
綺麗に化粧をして、着飾って、優越感や特別感を感じることが、やはり自分の中では大切だったのです。

洋服を新しく買った時には高揚感を感じていたので、「これは楽しいことなんだ」と思っていました。
しかし、その時もやっぱり、「完璧にコーディネートした、おしゃれな自分」を目指していたので、つらい気持ちもありました。
この服に合う靴を探さなきゃ、こんな時のために羽織も買わなきゃ……。
そうやってネットで商品を探し続け、購入し、ああでもないこうでもないと悩む時間は、結局のところ、楽しいどころか、しんどい時間だったんだと思います。


ネットで買い物をすること自体に依存していた

そしていつの間にか、私は、ネットショッピングそのものにハマっていました。
より良いものを買いたいと思い、延々とネットでリサーチをしたり。
欲しいものを見つけたら、お金が心配でもすぐに注文したくなったり。
注文したものは、どうしても、すぐに届いて欲しいと思ったり。

今思えば、いつも、買い物のことで頭がいっぱいでした。

しかし、「これってあんまり良くないよな、早めに借金返さなきゃな」と思い、ネットショッピングを控えようと思いました。


洋服のネットショッピングをやめる

最初は辛かったです。
ネットショッピングをしなかった日には、カレンダーに丸をつけたりして。
でも、これはあまり、効果はなかったような気がします。

では、なぜ、ネットで洋服を買いまくることをやめられたのでしょうか。
正直に言って、「これが効いた!」という画期的な解決法は、無かったように思います。

ただ、当時は、ちょうど仕事で悩んでいた時期で、少しでも手持ちのお金を増やしたいという気持ちから、洋服の宅配買取の利用を始めていました。
それによって、「買う」活動に充てていた時間と労力を、「売る」活動に充てるようになった、というのはあると思います。

また、色々な通販で、安価な洋服をたくさん買ったりもしていました。
しかし、質が悪かったりして結局着られず、うんざりしていた、というのもあります。

それから、当時、たくさん服を溜め込んでいたので、部屋がどんどん狭くなっていました。
カラーボックスや衣装ケースを買い、どうにか収納して、ちょっとでも暮らしやすくしたいと思っては模様替えをして、うまくいかずに収納家具を追加したりして。
しかし今考えてみれば、どう考えても部屋に対して物と家具が多すぎたので、どんなに工夫して収納しても、暮らしやすい部屋にはならなかっただろうなと思います。
そういう状況だったので、もちろん、クローゼットはぎゅうぎゅう。
買い集めた服が悪くなるのを恐れて、やたらと頑張って換気をしたり、除湿剤を置いたりしていました。
しかしある日、洋服の整理をしていたら、無情にも、お気に入りで2着買いしたコート(コート2着買いもなかなか恐ろしいです)の、ストックの方に、カビがたくさん生えていました。
これは本当にショックでした。
自分は一体何をやっているんだ……。と、少し、我に返れた瞬間でもあります。

そういった苦労、失望を重ねたことで、だんだんと、服を買うことが減っていったのだろうと思います。


また、推し活のペースを落としていたことで、少しずつ、リボ残高が減り始めてもいました。
そうなると不思議なもので、「もっと返したい」と思うようになり、買い物を控えても、「今月はこんなに返せた」という精神的満足感を得ることができていました。


借金完済

コロナ禍が長引いたこともあり、着実に、借金返済のスピードが上がっていきました。
推し活も無く、洋服を買うペースも落ち、普通に遊びに出かける機会も無いので、いつの間にか、生活費以外のお金のほとんどを返済に充てるようになっていました。
そしてついに、200万円ほどあったリボ払いの残高が、0円になったのです。
完済した時には、ものすごく嬉しいというより、「やっと終わった」という脱力感と「しかし、これからどうしようかなあ」という不安感があったような気がします。
それでもやっぱり、毎月の返済が無いことによって、日々の気持ちが変わっていったのではないかと思います。


洋服を減らしたらグッズも減っていった

そして、洋服を買うことが減り、売ることが増えたので、少しずつ部屋がスッキリしていきました。そうなると、推し活で入手したグッズが、よく目に入るようになってきます。
そして、「もう、こんなにいらないかも」と思い始め、宅配買取を申し込みました。
(洋服を売り始めた時と同じように、ちょっとでも手持ちのお金を増やしたい、という気持ちもありました。)

私はあまり多様なグッズを集めるタイプではなく、関連書籍、Blu-ray、ブロマイドが主な所持品でした。
それでもかなり量があり、宅配買取に出すのも一苦労でした。
しかし、整理して段ボールに入れていくうちに、だんだん調子が出てきて、もう、ほとんどいらないなあと思うようになり、ラジオをかけながら、結構楽しく箱詰めをしていきました。
そして、ひとつひとつのグッズを手に取っているうちに、
「たくさん楽しませてくれて、ありがとう」という言葉が、心の中に浮かびました。

最終的に、推し活で入手したグッズは、全て宅配買取に出すことになりました。
推し活で使っていた双眼鏡やペンライトなんかも、全てリサイクルショップに売りました。
もし、また、友達と遊びがてら観に行くことがあっても、チケットさえあれば良いわけだし、その時になったら考えよう、と思って。
(ちなみに、まだ、その機会はやって来ていません。)


自分と向き合う時間が増え、闇の推し活が終わる

そうこうしているうちに、緊急事態宣言も終わり、色々な公演やイベントが再開されていきます。
「行こうかな」と思うこともありました。
しかし当時、私は、高齢の家族と同居していたので、「でもまだ流行ってるしなあ。私から家族にうつしちゃったらイヤだなあ。やっぱりやめておこう。」と思い、公演やイベントには行きませんでした。

(正確に言うと、3年くらい前、コロナがかなり落ち着いていた時期に一度だけ、友人と公演に行きました。グッズを全て処分する少し前のことです。それなりに楽しかったですが、推し活を再開するには至りませんでした。)

また、その後、少し体調を崩して、仕事をやめている時期がありました。
そのため、借金は無いけど余裕もない、でも時間はある、という状況でした。
昔の私なら、無理してでもたくさん働いて、推し活資金を得ていたと思います。
しかしもう、そういう気持ちは無くなっていたので、わりにおとなしく休んでいました。

そんな風に日々を過ごしているうちに、だんだん、自分の心に向き合う時間が増えていきました。

その時に、色々な本やブログを読みました。
「認知行動療法」の本を参考にして、自分が考えていることを書き出してみたりもしました。(私が読んでいたのは、「いやな気分よさようなら」と「フィーリング・グッド・ハンドブック」です。)

そうしていくうちに、自分の中にどういう考えがあるのか、気づき始めました。
「自分は特別なはず」、「特別になりたい」。
「なんでも上手にできて当然」「なんでも知っていなければいけない」。
「間違えてはいけない」、「失敗は恥ずかしい」、「賞賛されるようなステータスがなければ、他人に認めてもらえない」。
「あの時ああしていれば、もっと良くなっていたのに」。

こういう考えに振り回されて、自分で自分を追い詰めていたのかもしれない。そう思うようになりました。

そうやって自分の心と向き合っていくうちに、「もう、ああいう推し活は、しなくてもいいのかも」「ていうか、もう、あの頃の感覚には戻りたくないな」という気持ちになっていきました。

そしてついに、闇の推し活を完全にやめて、その世界から離れたのです。


終わりに

「闇の推し活」をやめてからしばらく経ち、気持ち的にもだいぶ落ち着いてきた頃。
これまでのことを自分なりにまとめたいなあ、と、ぼんやり考えていました。

そんな時に、ふと、「もしかしたら、自分の体験が、ほんのちょっとでも、誰かの役に立つかもしれない。」と思い、noteの記事として書いてみることにしました。

(借金のことなどは、誰にも言ったことがなく、墓場まで持っていくのかなと思っていましたが……。実は、誰かに聞いて欲しかったのかもしれません。)

なんやかんやと長くなってしまいましたが、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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