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ストレスが生まれるメカニズムとは? 選択の自由と心理的リアクタンスの関係

「人間にはやはり、『選択の自由』が重要ということか…」

日々生活していると、ストレスを感じる瞬間があります。例えば「この資料今日中に完成させてください」なんて依頼が来るときもあります。「オイオイ、今何時だと思ってんだ(怒)」とキレそうになります。そんな気持ちをグッと我慢して大人に対応をしたり。(なるべく丁寧に断りますが・・)

でもなぜ、このようなシーンでストレスを感じるのでしょうか。心の中で何が起こっているのか。

例えばこんなシーンもあります。「あの映画、今週末で上映終了なんだって」と聞いて、「おお観に行かなきゃ!」と思ったり。劇場に限らず、例えばAmazonプライム・ビデオで「見放題が終了間際の映画」という項目があります。これも同じですね。焦って観なきゃと思ったりします。

これらに共通しているのは何か?

それは「自由を奪われる」という感覚です。できたことができなくなる、つまり「選択が制限される」ことに我々は異常にストレスを感じます。

なぜこのように感じるのでしょうか。「選択とストレス」の関係について考えます。

自由を取り戻したい心理(心理的リアクタンス)

自由を奪われる系の話は昔からよく見聞きします。例えば昔話の「決して覗いてはいけません」という一言。こう禁止されると物語の主人公は覗いてみたくなるものです。読んでいる側も同じ心境になりますね。

このような心の動き方を心理学用語で心理的リアクタンスと言います。

【心理的リアクタンス】
自分の自由が他社から侵害された時に、自由を取り戻そうとする心理的抵抗のこと。

選択する自由が外部から脅かされた時にはその自由を回復しようとする反発作用のこと。禁止されるとやりたくなるのは正にこの心理効果によるものですね。

「カリギュラ効果」という言葉をご存知の方もいるかと思います。禁じることで、逆にやってみたいという心理的リアクタンスを用いた効果です。この分かりやすい例が「上映禁止」という言葉。この言葉、妙に興味を惹かれませんか?

このカリギュラ効果という言葉は1980年に制作された「カリギュラ」という映画に由来します。残虐なシーンや性的描写が多く、あまりに過激という理由でアメリカで上映禁止令が出ました。すると、この「上映禁止」という言葉がかえって人々の注目を集め大混乱になったという出来事がありました。

映画を観る自由が奪われ、それに反発して興味が湧くという心理的リアクタンスが作用した事例ですね。

テレビ通販などを見ていると「お一人様◯個までに限らせていただきます」などといった謳い文句を耳にしますよね。制限されると、逆にその上限いっぱいまで買いたくなってしまう。これも心理的リアクタンスの効果。騙されないように気をつけましょう…。

人間は自分で決めたい生き物

人は誰しも生まれながらにして「自分の行動を自分で選択したい」という欲求を持っています。赤ん坊でも、思い通りにならないと泣き叫んで親を困らせますよね。

子供が宿題をするシーンで、母親から「早く宿題をやりなさいよ」と言われ、急にやる気を失ってしまうというシーンに出くわしたことはありませんか?私は子供の頃何度か経験しました。そして、今は親の立場でこのようなことを子供にしているように思います…。

自分から進んで宿題をやろうとしていたところに、自分の行動を他人に決められたことで「選択の自由が奪われた」と感じ、反発する態度を取ってしまう。結果、「宿題をしない」という反発行動をとってしまうのです。

これの面白いところは、相手の指示と自分がやろうとしていた行為が同じものでも、さらに言えば、たとえ相手の指示の方がメリットがあると感じていても、心理的リアクタンスは生じてしまう点です。

子供は「宿題をしよう」と思っているし、「今宿題をした方が良い」とも思っています。でも「宿題やりなさいよ」の一言で、自分の気持ちを覆して「宿題をしない」という反発行動を選んでしまう。それほど心理的リアクタンスは強力です。つまり、人間の「自分で選択したい」という意思はあまりに強力だということです。

人間とは不思議な生き物ですね。そして、これまで何度子供の意思を阻害していたのかと反省していまいます…。これをお読みの親御さんのみなさん。「宿題しなさい」という言葉はお子さんに使わないようにしましょう。。

ちなみに、この宿題のケースを「ブーメラン効果」と表現したりします。説得の逆効果。人を説得するつもりが、かえって相手の強い抵抗や反発を招いたり、逆効果に働いてしまう現象のことです。気をつけたいですね。

行動の背景にある「自己効力感の担保」

人間や高等な霊長類にはすべて「自分のことは自分で律したい」という本能を遺伝子レベルで持っていると言われています。それをやるのか、やらないのか。これが好きなのか嫌いなのか。自分で決めて、自分で行動する。その時に芽生えるのが自己効力感です。

例えば「やめろ!」「やれ!」と自分の意志に関係なく命令された時、その内容に関係なく「自分で判断する」という選択肢を奪われた状態になります。この時に起こるのが「自己効力感の喪失」です。

そして次に何が起こるのか?それが「自己効力感の回復」。つまり失ったものを取り返そうとします。

「やめろ!」→「いやだ、やる!」(=自己効力感回復)
「やれ!」 →「いやだ、やらない!」(=自己効力感回復)

命令の内容に関係なく、その命令を否定することで、「自分で選択した」という感情が芽生え、自己効力感は回復します。

人が反発しているのは、本質的は「自己効力感の回復」のためにそのような衝動や行動が起きるのではないかと思います。

そう考えると、例えば子供がゲームをし過ぎて困っている親がかけるべき言葉は「ゲームをしちゃだめ!」は逆効果ですね。これでは反発が起こり、ゲームをしたくなってしまいます。

そんなときは「今日はゲーム以外しちゃだめ!」と言ってみると面白いかもしれません。反発が起こって、ゲームへの執着が弱まったりするかもしれません。また嫌になるほどゲームをすると楽しいという閾値を超えて、次第に楽しくなくなって来てゲームから気持ちが離れたりするかもしれません。(逆にゲームをやりすぎたりするリスクもあるので、ここはあくまで自己責任で…汗)

心理的リアクタンス回避の工夫

人は禁止されるなど選択肢を奪われると「自己効力感の回復」のために反発行動に出てしまいます。怖いのは自分の本心とは関係なく「ただ反発行動をとってしまう」ということです。

「自己効力感の回復」を優先し、したくもない行動をとる。これは自分の自制が効いてない状況と言えますね。なるべくこのような状況は避けたいです。では心理的リアクタンスを発動させずに、いかに自制すべきでしょうか。

そのポイントは「制限の中で選択肢を見つける」ということ。

例えばこの1年で散々目にした「外出自粛」という言葉。これも制限されている状況ですよね。そんな時は「外出自粛」の中に選択肢を見出します。「家で過ごす時間が増える」点に注目することで、どんな風に過ごそうかな、と選択肢がいろいろ思いつきます。

観たかった映画を観る、ドラマをまとめてゆっくり観る、ゆっくりとコーヒーを楽しむ、家族と過ごす、掃除がはかどるなど、選択肢が思いつきます。そこから選択して行動すれば、自己効力感は回復され、無用な反発は起こりません。ストレスを回避することができます。

まとめ

日々生活をしていると「自由を制限されるシーン」にはよく出くわします。その度にストレスにさらされます。その裏には「選択の自由」を奪われたことに対する心理的リアクタンスという反発心があります。

これは自己効力感を取り戻すために芽生える感情。自分の意思とは関係なく、自己効力感を回復したいがゆえに、制限されたことに反発心が芽生えます。時に、自分が好ましいと思わない行動すらも取りかねません。なるべくなら回避したいところです。

その時には「制限の中で選択肢を見つける」視点を持ち、自己効力感の回復を自分でセルフケアするのが有効です。

今回の記事を書いて改めて、日々感じている怒りやイライラの背景には「自分で選択できない」という不自由さが影響しているのだと再認識しました。やはり人間には「選択の自由」を持つことが重要ということですね。

そして、このメカニズムを知っておくと、人とのコミュニケーションにも非常に有効です。相手の選択肢を奪うような言葉を使うべきではないことがわかります。相手の心理的リアクタンスを発動させず、またブーメラン効果を回避しながら、どんな言葉をかけるべきか。気をつけたいですね。

自分と周囲の人の選択の自由を確保しながら、上手にストレスを回避していけると良いですね。

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