見出し画像

生き悩む人 12

紙のノートに色々と振り返って書き出してみて、仕事をしていた中で1番自分の中の視野が広がった日のことを思い出しました。
休みの日に好きな昔の番組やアニメを見ながら、当時リアルタイムにやっていたドラマを追いかけていました。
純度の高い、透き通った愛情や、好きに触れていく中で、夢中になる感覚に溺れていく中で、盲目的なほどのめり込む経験値になりました。
悪意がなく、時間が経っても愛されたり、好きだ、いいな、安心する、ほっとする感覚に触れることができたことが、自分の内側の濁った部分を濾過するような感じでした。
それから、この感覚を知るためにいろいろな本を読んだり、作品を作っている人を知るために調べたり、対話を聞いたりしていくことが、一方的な受容から、一歩進んだ能動的な行動へ繋がっていきました。
当時、エーリッヒ・フロムの愛と、生きるということについての本を読んで、それから目から鱗が落ちたような、殻が抜け落ちたような素直な気持ちになって、数日涙がでました。

だれもが生まれてきた時は小さい赤ちゃんで、それから誰かしらの愛情を受けて幼児、児童、子どもに育ち、思春期を乗り越えて成人から大人になって、それから年を重ねてだんだんと不自由なことも増えてながら、老人となっていきます。

人間の猿から成長してきたような段階ではなく、もう忘れてしまっているけれど、どこか無意識のなかか、感覚を微かに内側に残したまま、段々と包むように大きくなっていくイメージです。

その当時、人は子供から大人になると何を考えて、どんな価値観を持っているのかわからない、他人は怖い存在だと考えていました。
なので、心を開く感覚が分からず、自分から心を開かなければ相手が心を開いていても、それに気づくことができなかったり、相手も心を開いてくれません。
心を開いた状態は、小さな子どもと接した時の、純粋な関わりです。
疑ったり、だましたり、利用しようとしたり、足を引っ張ったり、自己保身に走るのではない関係です。
朗らかで、穏やかで、明るい状態です。

これまで人はアップデートされたら、過去は忘れてしまうものだと思っていたのです。
人によって、程度の差はありますし、この考えが全てだとは思っていません。

ただ、あんこを包むお餅のように、中には過去のその人が歩んできた、とても小さい頃からの経験や体験や、向けられた愛情や、世話などが含まれている存在なんだ、と実感しました。

両親も、同じ職場の人も、関わりのない人も、友人も、そのときにやっとこわさがなくなりました。
仕事の中で理不尽なことがあっても、受け止めて、流し忘れることもできました。

自分自身が疲弊しているときには、段々と忘れてしまいます。余裕がなくなって、忙殺されていくからです。
 安心できる人と過ごしたり、休みを取る中で、バランスを保ちつつ人と関わることができることを思い出しました。

嫌な人、怖い人も時々はいます。ただ、それが全てではありません。
素直で優しい人も、思いやりに溢れる素敵な人もいます。見えていないところではいやな思いをしていたり、我慢しているひともいます。

自分自身のことは自分が1番見えにくいけれど、いやなところも、いいところも自覚している部分、自覚していないところで迷惑をかけてしまうところもあります。
柔らかな心を持って、人を頼ったり、人に頼られたりしながら、懸命に過ごすことができたらいいな、と思います。
久しぶりに感覚を思い出して、日記に残しました。
最近、夢中になれることに出会いました。
遠くのことを見据えることも、とても大切なことですが、今の自分を等身大で、できることに努力を惜しまずに生活していきたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?