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小説 開運三浪生活 2/88「県大」

四月になって最初の朝、レトロな目覚まし時計がけたたましく鳴り出す数秒前に文生は起きた。がらりとした八畳の和室には、布団にこたつテーブルにパイプ式の机と椅子、そして新品のテレビデオがあるだけだった。畳の匂いが、まだ新しい。

盛岡市の郊外にあるコーポ平成202号室の住人となった文生は、昨日一日がかりで荷物の整理と日用品の調達を終えたばかりだった。必要最小限の家財道具は、先月まで暮らしていた広島のアパートから送ってあった。CDや本が詰まったミカン箱の中には、すでに役目を終えたはずの予備校のテキスト一式も、念のために潜ませてあった。

部屋にはカーテンがなかった。県大の一年生の時に暮らしたアパートは、岩手の冬の寒さに備え窓ガラスが二重に施されていたが、コーポ平成の窓は一枚しかない。代わりに、障子戸との二重構造になっていた。おかげで、朝になると障子紙をフィルターにして少し薄まった朝日が差し込んできた。それが文生には心地よく、すがすがしく目覚めることができた。

朝食の納豆ご飯と即席の味噌汁をかき込みながら、文生はテレビをつけた。ニュース番組は、盛岡の天気を晴れのち曇り、最高気温十二度と予想していた。ということは、さらに高地にある県大の周辺は盛岡より一、二度低いことになる。この日の午後、県大では留年生を対象としたオリエンテーションが予定されていた。

県大では、二年生の終了時点で所定の単位数を取れないと上の学年に上がれない。一年生の前期の単位しか取っていない文生は、入学して三年目だが身分は二年生だった。来年、三年生に上がるには、この一年間で一年半分の単位を取らなくてはいけない。履修科目をみっちり詰め込んでも不可能な話だった。

憂鬱なのは、本来一学年下の学生たちに混じって講義を受けることだった。単純な座学ならともかく、グループワークで彼らの中に溶け込める自信は皆無だった。想像するだけで脇汗が噴き出した。その前に、まずは今日のオリエンテーションを乗り越えなければならない。県大生が集う場に文生が顔を出すのは、一昨年の秋以来のことである。

昼下がり、ユニクロのグレーのフリースジャケットをまとった文生は、滝沢駅から県大へと続く坂道をうつむきがちに登っていた。顔に当たる空気が、盛岡市内のそれよりも澄んで、乾いて、冷たかった。

幸いまだ春休み期間とあって、県大生らしき通行人はほとんどいなかった。道が日陰に入ると、そこかしこにうっすらと雪が融け残っているのが目に入った。一週間前広島を出た日は春の陽気に包まれていたが、自分が再び北国の住人になった事実を文生は改めて思い知らされた。

上り坂から平地に入ると、牧草地を思わせるだだっ広い芝生の敷地が見えてきた。県大だ。文生は立ち止まり、口から大きく息を吐いた。

――行くか。

正門のアーチをくぐると、不安と緊張がいっそう増した気がした。

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