奇説無惨絵条々書影

『奇説無惨絵条々』の世界第15回、「河竹黙阿弥」

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 前回までで短編のライナーノーツを終えてしまいましたので、幕間の登場人物で一人、全く説明していない人物の話をしようと思います。
 今日はずばり、河竹黙阿弥です。

 とはいえ、実は本作においてかなり黙阿弥のことは説明してしまっています。ですので、本書に書いていないことをメインにお話しできればと思います。
 本書においては江戸の芝居の保守本流という雰囲気を醸す黙阿弥ですが、それはあくまで演劇改良運動との比較においてという但し書きがつくだけの話で、実際には黙阿弥はいろいろと新しいことにも挑戦していました。のちに演劇改良運動と同一視される「活歴もの」という語とて、実は最初は黙阿弥をはじめとした江戸の狂言作家や役者たちへの評でした。黙阿弥は漸進主義者的というか、地に足のついた創作をしていたのではなかろうかと思います。
 実は黙阿弥には「散切もの」という明治の世相をそのまま歌舞伎に仕立て直した作品もあったりします。決して彼は江戸時代に居場所を求めていた人ではありません。
 けれど、彼は芸術改良運動とは距離を置きます。そのあたりの理由を考えるにつけ、あまりに急進的なくだんの運動に嫌気がさしたのだろうなあという気がひしひしとしております。
 黙阿弥という人は明治の後半に「再発見された」人物とも言えます。岡本綺堂のエッセイなどにも詳述がありますが、明治三十年代から大正にかけて空前の江戸時代ブームが訪れました。実は時代小説や時代劇というのもこの時期の江戸ブームの余禄みたいな面はあるのですが、いずれにしてもこのブームの際、江戸を知る狂言作者として黙阿弥がフューチャーされ、名が否応なしに高まったということのようです。前述の岡本綺堂は世間の黙阿弥贔屓に含むところがあったようですが、江戸の言葉を知りたければ南北や黙阿弥翁の残した台本を読めばよい、と書き残しています。
 実際、黙阿弥の残した「江戸の人情」という機微は、歌舞伎に留まらず様々な分野に影響を及ぼします。実際、時代小説にも多大な影響を与えているのです。
 わたしたち歴史・時代作家は、知らず知らず、黙阿弥翁の掌の上とすら言えるかもしれませんね。

 わたしが本作に黙阿弥を登場させたのは、テキスト上の必然もさることながら、創作のご先祖への敬意もあるのです。
(あと、落合芳幾が『歌舞伎新報』上に黙阿弥の死に絵を描いているというのにも縁を感じました。長生きだけに、芳幾さんはいろいろな人を見送っています)

 さて、次回は最終回です。
 次回は本書に登場したある絵と、ちょっとした言い訳をしようと思います。ではでは、最終回もお楽しみに!

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