奇説無惨絵条々書影

【天狼院書店初心者短編2019年10月コース受講者向け】⑧”根源”を巡る旅は続く

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【注意】
 こちらのエントリは、天狼院書店さんで開催中の「短編小説100枚を二ヶ月で書いてみる」講座参加者の方向けのエッセイです。参加していない皆様にもなにがしかに気づきがあるかもしれませんが、このエッセイは基本的に「初心者の方が小説を書き切る」という目的設定をした講座に向けたものでありますので、中級者、上級者の方がご覧の際にはそうした点をご注意の上ご覧ください。
【注意ここまで】

 この講座を受講していただいた皆様には、最初に「根源」の話をしました。
 小説を書く際に必要なものとして、「技術」、「フィジカル」、「根源」の三要素(実は「フィジカル」に当たる部分に関しては話すごとに変わる傾向があります。ごめんなさいてへぺろ)があり、小説養成講座では「技術」「フィジカル」に当たる部分しかお教え出来ないよ、でも小説を書くには「根源」が一番大事なんだよ、という話をした気がします。その上で、自分の「根源」に向き合うことが小説を書くということなんだ、という話もまたしましたね。

 「根源」とは、あなたの世界観や価値観、ものの考え方の集積です。「根源」はその人の人生の年輪であり、外部からどんなに働きかけても変容させようがありませんし、それらの集積が「正しい」か否かは誰にも分かりません。そもそも、「根源」に正しさなんてないのかもしれません。
 ただ、長らくアマチュアの世界に籍を置き、プロになって七年、さらに小説養成講座の講師として招かれいろんな作家さんと関わりを持つようになった上でふと思うのが、小説を書きたいと志す方の多くが、己の「根源」と世間とのずれに悩み、その上で小説という表現形態にたどり着いていることが多いなあ、ということです。月並みな表現ですが、小説を書こうと思い立つ方の多くは、ある種の生きづらさを抱えておられるような気がしてなりません。
 実際のところ、わたしも相当「生きづらい」人間でして、小説を書くことでやっとこ生きている感じではあります。きっとわたしは小説を書くことで、度し難い世間と何とか折り合いをつけて生活しています。たぶん、もしプロの小説家でなかったとしても、わたしは小説を書き続けていると思います。

 さて、考えがまとまらなくなってきたぞ(笑)。

 度し難い自分。
 そうしたものを小説という表現でもって形にすることで、おそらく小説を書く人は自らのことを赦しているんじゃないかと思います。
 そして、これはわたしの実感ですが――。
 そうした人間が小説を書き続けることで、己の「根源」が少しずつ変容している感覚があります。いい方向なのか、悪い方向なのか、それはわたしにはわかりません。ただ、奇々怪々なる己の「根源」を小説というたとえ話として吐き出し、それが集積されるうちに、自分の「根源」をも相対化できた結果なんじゃないかなあと思います。

 ある種の人間にとって、書くことは生きることそのものなのです。

 今回の講座を受けてくださった皆様の多くは初めて小説に挑戦なさったわけですが、もしかしたら、小説という表現が肌に合わなかったかもしれません。そうした方はさておいて、もし、小説を書き続けてもいいなあという方がいらっしゃったなら――。
 その際には、ぜひとも、己の「根源」に迫り、変容していく様を楽しもうではありませんか。

 皆様のこれからの御健筆にご期待いたしております。

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