信長様はもういない書影

二つの商業小説刊行プロセスについて(オチはない)

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 昨日、わたし、こんな発言をいたしました。

 ちょっと大事なことなのでまとめておこうかなあと。

 えっ、作家って自分の書きたいものを書いてばっかりなんじゃないの? とお思いの方も結構いると思うのですが、そればっかりではないのが小説の世界です。

 実は歴史小説・時代小説は(作家の側に得意とする時代や地域などが存在することもあり)出版社さんからご提案がしにくい傾向にあるそうですが、それでも結構出版社さんからの勧めで書くものを決めることはよくあります。

 わたしの場合だと……。

『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』著者提案
『蔦屋』 版元提案
『てのひら』 版元提案
『曽呂利!』 著者提案
『三人孫市』 半々
『しゃらくせえ鼠小僧伝』 半々
『信長さまはもういない』 著者提案
『おもちゃ絵芳藤』 半々
『某には策があり申す 島左近の野望』 版元提案
『しょったれ半蔵』 著者提案
『安土唐獅子画狂伝 狩野永徳』 著者提案
『刀と算盤 - 馬律流青春雙六』 版元提案
『奇説無惨絵条々』 半々
『廉太郎ノオト』 著者提案
『桔梗の旗』 版元提案

 単行本だとこんな感じです。
 「半々」というのは、「絵師もので一本」という依頼(『おもちゃ絵芳藤』)とか、「戦国武将で一つ」(『三人孫市』)のように、おおまかなテーマが版元さん側から出てそれに応えた場合のことです。
 そうして見ると、著者提案は過半数を行っていないことがお分かりになると思います。これは決してわたしに主体性がないわけではなく、わたしに声を掛けてくれた編集者さんが、

「谷津だったらこういうテーマの小説が書けるんじゃねえか」
「谷津にこういうものを書かせたらうまく化けるんじゃねえか」

 と頭をひねってくださっている結果の産物だと思っていただければ幸いです。

 わたしのこのスタンスが良いのか悪いのかは分かりませんし、また他の作家さんがどういうスタンスでおられるのかについて興味はありません。ただ、わたしは著者提案にしろ、版元提案にしろ(そしてその中間型にしろ)それぞれに良さがある気がしています。
 著者提案の仕事に関しては、(自分の)戦略に沿った石が打てるという意味において重要だと思っていますし、逆に版元提案の仕事に関しては、新しい自分に出会ったり苦手なものに取り組む機会が得られたりとそれはそれで良さがあるんじゃないかと。
 むしろ問題なのは、どちらか片方に依存して考えが凝り固まってしまうことかもしれません。
 エンタメ小説を書くという仕事は突き詰めていくと「職人仕事」であろうというのがわたしの持論です。言うなれば、皆さんが使う箸。木を削ったり漆をかけたりやすりをかけたりして多くの方に使っていただけるような品を作りつつ、出来ることならある種の芸術性、というか、工芸品としての美しさを出してゆくべく努力する、そんな仕事だと思っています。
 そんな職人仕事を支えるものは美に対する執着と世間の人々の声を汲み上げる力なのだろう。そう思うわけです。

 個人的に、美に対する執着は「著者提案の仕事」に、世間の人々の声を汲み上げる力は「版元提案の仕事」と密接な関係がある気がしています。

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