奇説無惨絵条々書影

『奇説無惨絵条々』の世界第13回、「夢の浮橋」ライナーノーツ(1/2)

 『奇説無惨絵条々』(文藝春秋)、各書店様、WEB書店様などで好評発売中です。

『奇説無惨絵条々』の冒頭部分、試し読み公開中です!

 はい、今回は『奇説無惨絵条々』最後の一編、「夢の浮橋」のライナーノーツ第一回です。今回は大まかになぜこんな話を書いたのかという経緯をご説明させていただきます。

 まあ、実をいうと「人間〇〇〇」が書きたかったんですよ(ネタばれの上、グロ表現なので自主規制しました)。
 もともとこの短編集は「狂った爺」と「人間〇〇〇」が書きたくて始めた短編集だったんです。文春さんのサロン、菊池寛の胸像の前で担当者さんに

「僕は、狂った爺と人間〇〇〇が書きたいんですよ!」

 と力説し、サロンの空気を冷え込ませ、コーヒーを運んできた方を恐懼させたのはわたしです。お許しください。

 もちろん「人間〇〇〇」を書くに当たっては、それに見合ったお話を選ばなくてはなりません。そんなわけで目を付けたのが「吉原百人斬り」でした。田舎出身のさえない男が諸般の事情で花魁に振られ、妖刀に魅入られて大立ち回りをするという実に狂ったお話ですが、このお話を材に取れば十分「人間〇〇〇」を出せると考えたのです。
 (あと、実はこの短編を書くにあたり参考にしたのは「堀江六人斬り」という明治期の事件です。かなりグロいので、検索は自己責任で。もし調べて衝撃を受けてもわたしは知りませんよ!)
 わたしがこの「夢の浮橋」で目指したのは、「原話の復元(という創作)」でした。
 脂が回る云々で、一振りの刀ではそう何人も斬り殺せないといいます。実際のところはどうか知りませんが、確かに同一の刀を使った場合、何十人も斬り殺せるようなものではないようです(諸説ありますけど)。「百人斬り」云々は後世の脚色だろうというのがわたしの観察でした。
 では、この「吉原百人斬り」の原話はどのようなものだったのか――。物語に彩られた虚飾を剥いでいき、「原話」を描き出そうというのが私のたくらみだったのですが、一方で、それはわたしが新たな虚飾を作り上げたのと同義であったわけです。
 「歴史をネタにする」創作の醍醐味をもっとも味わうことができた短編といえます。実をいうと、著者としては「夢の浮橋」、気に入っております。

 というわけで、次回は登場人物の紹介です。待たれよ次回!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?