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未来について考えてみた

 ハンス・ロスリング他著『ファクトフルネス』が、あさイチで紹介されていて、その中の「どれほど世界のことを知っているかテスト」で、自分の思い込みを思い知らされ、即刻ポチって読んでみました。「あぁー、そうだったのか」って目から鱗がポロポロ剥がれ落ち、世界は(環境破壊とパンデミックを除いて)それほど悪くない。ドラマチックすぎる物の見方にとらわれることなく事実(ファクト)に基づいて世界を見渡せば、「人類は様々な問題に対処していけるのではないか」と、希望がもてる本でした。

自然との調和

 本のメッセージは、「今の我々の世界についての思い込みを乗り越えろ」なので、ディティールにツッコミを入れるのもいかがなものかとも思うのですが、気になった表現があります。日経BP版の112頁。《1900年代の半ばから急速に増大する世界人口のグラフ》の上段から次頁にかけての記述。(以下引用の太字は、私による)

 1800年まで、女性ひとりあたりの子供の数は平均6人だった。(中略)6人の子供のうち平均4人は若くして亡くなってしまい、大人になれるのは2人だけだった。だから、人口が増えなかった。昔の人は、自然と調和しながら生きていたのではない。自然と調和しながら死んでいったのだ。世界は残酷だった。

 国によって状況は違うので、だいぶ乱暴な展開ですが、1800年以降、産業革命と農業革命により生産力と乳幼児生存率が向上。それを受けて出生率は(2度の大戦の一時期を除き)継続的に低下、十分な生産力を持ち得た国は出生率2.0に近づいていきます。

 親は子供を平均2人つくり、2人とも大人になることができる。すばらしいことだ。人類は史上初めて、人は自然と調和しながら生きられるようになった。(中略)人口はいずれ横ばいになる。

 「自然と調和しながら死んでいった」時代。ロスリングはそれを「残酷だ」と書き、「人口が横ばいになる」ことを「人類は史上初めて、人は自然と調和しながら生きられるようになった」と言っています。

 平均6人の子供を出産し4人は若くして死んでしまう世界。
 日本列島で1万年あまり続いた縄文時代、竪穴式住居の出入り口の下に子供が埋葬されているケースがあります。また、住居が火葬されている例もあり、「家族は、幼くして亡くなった子供とともに生活し、世帯が終息するとその家の空間を炎で昇華する習慣があった」のかもしれません。また、土器や土偶に残る女性像や月、炎の造詣を見ても、縄文の人々は、「自然と調和しながら死に、自然と調和しながら生きていた」のではないでしょうか。死とともにある生活は、生とともにある生活でもあります。それを「残酷だ」というのは現代の価値観でしかありません。(6人もの妊娠と出産を行う女性の負担は大きなものでしたが)

 1万年におよぶ継続的な文化をもち、戦争のない時代。縄文の遺跡からは武器により殺傷されたと思われる遺体が発見されていません。数千年にわたり定住していたと思われる邑(むら)の人口は緩やかに増減していますが、その「持続的循環型生活にこそ、自然との調和の仕組みと価値観があった」とも考えられます。縄文の自然との関わり方、社会構成に学ぶべきことは多いと思います。

人類の未来

 国連の予測では、今から80年後の2100年頃に、出生率の世界平均が 2.0になり、寿命とともに世代間格差も是正され人口ピラミッドが平坦になって、人類の人口は110億人で定常化します。平均値が「幸せな数字」であってもごく一部の「飛び抜けた幸福」と「大多数の不幸」では明るいとは言えません。公平性がなければ平均値で語ることに意味はありませんが、そのことを肝に命じて、平均値を使って人類の未来を眺めてみたいと思います。これは遠い未来、SFの話ではありません。現在進行中のチャレンジであり、80年後の2100年に我々の孫の世代が体験する物語でもあります。もちろん、ロスリング氏の教えに従いファクトをベースしながら。 

人口推移グラフ2019 Japanese_0

「国連人口基金東京事務所ホームページ」より

 世界の人口は、ずっと(日本では縄文時代から)数千万から数億人で極めて緩やかな増加に過ぎませんでした。急速な人口の増加が始まるのは「産業革命」と「農業革命」の後。トラクターと化学肥料の普及が食糧の生産量を押し上げ、乳幼児の死亡率が低下し平均寿命が伸びて、人口爆発が始まります。

 経済の拡大が極度の貧困率を、教育が出生率を下げることにより、世界の出生率が2.0に近づいていきます。寿命の延長が限界になる2100年頃、世界の人口は110億人あたりで定常化します。

未来予想

(世界人口推計2019年版 データブックレットより)

 110億人で定常化する人類。生まれた子供は、みんな大人になることができ、病気や事故での死亡は最小化し、大半の人々が老衰で息をひきとる世界。人種やジェンダーや障害による差別はなくなり、文化的な生活が保障され、言論や思想の自由が担保され、地球資源の枯渇や温暖化を回避する持続可能な循環型システムが構築された80年後。人類は「量から質への転換」に入れるかもしれません。そのためには、政治や経済や社会の様々な問題に対峙しなければなりませんけど。

 この出生率2.0、110億人の世界ってどんな世界なんでしょう。

 人種的多様性。実は、現在すでにそれぞれの地域でそれぞれの人種が生活し、人口的には十分に拮抗しています。むしろ2100年に向けて「アングロサクソン系がマイノリティであること」が表面化していくと見るべきかもしれません。

地域別世界

 ちなみに現在のアメリカの『Black Lives Matter』ムーブメントも全世界規模の「人種的多様性の台頭」の一部かもしれません。

構成比アメリカのコピー

https://www.nhk.or.jp/syakai/10min_tiri/shiryou/pdf/006/shiryou_002.pdf

  経済の未来はどうなるのでしょう。これは、予測が難しい。アフターコロナの影響がどの程度になるのか。ビフォアコロナのGDPで見ると、アメリカ、中国、日本の経済規模が大きいのですが、その3国をはじめ、全世界的なロックダウンや、グローバルな交通の停止がもたらす影響、過剰な金融緩和が生んだ巨額の資金が買支えているだけで、実態の経済と乖離してしまった株価バブルなど、素人目からもとても危ういように見えます。IMFも「高水準の債務を抱える多くの経済圏が急激な景気減速に直面することが想定される」と、アメリカと日本を名指しで警告しています。コロナ禍の早期の終息を祈るばかりですが、資本主義やグローバリズムや貨幣の仕組みについて再考するいい機会だと思います。間違っても、現状にしがみつきたい人々の「暴力的な調整」が発動しませんように。

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 野村総研の未来年表を見てみても、残念ながら、先に行くほど(現在の延長での)政治・社会、経済・産業に関する予測は白紙になっています。今回見通しや優先順位の修正がたくさん入るでしょうね。


 人口の話に戻しましょう。日本の人口に注目します。野村総研は、上記のレポートで2100年の日本の人口を5,972万人、 1億2615万人の現在から半減すると予想しています。

 ちなみに日本の出生率は、高度成長の結果、2.0を下回って久しい。合計特殊出生率というのは、15-65歳の女性が生涯に出産する子供の数をその人数x2で割ったもの(1世帯の子供の数の平均)をいいます。

出生率

 以下は、少し古い予測。野村総研の採用した予測が「出生率の上昇を(根拠もなく)フランスの例にならったり、2.0を上回って回復させる日本の政策の可能性」には期待していないことがわかります。  

人口推移日本

 日本の人口が半減し、国内市場は半減します。①アメリカのようにグローバル経済で吸い上げた利潤に関わるものとその恩恵を受ける者のみが富み、②拡大した格差社会を支えるために低所得労働者となる移民を大量に受け入れ、それらが交錯しながらも、③小さくても持続可能な循環型社会を内包していくのか。①は、今回のコロナで蓄え込んだ歪みを軟着陸させられるかどうかにかかっていますし、②は、大きな政策転換で、それを受け入れる産業と社会構造を提供できなければ日本は移民先に選ばれません。③に期待を寄せているのですが、まだまだ試行錯誤が必要なのではないかと思います。

 国連による日本人口の予測では、現在の少子化が15-64歳層の圧縮にもろにきいています。野村総研予測より上ぶれているのは、国連予測では移民の受け入れを前提としていた気がします。いずれにしろ、この構成比では、若い現役世代が高齢者を支える年金や医療保険の仕組みは大変厳しい。と、ついつい、ドラマチック本能にひっぱられてしまうのは戒めなければですね。

 日本の人口減少は、沖縄がすでに定常化に入っているらしく人口減少が止まっているようですが、その他の地方のみならず、東京でも場所によっては人口減少が始まります。出生率が2.0より低いままだと、単純にどんどん減少していくのですけど、どこかで「平均2人の子供を産み育てる、希望ある未来」に転換できるでしょうか。

 コロナ禍で、パンデミックにおける都市の密閉、密接、密集空間の脆弱性があらわになってしまいました。都会の界隈性が好きだったのですが、パンデミックへの有効な対策、対応が確率するまでは、フィジカルディスタンスが優先しちゃいますね。多くの情報が集約され交差し浸蝕する「都市」という「情報システム」をオンラインにごっそり移植できるなら、人々はもっと自由に、暮らす場所と暮らし方を選べるようになるかもしれません。が、オンラインでは、まだまだ情報量が足りません。手段や記録などの部分的には置き換え可能だと思いますが、「人が移動し、その空間を体験し、共感すること」のオンライン化は、それこそ未来のSFの話でしかないでしょう。

 「小さくても持続可能な循環型社会」や「人が移動し、その空間を体験し、共感すること」を、引き続き考えていきたいと思います。


 最後に面白い動画を見つけたので紹介しておきます。弥生時代すなわち縄文末期の日本の人口は数十万人規模、2100年には数千万人規模なので、ともにランク外なんでが、途中、結構早い段階で日本が上位にランクイン、世界有数の人口をもつ国として世界史に登場します。これ見てて思うのは、日本の栄枯盛衰、歴史に翻弄された人々の諸行無常ですねぇ。あ、なんか解脱に向かってるかも。


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