「天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある。」への違和感について考えるの巻

ブログの覚え書きとして記す。書きたいことがありすぎてエントリーにまとまらないので、noteにいちど吐き出してみる。 


天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある。」というやたら長い本が売れている。

さっそくkindleで買って読んでみた。
著者は、東大を首席で卒業し、財務省に務めた後、現在は弁護士として活躍されている方(私は無知のため存じ上げなかった)。大学受験に司法試験・・・難関の試験をくぐり抜け、常に努力を続けて、目標を達成してきた人だからこそ語れる方法論が満載の本である。

全体的に面白かったのだが、ちょっと違和感を感じた。

もちろん、本書の内容に異論があるわけはない。著者の実績に裏打ちされた方法論なのだし、実際に納得することばかりであった。

気になったのは、「努力」という言葉の使い方だ。

「努力は正しい。やれば必ず報われる」ということが、あまりにもあっけらかんと前提になっていないか?

気づいたのは、本書で言う努力が頭脳活動に限られていることだ。だから、出てくる方法論は全て「勉強法」に回収されるものばかりだ。

そもそも努力をする分野は頭脳活動に限らない。

スポーツの分野にだって努力はある。しかし、身体活動においては努力は報われないこともある。「才能」がものをいう世界だ。努力をつづけること自体に「待てよ。ここは、努力してもいいところか?」という自問自答が入る。

「天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある。」に感じたのは、この「待てよ」がないところだった。努力は絶対的に善である、ということが前提となっていて、あとはどのように努力にコミットするか?だけが問われている。

対して、同じく努力をテーマにした、為末大さんの「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない」は、この「待てよ」がまさにテーマである本だ。

努力にコミットする前に、「そもそもそこは正しい場所か?」ということを問おう、という問題提起をしている本である。

この2冊を比較すると、私の違和感の正体がはっきりしてくる。何のことはなく、どちらが正しいというものでもない。単に本の性格が違うのだ。

「天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある。」は、「使う本」である。つまりハウツー本だ。ダイエット本がダイエットそのものの是非を問わないように。

だからこれは「努力するぜ俺は!」と決めた人が、具体的なハウツーを学ぶための本なのだ。ハウツーとしては逸品。だからこれでよい。

対して「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない」は、「考える本」である。正しいとされてきた「努力」は本当に正しいのか?というテーマそのものに疑いを入れる本だ。

私には「考える本」のほうがしっくりくるのだが、これは単に好みの問題だと思う。

面白いかどうかと言われれば、どちらも等しく、面白かった。テーマを似せて数冊読むと、視点が違って面白いなあ。

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