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【コラボ作品/ストーリー】


《愛奏 -aikanade- 》~グラハムの魔弾~


ある日、木の実を摘むため初めてひとりで森に入った少女は、とおくから聴こえる唄声に気付く。
それはとても哀しく、しかし優しくあたたかい。
導かれるように進むと突然歌が止まり、その直後ドサリという鈍い音がした。
駆け寄るとそこには、蒼白い顔をした少年が意識を失い横たわっている。
「大丈夫ですか!?」
頭上を見上げれば崖、そこには大層りっぱなお城がある。あのバルコニーから落ちたのなら、高さからして命に保証はない。咄嗟に心臓の音を確認し、呼吸を確かめる。
「…生きてる!」
少女は街に戻り大人を呼ぼうと立ち上がる。その耳に届いた滑稽な音。
「え…?」
聞こえたのは、空腹の音。


「娘、言っておくが」
「はい」
「もし、純血の吸血鬼が腹をすかして倒れていたのなら」
「ええ」
「お前のような娘は食事にされるだろう」
「でしょうね」
「警戒という言葉を知っているのか?」   
「はい、自分の身を守る程度には」

倒れていた少年は、空腹で意識を失ったヴァンパイアだった。
少女は彼の盛大な腹の虫の音を聞き、持っていたパンを食べさせ、そのおかげで少年は目を覚ましたというわけだ。
この国は魔族と人間の境界線が薄く、少女も少なからずその存在を知っていた。なので恐れよりも好奇心が勝った。初めて見る、人以外の存在。
しかも彼は差し出したパンを食べたのだ。吸血鬼が空腹に気を失うほどの状況で、目の前の娘の生き血ではなくパンを。なんと興味深いことだろう。

「まぁ助かった。この礼は必ずさせてもらう」
「お気遣いなく。血ではなくてただのパンですもの」
「ただのパンではない。とても美味だった」
「それはよかったです」
「3日後」
「はい?」
「3日後、またここに来い。もてなしをする。我が城で」
「そんな、困ってるときはお互い様ですよ」
「だめだ。受けた恩は返さねばならぬ。それが親の教えだ」
「素敵なご両親ですね」
「ああ。父は吸血鬼、母は人間"だった"」

その言い方から察するに、彼の母親はもうこの世にはいないのだろう。そして吸血鬼の多くは子育てをしない。生まれた瞬間から強いからだ。
だとすればこの吸血鬼は母を亡くし、父親ももう側にはいないのだ。
この森で一体何年、いや何十年、独りで生きてきたのか。想像の及ばぬ孤独に少女は言葉を喪う。

「…無理にとは言わないが」
その沈黙を彼は勘違いをした。少女が怖がっていると思ったのだ。それを察し、少女は微笑んだ。なんて優しい吸血鬼なのだろう。
「…伺います。楽しみにしていますね」
「そうか。ならば待っている」
「おみやげにまた、パンを持ってきます」
「うん」

こうして二人は出逢った。
止まっていた懐中時計がなんの前触れもなく突然動き始めたように、奇妙で幸せな出来事だった。



「大きなお城!」
「一人では広すぎるがな」
「ピアノ!」
「珍しくもないだろう」
「そんなことないわ、あなたは弾けないの?」
「僕は弾けない。母のものだ」

約束通り3日後、少女は再び森を訪れる。
先日と同じ場所で吸血鬼の少年が待っていて、連れられてやってきた彼の城は想像よりも明るく広く文化的だった。
広間に置かれたピアノは、彼女が今いちばん欲しいと思っているものだった。

「いいなぁ、弾いてみたいわ」
「弾けるのか?」
「簡単なものならね。でもこれはあなたのお母様の形見でしょ?」
「そんなのは構わない。弾けるなら聴かせてくれ。ひさしぶりにこのピアノの音を聴きたい」
「まぁ、喜んで!」
「では調律させるから、また3日後に来い」
「ええ、嬉しい!」

その日は彼の使用人が用意した豪華な食事と、少女の土産のパンをふたりで平らげ、次の約束をして別れた。
帰り道、彼女の足取りは軽く、憧れのピアノに触れられる喜びと新しい友人ができた嬉しさに弾む。そしてふと気づいた。
「そう言えば、まだお名前を聞いていないわ」


更に3日後。前回同様(彼のリクエストで)パンを持ってやってきた少女は、ピアノを弾かせてもらう前に出されたお茶を飲みながらさっそく疑問をぶつける。

「僕の名前?」
「ええ、あなたのお名前を教えてほしいの」
「名前はない。呼ぶ者がいないから必要ない」
「私には必要よ、だってもうお友だちだもの。呼び方がないのは困るわ」
「…ないのだから仕方ない」
友達という単語に喜びながらも、本当にないものは答えようがない。彼はパンを千切りながら言う。その様子を見て少女は思い立つ。

「じゃあ、グラハム」
「グラハム?」
「そう。グラハムというお名前はどう?」
「好きに呼べ。お前がそう呼ぶなら僕は返事をしよう」
「ありがとう、グラハム」
微笑む少女。パンを頬張りながら、グラハムは照れ臭そうに視線を外す。
その日もまた、次に逢う口実を探し別れた。
―母が遺した楽譜があるから弾いてほしい。こんど新しいパンを作るからその試作を食べてほしい。木の実のとれる場所を教えてやる。あなたの服、綻んでいるから直してくるわ。ありがとう、助かる。―
だんだんと約束は必要なくなり、やがて当たり前のように二人の逢瀬が続いていく。

少女の家は貧乏なパン屋だった。金持ちの友人の家で見たピアノに憧れ、それを弾いて生計を立てたいと願ったが、そうするためには途方もないお金が必要でその夢は叶わないことを幼いころに知ってしまった。
生きることに希望を持てなくなっていた彼女は吸血鬼と人のハーフであるグラハムと出逢い、優しい唄声に合わせてピアノを弾ける喜びに救われる。

グラハムの生い立ちは混血種には珍しくない。人と、そうでないものの子供は大体が孤独だ。そして長い年月を一人で生きることも。
当たり前のことだと自分に言い聞かせながら寂しさは拭えないでいた。そのことをちゃんと言葉にできるようになるまで、ふたりは会い続けた。

「ありがとう、グラハム」
「何がだ?」
「あなたと出逢えてよかったわ。あの日、あなたが空腹のせいでこのバルコニーから落ちてきてくれて」
「馬鹿にしているのか」
「うふふ、まさか」
「僕もお前に礼を言わなければいけない」
「なぜ?」
「パンの美味しさを教えてくれたから」

月夜の晩、初めてキスをした。
テーブルには高級なぶどう酒とパン。遠くで梟が低く鳴いている。
ふたりを祝福するように。ここにある幸せがこの世の全てだと思った。思いたかった。



別れは突然やってくるものだ。突然、少女は森に来なくなる。
彼は毎日、待ち合わせの場所を訪れた。朝から晩まで待つこともあった。少女の家は知らないし街に降りることはできない。曲がりなりにも彼はヴァンパイアで、人と接するのは本来ならばタブーだからだ。
数カ月、そんな日々が過ぎる。そして彼の耳に届いたのは、少女の住んでいた街が戦争に巻き込まれたという風の知らせだった。


遠くから燻る硝煙の臭いを嗅ぎ取りながら彼はバルコニーに出る。少女と出逢ったあの日、空腹と孤独に耐えかねて最後の力で唄ったことを思い出す。このまま朽ちても構わない。誰か自分を見つけてほしい。その願いは叶った。
優しく夜空に溶けるような唄声が響く。それは彼から彼女へのレクイエムだった。

「随分とあたたかく唄うようになったな」
バルコニーにとまった真っ黒い梟が嬉しそうに微笑む。その姿を見てグラハムは歌を止めた。
「父親ヅラするな」
「父親なのだからいいだろう」
「…あんたも、こんな想いをしたのか。母さんと別れるとき」
「忘れたな。遠い昔のことだ」
「僕も早く忘れたい。こんな想いはもうしたくない」
「したくないと思ってもしてしまうのさ、生きているというのはそういうことだ」
「厄介だな」
「ああ、そして素晴らしい」





ねえ、ねぇあなた、大丈夫?

木漏れ日の逆光で目がくらみ、直視できない。
誰かが自分に覆いかぶさり、激しく体を揺すってくる。その衝撃よりも懐かしい香りが鼻孔を突く。
ゆっくり瞼を開けるとそこには一人の少女がいる。こんなことが遠い昔にもあった。これは夢なのだろうか、いや、違う。この懐かしい香り。

「パンの香り…?」
「ああ、起きたのね、よかった!あなた、あのバルコニーから落ちてきたのよ。大丈夫?お腹が鳴っているけれど、空腹なの?」
「君は誰だ?」
「まぁ、あなた、見た目は紳士なのに残念な方ね。レディに先に名前を聞くなんて」
「失礼した。僕はグラハム。あの城に住んでいる」
「グラハム?」


ねぇ、あなた、もしかしてパンがお好きなのではないかしら。わたしの祖母の祖母の祖母がむかし、吸血鬼に恋をしたらしいの。きっかけはパンだったのよ、うちは代々パン屋なの。戦争のせいで1度はやめたのだけれど。
祖母の祖母の祖母は、名前のなかった吸血鬼の彼に、グラハムってお名前を付けたらしいの。
なんでもね、その吸血鬼さんがグラハム粉を使ったパンをお気に召したかららしくて。
グラハム粉ってご存知かしら?小麦をすべて使った粉でね、ちょっとくせはあるけど、素朴でとても栄養があるの。優しくて、味わいがあるのよ。



森の奥から聴こえる優しい唄。
哀しくも愛に満ちた声は、人と吸血鬼のハーフであるグラハムのもの。
その唄声が弾んで聴こえるときは必ず、香ばしいパンの香りが漂っているらしい。


《愛奏 -aikanade- 》

こちらは、絵師Nancyさん(Twitter→ https://twitter.com/Nancy3838383 )から頂いたイラストからイメージした魔弾とそのストーリーを付けさせていただいた、コラボ作品です。

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